靴修理のチェーン店は、公園から歩いて5分くらいのところにあった。 駅前の通りにある某オフィスビルの1階の隅。 金髪氷河の腕から、修理を待つ客のための椅子に下ろされた時、私が最初に感じたのは、お姫様タイムが終わってしまったことへの落胆じゃなく、この5分の間、鳴かずにいてくれた おなかの虫への感謝の気持ちだったわね。 清楚な侍女が私の靴を店のカウンターに置いて、私の束の間のお姫様タイムは終わってしまったの。 「では、僕たちはこれで。お一人で帰れますか。タクシーを掴まえておきましょうか」 「大丈夫。負傷したのは靴とストッキングとスカートだけよ。靴が直ったら、歩いて帰れるわ」 「はい。じゃあ、あの、よろしくお願いします」 見ず知らずの赤の他人に、シミュレーション美少女は至れり尽くせりの親切心を示し、靴の修理を頼む当人の代わりに、店の修理工に『お願いします』まで言ってくれた。 あげく、小声で、 「もし、あの方の持ち合わせが足りないようでしたら、お代は城戸の方に請求してください」 とか言って、私の財布の中身の心配まで。 ねえ、私はあなたにとって全くの他人なのよ? 住所や電話番号どころか、名前さえ名乗っていない。 そんな相手に そこまでの親切は鼻につくってもの。 靴の修理代まで出そうとするなんて、あなたは哀れな私に施しをして いいことをしてやったって得意がりたいわけ? 私は、ここまで親切にしてもらったっていうのに、シミュレーション美少女に全く感謝の気持ちを抱かなかった。 むしろ、胡散臭い馬鹿女を見るような目で私を睨んでる金髪氷河の方に、はるかに好感を抱いたわね。 これが普通の人間の態度と反応ってもの。 ごく普通の人間である私は、そういう態度と反応の方に安心できるのよ。 ――と、そこまで考えて、私は はたと気付いた。 金髪氷河は、胡散臭そうな目をして私を睨んでる。 それは構わない。 ここまでしてもらっておきながら名前を名乗ろうともしない私は、事実 胡散臭い女だもの。 それは至って常識的な反応というものよ。 でも、この氷河、ついさっきまでは とろけそうな目をしてシミュレーション美少女を見詰めていたじゃない。 だから私は、幸せそうで おめでたそうな二人にむかついていたのよ。 なのに今、金髪氷河は私を睨んでる。 それって、彼は全方向的に おめでたく幸せな人間ではないってことよ。 ああ、そう。 つまり、そういうこと。 金髪氷河が優しい目で見詰める相手は、シミュレーション美少女だけ。 金髪氷河はシミュレーション美少女の一途で誠実な恋人ってわけだ。 そして、シミュレーション美少女の方は、善良で綺麗で親切。 金髪氷河は、お人好しのシミュレーション美少女を守るナイト様ってことなのね。 あー、むかつく。 「あの二人、どこの人たち? 知ってる人? 私、あとでお礼に行かなきゃならないわ」 私が あの二人の素性を確かめようとしたのは、もちろん、彼等にお礼を言いに行くためじゃなかった。 じゃあ何のためって訊かれると、私も答えに窮するんだけど。 靴の修理屋に厳しい守秘義務はないらしく、店のおじさんはすぐに私に 私の知りたいことを教えてくれた。 「城戸のお嬢様のお屋敷にいらっしゃる方々です」 「城戸……って、あのグラード財団総帥の? あの二人、この店にはよく来るの?」 「今日が初めてですよ。でも、とにかく綺麗な二人がいつも一緒だから、この辺りであの二人を知らない者はない」 ああ、それはそうでしょうね。 綺麗な二人は、みんなに認められ、羨ましがられ、誰からもみじめな思いをさせられることはない。 だから、シミュレーション美少女は優しい いい子でいられる。 片や、性格極悪の私は、詰まんない男にも簡単に振られて、派手に破れたストッキングで、たった一人で、小さなマンションの部屋に帰らなきゃならない。 シミュレーション美少女の振舞いがどんなに気に入らなくたって、一介のOLに過ぎない私がグラード財団総帥の邸宅に怒鳴り込んでいくわけにもいかない。 あの二人は幸運と権力に守られていて、私を守ってくれるのは私一人だけ。 世の中っていうのは、そんなふうに不公平にできているものなんだわ。 |