星矢なら『恋』以外の、もっと奇抜な、常人には思いつかないような奇想天外な答えを与えてくれるのではないかという期待は裏切られた。 氷河は今、希望の入っていないパンドラの匣を開けてしまったエピメテウスの気分だった。 「瞬は男だ。どんなに綺麗で可愛くても、瞬は男だ」 城戸邸の長い廊下を自室に向かって歩きながら、氷河は、昨夜だけでも100回は繰り返した自戒の言葉を、再度繰り返すことになったのである。 氷河が星矢に告げた、『その人の笑顔を見ると嬉しくなって、その笑顔が俺に向けられでもしたら 天にも昇る心地になる。その人が泣いていると、その人を泣かせたものを憎まずにはいられなくて、一生その人の側にいて、その人を悲しませるもの すべてを俺の手で払いのけてやりたいと思う』の『その人』は瞬だった。 主格はもちろん『白鳥座の聖闘士』である。 瞬は確かに、なまじな女には対抗できないほど清楚可憐な面差しの持ち主だった。 瞬の姿の綺麗なことは万人が認めるところであったし――しかも、その“綺麗”は男性的な“綺麗”ではない――、中身の美しさに関しても 某冥府の王によるお墨付きがある。 もちろん第三者の保証がなくても、共に戦い、日々の生活を共にしている仲間として、氷河自身もその事実は認めていた。 瞬に関する世間一般の見解に、全く異論はない。 瞬の仲間たちが大雑把な気質の持ち主ばかりなせいもあるのか、瞬は非常に細やかな神経の持ち主で、様々の場面で気配りができ、思い遣りの心もある、極めて上質な人間だった。 戦いを第一義とする仲間たちの中では 攻撃的でも好戦的でもなく、穏やかで優しい心の持ち主。 この地上に存在する どんな女性、どんな少女より、若い男が恋をする相手として申し分のない美質を備えた人間。 それが、瞬だった。 だが、それでも瞬は男なのである。 恋の相手が同性では、好きだと告白することもできない。 そんなことをしたら、変態呼ばわり――は されないにしても、瞬に避けられることになるのが目に見えている。 好意を伝えることのできない恋は、当然のことながら実ることはない。 いったいなぜ、自分は こんな不毛な恋に身を焼くことになったのか。 氷河には、この理不尽な現実に どうにも合点がいかなかったのである。 たとえば、この地上に 生きて存在する人間が、白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士の二人しかいないというのなら、白鳥座の聖闘士がアンドロメダ座の聖闘士に特別な好意を抱くような事態が起こっても致し方ないと言えるかもしれない。 だが、今のところ、地球上には数十億の人間が生存していて、しかも その半数は女性なのである。 だというのに、いったいなぜ、どうして、よりにもよって 同性の瞬なのか。 氷河は、自分の恋心が生まれた訳が、本当に、全く、完全に 理解できなかった。 理解できないにもかかわらず、確固として存在し、いかなる努力によっても消し去ることのできない この思い。 自分の意思では いかんともし難い その思いに苦悩懊悩したあげく、氷河は、自らが置かれた苦境の打開を神に頼ることにした。 氷河が頼ろうとした神は、もちろん ギリシャの神ではない。 そもそも、恋愛に関して紊乱に過ぎ、倫理の『り』の字、道徳の『ど』の字も持ち合わせていないギリシャの神々が、『道ならぬ恋』などという概念を理解できるのかどうかは疑わしい。 同じギリシャの神でも、アテナの場合は、処女神ということもあって、逆に 恋そのものを否定される可能性もないとはいえない。 ――等々のことを考慮に入れ、氷河は殊勝にキリスト教の教会に向かった。 氷河は 形ばかりとはいえロシア正教徒だったのだが、あいにく城戸邸の近所にロシア正教の教会がなかったので、近場のカソリック教会に。 悩める人間の罪の告解を聞き、迷える子羊の向かうべき場所を指し示してくれる神なら、氷河は誰でもよかったのである。 さしあたってのところは。 氷河の大雑把にすぎる行動を責めるのは酷というものだろう。 道ならぬ恋に動転し、彼は真っ当な判断力を失っていたのだ。 であればこそ、彼は、平生の彼なら思いつきもしなかったであろう神に罪を告解するなどという行為を行なうことにしたに違いなかった。 自分の罪を自分で罰するのではなく、罰も対処方法も神に一任する。 そんな一種の責任回避といっていい行為を、彼は決して潔しとはしなかっただろう。 彼が普段の彼であったならば。 それはまさしく恋の為せるわざ。 瞬に嫌われたくない、避けられたくない、たとえ恋が実らなくても、せめて気の置けない仲間同士であり続けたい。 その思いが、氷河の足を、教会などという場所に運ばせることになったのである。 神に罪を告解し 道を教え諭してほしいという願いよりも、誰にも知らせることのできない切ない思いを 誰かに――神でも悪魔でもいいから、誰かに――聞いてほしいという欲求の方が、もしかしたら 氷河の中では より強い思いだったかもしれない。 平日で、あまり信徒が来ていなかったせいもあるのだろう。 教会の神父は、カソリックの洗礼者ではない氷河のために――事実は、彼の宗派を確かめるという 当然踏むべき手順を怠ったというだけのことだったが――かなり長い時間を割いてくれた。 彼は、狭い告解室で、その8割が瞬への賛美でできている氷河の罪の告白を 辛抱強く聞いてくれたのである。 その上、彼は、『御子イエスの血によって、あらゆる罪が清められます』の言葉だけでなく、氷河が歩むべき贖罪の道までを授けてくれたのだった。 彼は、氷河の告解を一通り聞き終えると、告解をした者すべてにそうするように、まず痛悔と遷善の決心を促した。 ゲイがあまりにも一般的な米国の教会ならまた対応は違っていたのかもしれないが、日本在住の日本人神父は、同性愛者差別を忌避する世界的風潮に迎合することなく、聖書に記された教えに従って 頭から堂々と、氷河の恋を 神のしもべたる人間が犯すべからざる罪と断じてくれたのである。 「それはいけません。事は、あなた一人が罪を犯すだけでは済まないこと。まかり間違えば、あなたの邪まな恋情が、もう一人の人間にまで罪を犯されることにもなりかねないのです。あなたのお話を伺った限りでは、あなたが好意を抱いている方は、我等が神も感激しそうなほど清らかな心根の持ち主であるらしい。そんな人に罪を犯させてはなりません」 「では、俺はどうすればいいんだ。瞬に罪を犯させるようなことは、俺だって もちろんしたくない。だが、俺は、瞬との間に距離を置くようなこともしたくないんだ。せめて これまで通り、信頼し合った仲間でいたい」 「うーむ」 氷河の望みを聞いた神父が、難しい顔で眉根を寄せる。 昨今は 罪を罪として意識する人間が少なくなってきているのかもしれない。 そのせいで、もしかしたら 彼は罪の告解を聞く機会が少なく、氷河の告解は久し振りに聞く告解だったのかもしれない。 だから、彼は、迷える子羊を救うという義務感に燃え、不必要なまでに張り切ってしまったのかもしれない。 彼は、罪深い人間の過ちを正すため、迷える子羊に とんでもない提案を提示してきた。 「洗礼者ヨハネによって洗礼を受けた後、イエスは霊によって荒れ野に送り出されました。そこで40日間 悪魔の誘惑を受け、イエスはついに それを退けました。あなたも、本日から40日間、悪魔の誘惑と戦うことを、今ここで神に誓ってください」 「悪魔の誘惑と戦う?」 まるで、同性の仲間の心を乱す瞬が悪魔だとでもいうような神父の言い草に、氷河は思い切り むっとしたのである。 しかし、久方振りに やり甲斐のある務めに出合って張り切っている神父は、氷河の憤りに気付かなかったらしい。 彼は、彼の思いついたアイデアを、気負い込むようにして氷河に語り続けた。 「明日から――いいえ、今日から、暴食、色欲、強欲、嫉妬、憤怒、怠惰、傲慢の七つの大罪は言うに及ばず、他のどんな小さな罪も犯すことなく、清貧に耐え、他人のために我が身を捧げて、敬虔な気持ちで日々を過ごすのです。あなたが、イエスが悪魔の誘惑を退けた40日間と同じだけ 奉仕と清貧の日々を全うしたなら、41日目の朝、神は必ずや あなたが真に愛すべき輝かしい人を、あなたの許に お遣わしになるでしょう」 「俺が真に愛すべき人?」 それは、果たして瞬より素晴らしい人間なのか。 そんな人間が、この世に存在するのか。 氷河とて、神父の言葉を疑わなかったわけではない。 にもかかわらず、氷河が神父の提案に耳を傾けたのは、彼が、たとえ束の間でも 彼を苦しめる恋から意識を逸らすことのできる何らかの目的目標を求めていたからだった。 自分は恋のために まともな判断力を失っていると、氷河が思い込んでいたせいもあったかもしれない。 今の自分に比べたら、やっと片言の言葉を話せるようになったばかりの幼児の方が 余程 確かな常識を備えているに違いないとさえ、氷河は思っていた。 いずれにしても、罪を犯すことなく清貧の日々に耐えることは、宗教的にも社会的にも悪い事ではないはずだと考えた氷河は、神父の提案を実行実践してみることにしたのである。 たとえ、41日目の朝に 真に愛すべき人との邂逅を果たすことができなくても、40日間に及ぶ忍従の日々は、自分の邪恋に何らかの道徳的な光明を与えてくれるだろうと期待して。 神父に礼を告げた氷河が教会を出る時、神父は極めて真剣かつ真面目な顔で、 「色欲には自慰も含まれますよ」 という実に有難い忠告を、氷河に垂れてくれたのだった。 |