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兄弟の情に負けて、倒すべき“敵”を倒すことができずに兄が傷付き崩れていく様を、瞬は、ハーデスに支配されている我が身の目を通して見ることになった。
冥府の王が冥界の者と接触するための場所であるらしいジュデッカ。
死者の国の王の御座所だというのに、そこには 王の栄光を称える輝かしい光がない。
あるのは、ぼんやりとした薄闇と、禍々しい装飾の施された冥府の王のための玉座のみ。
冥府の王の心の中も こんなふうに空虚なのだろうかと、瞬は、ハーデスの力に押し潰されかけている心で思ったのである。
そして、その心で叫んだ。

僕が ハーデスの力なんか撥ねつけられるくらい強かったなら。
兄さんが、僕をこんなにも愛してくれていなかったら。
いっそ、不甲斐ない弟を憎んでくれていたら。
そうしたら、彼はこんなことにならなかったのか。
そして、僕は、兄さんが死んでいくのを見ずに済んだのか。
ああ、僕が人生をもう一度やり直すことができたなら……!

瞬の呻きに似た叫びを、誰かが笑った。
それはハーデスだったのか、それとも、既に諦観を含み始めていた瞬自身の心の一部だったのか――。
瞬は、そんなことを思い――疑ったのである。
まさか僕は既に ハーデスに抗することを諦めてしまっているのではないか――と。
幸いなことに、それは瞬の心の一部が作った笑いではなかったようだった。
瞬の心は、そこまで諦観と無力感を具体的な形にはしていなかったらしい。
――今はまだ。

『人生をやり直せたら? それでどうなるというのだ。愚かで無力な人間が』
『……』
瞬の身体の中に その意思を置いているハーデスが、彼の意思の器の本来の持ち主に尋ねてくる。
それは、自分の目が 今 映している現実を認めたくないだけの漠然とした願いだったので、瞬はハーデスへの答えに窮することになった。
それでどうなるのか――何が変わるのか――は、その願いを願った瞬自身にもわかっていなかったから。

『もう一度人生をやり直すことができたなら、余の力に屈しないほど強い自分になれるとでも、そなたは考えているのか? それとも、余の支配を受けずに済むよう、余に愛されずに済むよう、汚れた人間になろうとでも?』
『……』
ハーデスが語る仮定文の内容を可能なことだろうかと考察してみることを、瞬はしなかった。
考える価値もないことと思ったからではない。
まるで冥府の王が 彼の依り代である人間を愛しているようなことを言うので――その言葉への反発心が、瞬に、考えることより憤ることを優先させたのだ。
これが愛であるはずがないと、瞬は憤った。
だが、ハーデスはそう・・だと考えているようだった。

『どちらも無理だ。そなたは非力な一個の人間に過ぎない。それでいて、自分が汚れることは受け入れられない強固な自尊心の持ち主――余の理想の身体と心の持ち主。人生をもう一度生き直しても、別の人間になることは、そなたにはできぬであろうよ』
そうなのかもしれない――と思う。
だが、ハーデスに心を押し潰され、身体を支配されている今の瞬には、他にどんなふうに希望を抱けばいいのかが わからなかったのだ。
返す言葉もなく しおれ沈黙している瞬の心に、ハーデスは酔狂を起こしたらしい。
彼は、低い嘲笑を洩らしてから、独り言のように 呟いた。

『いや、それは存外に興味深い試みかもしれぬ。試してみようか?』
『えっ』
『試してみよう。生き直す機会が与えられたなら、そなたは そなたの二度目の人生をどのようなものにするのか』

ハーデスが楽しそうにそう言った次の瞬間、ハーデスに支配された自らの身体の中で 小さく萎縮していた瞬の心は、突然 どこかに向かって投げ出されてしまったのである。
その心にのしかかってくる激しい重圧に 強い痛みを覚え、やがて瞬の意識は暗転した。






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