あの時からずっと、この世界は輝き続けている。
世界は美しく、生きていることは素晴らしい。
隣りにいる氷河の横顔を見詰めているうちに、瞬は自分が生きていることが楽しくてたまらなくなり、くすくすと喉の奥で小さく笑った。
突然 隣りで笑い出した瞬に、上体を起こした氷河が怪訝そうな顔を向けてくる。
身体を交えた直後に 前触れもなく笑い出されるのは、幾度も同じ夜を過ごしてきた恋人相手のことでも ぎょっとするものなのかもしれなかった。

「なんだ? 俺はおまえに笑われるようなことをしたか? だとしたら、リトライするぞ」
「そうじゃなくて――思い出したの」
どうやら氷河は、この事態を男の沽券に関わる一大事と思っているらしい。
瞬は、笑いを引っ込めることはせず――目許に笑みを刻んだまま、その手を氷河の金色の髪にのばしていった。
その髪にまで温かさがあると感じるのは、つい先程までの交歓の熱が二人の周囲にまだ漂っているからなのだろうか。
冷え切っていた氷河の身体を自分の小宇宙で温めた あの時から、瞬は、この氷雪の聖闘士を“熱い”と感じることしかできなくなっていた。
「あの時 氷河に好きだって言われて、僕は そのせいで氷河を意識するようになって、聖闘士になって日本に帰ってからも ずっと氷河を気にしてて──僕、時々、僕は あの時の氷河に はめられてしまったような気がするんだ」

幼い子供とはいえない大人になって日本に帰国した瞬は、瞬同様 “大人”になって仲間の許に帰ってきた氷河と 同じ戦いを戦いつつ、その時を静かに待ち続けた。
このままふたりで聖闘士としての戦いを続けていけば、二人は やがて氷の棺のある場面に行き着くはず。
そう信じて、氷河には何も言わず、瞬は じっとその時の到来を待ったのである。
そうして、その時。
瞬は、二人が必ず生きて この試練を乗り越えられることを信じ、自らの小宇宙のすべてを氷河の中に注ぎ込んだのだった。

十二宮の戦いが終わって 瞬が真っ先にしたことは、氷河に、
「僕は氷河が好きです」
と告白することだった。
「先に僕にそう言ったのは、氷河の方だと思うんだけど、憶えてる?」
彼に、そう尋ねること。
そんな瞬に、氷河は笑って、
「ああ」
と頷いてくれたのである。

嬉しくて――自分の告白への答えも待たずに、瞬は氷河の首にしがみついていった。
あの夕陽の中での出会いがあったせいで、7年間、瞬にとって氷河は特別な人だった。
いつ恋に落ちたのかと問われれば、『7年前の夕暮れ、アンドロメダ島の砂浜で』と答えるしかない。
瞬は、7年間 思い続けた人と、やっと結ばれることができたのだ。

「ねえ、どう思う? 僕と氷河は、どっちが先に恋に落ちたの」
その必要はないというのに、氷河はリトライしたいらしい。
瞬に触れている氷河の身体は、その腕も脚も、一向に その熱を治める気配を見せなかった。
熱を帯びて熱い脚が、瞬の脚に絡んでくる。
「おまえを好きになったのは、俺が先だ」
「でも、僕は、氷河より7年も前に氷河を好きになってたんだよ」
「俺が、おまえを好きだと告白したからだろう」
「それは そうかもしれないけど……」

鶏が先か、卵が先か。
二人の恋の起点は、捩じれ入り組んだ時の輪の中にあり、時間や心を どこまで遡ってみても、決して辿り着くことのできない一点にあるのかもしれない。
その輪を出て、もはや二人の恋が未来に向かうだけになった頃から、瞬は不思議に思うようになっていたのである。

あの時、なぜ氷河は過去の自分のところに行かなかったのだろうか、と。
氷河の性格を考えれば、その方がずっと自然なのだ。
過去の自分の許へ行き、7年後に起こることを自分自身に知らせ、『そんなことにならないように強くなれ』と、『戦い続けることを決して諦めるな』と、幼い自分に言い含める。
その方が、滅多に他人の意向を気にとめない氷河らしいし、効果的でもあり、ある意味では 正しいやり方でもある。
だというのに、氷河は彼自身のところには行かず、幼い瞬の許にやってきた。
幼い瞬に7年分 成長した自らの姿を見せ、瞬を説得しようとし、説得できず――結局あの島で“大人”の氷河がしたことは、未来の彼が未来の瞬を好きになるということを、幼い瞬に知らせただけ。
そして、恋も知らなかった幼い子供の心を“氷河”に向けただけ。
あの時 氷河がやり遂げたことは、ただそれだけだったのだ。

「氷河、ほんとは、あの時、僕も氷河も死なないってことが わかってたたんじゃないの? 氷河は、もう死ぬ気はなくて――生きようとしてて、だから、僕のところに来て、僕が氷河を好きになるように仕向けて――」
「おまえが死にかけている時に、そんなところまで気がまわるものか。俺は、そんな器用な真似ができる男じゃない。不器用で、いつも たった一つの目標物しか見えない視野狭窄の馬鹿な男だ」
「……」
氷河に そう言われると、氷河は確かにそういうところのある人間だと、瞬も認めざるを得なかった。
だが、同時に、瞬の中には、“視野狭窄の馬鹿な男”は、普通は自分の視野が狭いことに気付いてもいないものなのではないかという考えも生まれてくるのだ。

自分の恋人が馬鹿な男だということに疑いを抱いているらしい恋人を、氷河が真面目な口調で諭してくる。
「そんなことはどうでもいいことだ。大事なのは、今 俺たちが生きていて、互いに好き合っていて、そして、幸せだということだろう」
「ん……そうだね」
疑惑の解明を諦めて、瞬は氷河に頷き返すしかなかった。
もし7年前の出会いが彼の策略だったのだとしても、氷河は決して そうだと認めることはしないだろう。
氷河は、そんな馬鹿なことをする男ではない。
事実はアンドロメダ島の夕暮れの中に紛れて、瞬には永遠に見極めることはできないのだ。

だが、それでも――瞬は自分が氷河の術中に落ちたような気がしてならなかったのである。
氷河は二人が生き延びることを知っていて、だから、自分の恋の未来のために、幼い瞬の心に恋の種を植えつけた。
氷河は、彼が好きになった相手に恋を仕掛けるために、あの浜にやってきた――。
瞬は、そんな気がしてならなかった。
決して、それが悔しいというわけではないのだが。






Fin.






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