幾度 何というか―― 一方に 優しい面立ちの可憐な少女がいて、もう一方に 到底 可憐とは言い難い むさ苦しい男がいる。 そのどちらが瞬の肉親かと問われれば、100人中100人までが“優しい面立ちの可憐な少女”の方を選ぶと思うんだが――『事実は小説より奇なり』とは、こういうことを言うんだろう。 俺と瞬は日本人で、両親を失い、国内にある教会付属の養護施設で暮らしていた――ということだった。 そんな二人が 一緒に 日本のどこぞの道楽爺に引き取られることになった――まではよかったが(事実は、全くよくなかったが)、施設を出ることになっていた日の前日、瞬は風疹を発症させ、しばらくの間、施設内の一室に隔離されることになった。 そして、俺だけが先に先に、その道楽爺の家に連れていかれた。 なんでも その道楽爺は、聖闘士とかいう“普通の人”が持ち得ない力と技を持った戦士を育成するために、幾人幾十人もの身寄りのない子供たちを自邸に集めていたんだとか。 その爺は、自分の立てた計画を人の都合に合わせて変更するのが大嫌いで、その上、肉親の情を解さない男だったんだろう。多分。 瞬の回復を待って計画を遅らせるのが嫌で、兄だけを先に 予定の日時に予定の場所に送り出してしまったんだから。 俺は、本当は秘密裏にギリシャ本土のアテネにある“聖域”という場所に連れていかれるはずだったらしい。 そこで“教皇”とやらの訓示と認証を受けて、更に、聖闘士になるための修行をする場所に送られる予定だった――らしいんだが。 俺は、たった一人の肉親と離れ離れにさせられて、よほど気が立っていたんだろう。 アテネに向かう船の中で、何か大人たちを怒らせるような真似をしでかし、半殺しの目に合わされた。 それでなくても環境劣悪な貨物船内で死にかけた俺は、面倒事を恐れる船長に、まだ生きていたのに、エーゲ海に投げ捨てられたんだそうだ。 死にかけていた俺が、潮に流されて この島に運ばれたのか、自力で泳いで辿り着いたのかは、俺には わからない――憶えていない。 この島に着いた時、俺は本当は死んでいたのかもしれない。 死の女王が、ただ一人の肉親と引き離され、そのせいで死にかけている俺を哀れんで、俺に命を返してくれたのかもしれない。 ――記憶と引き換えに。 瞬がこの島に来た時、俺に日本語で話しかけてくれていたなら、俺は何かを思い出せていたんじゃないかと思わないでもない。 思い出すことはできなくても、何かに気付いていたかもしれない。 記憶のほとんどを失っていたとはいえ、俺は母国語まで忘れていたわけじゃなかったから。 たった一人で流れ着いた この島で、当時7、8歳のガキだった俺が最も苦労したのは言葉の習得だった。 瞬は、俺に1ヶ月ほど遅れて聖域に送られ、無事に到着した。 そして、そこにいると言われていた兄の姿がないことに――姿がないどころか、そんな子供は来なかったと言われて――愕然とした。 だが、聖域に集められた子供はすぐに 聖闘士というものになるための修行を行なう土地に送られることになっていて――幼く非力な子供にすぎなかった瞬に、大人たちの命令に従うこと以外、何ができただろう。 瞬が俺を捜すことができるようになったのは、瞬が聖闘士になって行動の自由を手に入れた6年後。 それから、この島に記憶を失った子供が流れ着いたことがあるという情報を得るまで、更に数年。 何の手掛かりもなかったのに、それどころか、俺が生きているかどうかさえ定かではなかったのに、瞬は、俺を捜し続けていてくれたのだそうだった。 俺は、その間、瞬のことなど綺麗さっぱり忘れ、自分が生き延びる以外のことは 何も考えていなかったというのに。 そんな冷たい兄に、瞬は、 「迎えに来るのが遅れてごめんなさい」 と、涙ながらに謝ってきた。 健気で、かわいそうな瞬。 数年の時を経て ついに巡り会ったというのに、それが自分の肉親だと気付く気配ひとつ見せなかった兄に、瞬は、どれだけ傷付き、悲しい思いをさせられたのか。 なのに、瞬は、冷酷な兄を ただの一言も責めようとしなかった。 瞬は、冷たい兄の冷たい言葉に、失望を隠し 涙を隠して耐えていたんだ。 父の暴力に無言で耐えていたエスメラルダのように。 いつか、彼の娘が父を愛していることに気付いてくれると信じて、父の無慈悲を黙って耐えていたエスメラルダのように。 瞬を忘れてしまったことに、瞬を思い出してやれないことに、俺は罪悪感を抱いた。 瞬は、恨み言のひとつも口にせず、俺を見詰めて――切なげに熱く見詰めて、 「これから兄さんが 幸せになるための努力をしてくれたら、それでいいです」 と言っただけだった。 |