氷河の独占欲が強いのは、これまでに奴が 奴の大切な人を幾人も失ってきたからだと思う。 母親、師、修行仲間。 どういうわけか、氷河は、自分にとって大切な人たちを自分のせいで失っている。 それで世を拗ねて 虚無主義に陥らなかったのは氷河の強さだろうけど、大切な人々の死に幾度も出会って、それでも懲りずに好意を抱ける人間を見付け、大切な人を持ってしまうのは、人間の 氷河は、特に――いつも特別に好きで大事な人がいないと、生きてることに意義や意味を見い出せないタイプの男だし。 だからって、氷河が人に惚れやすい性分だとか、恋多き男だなんて言うつもりは、俺には さらさらない。 実際、氷河はそんな おめでたく扱いやすい性格の男じゃないからな。 氷河は恋多き男っていうんじゃなく――むしろ、氷河は、大切な人は いつも一人だけってのがいいって思ってるように見える。 基本的に不器用でものぐさだから、複数の人間のことを同時に考えられないんだ、氷河は多分。 一人の人だけを見て、一人の人だけに のめり込んでるのが好きっていうか、楽っていうか、向いてるっていうか、そんな感じ。 『広く浅く』じゃなく、『一人だけ深く』。 それが、氷河の生きるスタイルなんだろうって、俺は思ってる。 まあ、そういう俺の考察が的を射ているのか、思いっきり的外れなのかは、俺にはわからないし、わからなくても何の支障もないことだ。 氷河の性向や考え方は わからねーけど、大切な人を全部なくした氷河が瞬を好きになり――特別に好きになり――そのために生きようとし、幸せになりたいって気持ちを再び持てるようになったんだから、それはいいことなんだろうって思ってる。 相手が瞬なら――瞬が いい奴だってことは 俺も知ってるし、人が好意を抱く相手として、瞬くらい問題のない奴はいないだろうとも、俺は思ってる。 瞬は、人に悪影響を与えたり、人に悪意を持って接するような奴じゃない――という意味で。 氷河が、いつ、何がきっかけで瞬に特別な好意を抱くようになったのかを、俺は知らない。 瞬は可愛いし、綺麗だし、善良で優しいし、強いし、氷河よりは分別のある大人だし、好きになるきっかけや理由は腐るほどあったろうから。 で、氷河は瞬を好きだと自覚すると、即座に猛アタックを開始し、あっというまに瞬を自分のものにした。 あっというまに氷河のものにされてしまった瞬は、自分が本当に氷河を好きなのかどうかをじっくり考える時間も余裕もなかったんじゃないかな。 瞬は、自分と氷河が男同士だってことを気に病む暇もなかったろう、多分。 毎日、『好きだ』『好きだ』と繰り返され、『おまえがいないと、俺は生きてる甲斐がない』だの『おまえを失ったら、俺も生きていられない』だのと しつこく訴えられ続け、瞬は、氷河の言葉を聞いてるだけで精一杯。 瞬にできたことは せいぜい、真正面から ものすごい勢いでぶつけてくる氷河の情熱や迷いのなさに戸惑うくらいのことだったろう。 瞬は『友だちから始めよう』なんて気の利いた逃げ口上を思いつく奴じゃないし、もし瞬が そんな気の利いたことを言ったとしても、氷河は、『いずれ恋人になるのなら、最初から恋人になった方が手間も面倒もなくていいだろう』くらいのことは言い返しそうだもんな。 まして、『そんなこと考えられない』なんて言ったりしたら、絶望して本当に死んじまいかねない形相の氷河相手に、『そんな気になれない』なんて、とてもじゃないけど、瞬には言えなかっただろう。 『おまえは俺が嫌いなのか』と氷河に問い詰められら、『そんなことない。好きだよ』って答えるしかなかったんだ、瞬は。 それで結局、瞬は氷河に押し切られた。 瞬がどういう言葉で 氷河とそういう仲になることを承知したのかまでは 俺も知らないけど、とにかく瞬は氷河とそういう仲になった。 で、おそらく その日のうちに、氷河と寝た(多分、正確には、『寝ることを余儀なくされた』)。 なにしろ、氷河が、 「瞬は俺のものだ」 って、堂々と俺たちに宣言してきたのは、ある日の早朝、俺が その日最初に氷河と顔を合わせて『おはよー』って言おうとした時だったんだから。 氷河は、そりゃもう 滅茶苦茶 嬉しそうな顔をしてたさ。 とてもじゃないけど、『それは ちょっと倫理的に問題があるんじゃないか』なんて言える雰囲気じゃなかった。 氷河は、瞬を熱愛した。 氷河は、瞬のためなら たとえ火の中水の中――っていう気持ちでいたんじゃないかな。 とはいえ、氷河が瞬にしてやれることなんて たかが知れてるし、瞬は基本的に遠慮深くて、自分から積極的に人に頼ったりする奴じゃない。 何かを与えたり、何かをしてやったりしていたのは、氷河じゃなく瞬の方だろう。 氷河に求められるまま、毎日 夜の時間を割いてやってただけでも、“与えて”いたのは瞬の方だ。 でも、どっちが より深く より強く相手を好きでいたかっていったら、それは氷河の方だと、俺でも断言できる。 電光石火の早業で瞬を自分のものにして――でも、それで落ち着いてしまわないのが氷河だ。 氷河は独占欲が尋常じゃなかった。 焼きもちの焼き方が普通じゃなかった。 瞬はさ、自分の言葉に責任を持つ、律儀な奴だ。 人との約束を重んじて、その約束を必ず守る奴だ。 一度 氷河に『好きだ』って言ったら、その言葉に責任を持つ。 瞬がそういう奴だってことを――瞬が尻軽でも軽薄でもないってことを――知ってるくせに、氷河は、事あるごとに瞬の気持ちを確かめ、更なる誓いと約束を求め続けた。 『俺以外の奴を好きにならないでくれ』 『ずっと俺を好きでいてくれ』 『絶対に死なないと約束してくれ』 『生きている限り、俺だけを好きでいると宣誓しろ』 『永遠に俺の側にいると誓ってくれ』 ――等々。 本来の瞬なら、人に そんなこと言われたら、『そんなこと、軽率に約束できない』って答えてたと思うんだ。 けど、なにしろ相手は氷河だ。 そんな慎重で真っ当で誠実で正直なことを言ったら、また最初から、『おまえは俺が嫌いなのか』『俺はこんなにおまえが好きなのに』『おまえがいないと、俺は生きてる甲斐がない』『おまえを失ったら、俺も生きていられない』と言い募り始めるのが目に見えてる。 だから瞬は、氷河に求められるまま、『氷河だけ』だの『ずっと氷河を』だの『永遠に氷河の側に』だのと約束して誓ってやるしかなかったんだ。 突然 『神に誓ってくれ』って言われて、教会に連れていかれ祭壇の前で『氷河だけ』って誓わされたこともあったし、クリスチャンでない瞬に、教会にいる神に そんなこと誓わせても あまり意味がないと思ったのか、アテナに『ずっと氷河だけ』を誓わさせられたこともあった。 しまいには、氷河は、瞬に『兄に誓え』と要求しさえした。 氷河に やいのやいのとせっつかれて、瞬は、一輝の前で、 「僕は永遠に氷河を好きでいることを、兄さんに誓います」 って、言わせられさえしたんだ。 その時の一輝の顔ときたら。 まるで、複雑怪奇骨折したイソギンチャクみたいだった。 氷河の我儘と傍若無人に呆れ、強引と図々しさに疲れ、そんな氷河に振り回され逆らえずにいる弟が哀れで情けなくて仕様がないっていいたげな顔。 まあ、一輝の気持ちは察して余りある。 氷河の振舞いには、俺や紫龍も、一輝以上に呆れてた。 「おまえ、よく、あんなのと くっつく気になったなー」 って、瞬に よく ぼやいたもんだ。 その頃には、瞬も、氷河の独占欲の強さに慣れたのか、氷河に逆らっても無駄と諦めたのか、氷河に好かれてしまった自分の運命に開き直ったのか、俺たちに微かに笑い返すこともできるようになっていた。 「氷河は、幸せになりたくて必死なの。幸せになるために一生懸命なの。それは 悪いことじゃないでしょう?」 「目的は正しいのかもしれねーけど、そのためにやってることが、氷河は普通じゃねーんだよ!」 「氷河を見てると、マーマや先生を失ったのが本当に つらかったんだろうって思う。氷河はもう、誰も失いたくないの」 「でも、だからって、おまえを縛る権利は氷河にはないだろ」 「僕も氷河が好きだから、いいんだ」 「どこが」 「健気で一途なとこ」 迷う素振りも見せずに、瞬は そう答えたけど、俺は それってほんとかな〜って、本音を言えば疑ってた。 だってよ。 氷河が瞬に与えられるのは、ほんとに『好きだ』って気持ちだけなんだぜ。 氷河は、他には何も持ってない。 まあ、それは、つまり、氷河は自分の持ってるもの すべてを瞬に与えてるってことなのかもしれないけど、でも、それだけのことだ。 我儘言い放題で、瞬を独占して、瞬を振りまわして――。 まあ、いいんだけどさ。 瞬が 不本意なのに氷河といるんでないなら、それは第三者がどうこう言うことじゃない。 瞬が生きて氷河の側にいる限り、氷河は幸せでいられるだろうし、瞬は、“自分のため”よりは“自分以外の誰かのため”に生きることに喜びを感じるタイプの人間だから、氷河の我儘を そんなには迷惑に思っていないんだろう。 俺はそう思ってた――懸命に、そう思おうとしてた。 でも、瞬はそれでいいかもしれないけど、俺たちには、常軌を逸した氷河の情熱は かなり迷惑だった。 誰でも自由に入ってこれるラウンジで、俺が瞬と二人で 他愛のないこと喋ってただけで、 「星矢。瞬と二人きりになるな」 って、偉そうに命じてきたりするんだから。 相手は俺だぞ、俺。 食欲と睡眠欲と戦闘欲が三大欲求の俺。 大様と寛大が売りの俺も、これには さすがにカチンときた。 自慢じゃないけど、その手のことに関しては、俺は瞬より はるかに“清らか”だ。 「おまえは、俺にまで焼きもち焼くのかよ!」 「妬かれると困ることでもあるのか」 「これは、困るとか困らないとかって問題じゃないんだよ! んなこと考えるなんて、おまえ、ほんとに どーかしてるぜ。それは、俺たちの友情を侮辱する行為だぞ!」 氷河の何に呆れてるのかを言葉にしてるうちに、俺は本気で腹が立ってきた。 俺は瞬の仲間で、瞬は俺の仲間だ。 その事実を、独占欲と助平心丸出しの男に 貶められたくないんだよ、俺は! 「まあ、落ち着け、星矢。氷河は、俺や一輝にすら妬くからな。おまえにだけ妬いてみせないのも失礼なことだと思っているんだろう。これは、氷河なりの気配りだ――多分」 頭に血をのぼらせて氷河を怒鳴りつけた俺と、そんな俺にまだ疑惑の目を向けている氷河を、あとからラウンジにやってきた紫龍が執り成してくる。 そんな詭弁を用いて 俺をなだめようとしてる紫龍自身、自分の言葉が事実を語っているとは思っていなかっただろう。 氷河が、そんな気配りなんかするもんか。 氷河は、瞬に近付くものを、ほとんど本能的かつ反射的に、瞬から引き離そうとしているだけなんだ。 俺を、紫龍や一輝と同等に扱おうとしてるんじゃない。 俺たちを、瞬がその目と関心を寄せる花だの鳥だのと同レベルに扱ってるんだ。 瞬に近寄ってくる犬だの猫だの糸クズだの風だのと同じレベルの“もの”としか思ってないんだよ、氷河は、俺たちを。 氷河は、瞬が2分以上見詰めてると、瞬の視線の先にある空にだって『あっちへ行け!』と怒鳴りつけかねない男だ。 まあ、そんな男でも、瞬の言葉にはちゃんと耳を傾けるし、瞬の提案になら妥協することもできたから――友情と信頼で結ばれていた仲間たちの間に恋情なんてものが持ち込まれても、仲間としての俺たちの関係は、かろうじて崩壊せずに済んでいた。 瞬の分別のおかげで、なんとか。 「氷河。僕は、そういう意味では、氷河だけを好きだよ。ずっと氷河を好きでいるって誓うから、星矢たちとお喋りするくらいのことは許して」 その、分別のある瞬が、気を荒立たせている氷河の沈静化に乗り出してくる。 さすがに瞬を怒鳴りつけることはできなかったらしく――瞬の願いを叶えてやらないこともできなかったらしく――瞬に そう“お願い”されると、氷河は怒らせていた肩から少しずつ(おそらくは なけなしの理性の力を総動員させて、なんとか)力を抜いていった。 瞬の“お願い”をきいてやる代償を求めるところが、転んでも ただでは起きない氷河らしかったが。 「本当に、ずっと俺だけだな」 氷河が瞬に念を押す。 「うん」 瞬が頷くのを確かめると、氷河は、またまた とんでもないことを言い出した。 「なら、それを――そうだな。星矢と紫龍に誓え」 『呆れて物が言えない』ってのは、こういうことを言うんだ。 そう、俺は思った。 呆れて ものが言えない状況に陥ってたから、俺は ただひたすら ぽかんと口を開けてるだけだったけど。 でも、(これまた呆れたことに)瞬は、そんな俺と紫龍に真顔で誓ってみせたんだ。 「僕はずっと氷河だけを好きでいることを、星矢と紫龍に誓うよ」 って。 んなこと誓われても困るって。 だいいち、誓いだの約束だの、そんなのは結局はただの言葉だろ。 法的に瞬を縛れるものでもないし、現代は、法的に貞操義務の生じる婚姻契約を結んだ男女の5組に2組が、その約束を反故にする時代だぞ。 当事者でない気軽さで、俺は そう思っていた。 でも、そんな 無意味で傍迷惑で限度を超えて我儘な氷河の恋には、思わぬ効用があったんだ。 他でもない瞬の身に。 瞬は聖闘士だ。 地上の平和と人類の安寧を妨げる“敵”と戦うのが商売の。 そして、いつだって戦いは命がけだ。 一瞬の迷いや ためらいが、その身に死を招きかねない。 『絶対に死なないで、永遠に氷河を愛し続ける』 氷河に そう誓わされたせいで、その誓いを守るために、瞬は死ねなくなったんだ。 瞬は、『僕たちの戦いは無意味なの?』なーんて迷っていられなくなった。 瞬が死ねば、氷河が悲しむ。 もし そんなことになったら、氷河は、苦しみ、のたうちまわって、瞬を失ったことを嘆くだろう。 だから――氷河との誓いがあるから――氷河を裏切り 苦しめないために、瞬は いつだって、どんな過酷な戦いからだって生還した――生還しなければならなかったから。 氷河のやること為すことは滅茶苦茶で、傍迷惑の極みだったけど、その一事だけで、俺は奴の子供じみた振舞いを大目に見てやる気になれたな。 瞬は、冥界でハーデスに その身体をのっとられかけた時、簡単に自分の命を放棄しようとしたし、天秤宮で氷河を命をかけて救おうとした前科もある。 でも、今の瞬は、何よりも“自分が生き延びること”を優先させなければならないんだ。 それは いいことだ。 いいことだと、俺は思ったんだ。 瞬が氷河を嫌ってるっていうのなら話は別だけど、瞬は一応 氷河のことを好きみたいだったし。 全く心配してなかったって言ったら、それは嘘になるけどな。 万一 瞬が死ぬようなことがあったなら、その時 氷河はどうなるんだろう――って、俺は、少しだけ心配してはいた。 歴代の(っていう言い方も何だけど)氷河の大切な人の中でも、瞬は特別な人間だ。 母親は生まれた時から母親だし、師とか修行仲間とかってのは、言ってみれば、他者から与えられた情況によって得たもの。 でも、瞬は違う――恋は違う。 瞬は、氷河が初めて自分の意思で選んだ“大切な人”なんだ。 だからこそ、氷河は、これほど瞬に のめり込んでいる。 考えたくもないが、氷河が瞬を失ったら、奴は二度と立ち上がれないんじゃないかって、俺は思った。 誓いと約束でがんじがらめの瞬。 今は、それが いい方に作用してるけど、もし それが悪い方に傾き出したら――って、俺は心配してたんだ。 だけど――人の命ってのは、どこでどうなるのかわからない。 実際に死んでしまったのは、あれほど瞬に『絶対に死なずに、永遠に俺だけを好きでいろ』と 繰り返し誓わせていた氷河の方だった。 |