聖域の神話






アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の名は禁忌。
聖域の内では 決して口にしてはいけない名。
アンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣は永遠に封印された聖衣。
それらは、二度と再び 聖闘士の身を包み、正義と地上の平和のための戦いの場に臨むことはない。
ミラクとサダルは、そう聞いていた。
アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士は、アテナの聖闘士でありながら、先の聖戦でアテナを裏切り、ハーデスの側について 聖域と戦った忌まわしい聖闘士たちなのだと。

最初はそうではなかったらしい。
彼等が この聖域に最初に姿を現わしたのは、アテナの聖域降臨の際。
その時には彼等は、アテナをアテナと認めない聖域の黄金聖闘士たちを敵にまわして戦い勝利するという奇跡を成し遂げた、アテナに特に信を置かれた有力な聖闘士たちだった。
先の聖戦の際、冥界の王ハーデスが起こした日蝕を この聖域で見ていたという兵たちは そう言っていた。
結局のところ、アテナはハーデスに勝利し この聖域に生還したのだが、その時 裏切り者の二人はアテナと共に地上に帰ってくることはできなかった。
二人は おそらく崩壊していった冥界と運命を共にしたのだろう――と。

アテナの信も篤く、アテナのために幾多の戦いを戦い勝利してきた二人が、なぜアテナを裏切り、アテナの敵であるハーデスにくみすることになったのか。
ミラクとサダルが、その謎を気にするようになったのは、彼等がそれぞれに防御力と冷温系の技に特に優れた聖闘士候補の少年たちだったからだった。
彼等の師たちが、ミラクの防御の技を見て『アンドロメダ座の聖衣が封印されていなかったら』と、サダルの生み出す凍気の力を見て『白鳥座の聖衣が封印されていなかったら』と そんなことを呟くのを、彼等が幾度も聞かされていたからだったのである。

「僕の先生が、アンドロメダ座の聖衣が封印されていなかっなら、すぐにでも僕に聖闘士の資格を与えてやれるのにって、言ってたんだ。笑いながら言ってたから、多分冗談のつもりだったんだろうけど」
「俺も、似たようなことを言われた。白鳥座の聖衣がもう一つあったなら、今すぐにでも 俺は白鳥座の聖闘士になれるだろうと。俺の先生はあまり冗談を言わない人だから、今ひとつ判じ難いけど、多分ただの戯れ言……のつもりだったんだろうな」
それがたとえ冗談であっても、戯れ言であったとしても――聖闘士の資格を与えてもいいと判断できるほどの力は備わっているのに、適当な聖衣がないから聖闘士になれないという現実は、ミラクにもサダルにも どうしても合点できないことだった。

聖闘士の聖衣は、黄金聖衣、白銀聖衣、青銅聖衣、合わせて88。
たった88しかないということは わかっていた。
聖闘士になれるかどうかは、その実力もさることながら、聖衣との巡り合わせが――つまりは、運が――重大な要因なのだということも。
しかし、力はあるのに聖闘士にしてもらえないというのは『努力しても無駄』と言われているも同じこと。
現在 この聖域にいる聖闘士候補の少年たちの誰よりも努力し、誰にも負けないという自負があるだけに、師にそう言われるたび、二人の胸中は穏やかではなかったのである。

「どうして アンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣は封印されてるのかな」
「それは、アテナと聖域への裏切り者の聖衣だからだろう」
「その封印を解いたら、聖闘士にしてもらえるんだろうか、僕等も」
「かもしれないけど、縁起が悪くないか? 裏切り者の身を包んでいた聖衣なんて」
「いっそ 箔がついていいじゃないか。アテナを裏切った聖闘士の聖衣を、僕等が僕等の力で捻じ伏せるんだ。そういうのって、みんなに一目置かれると思わないか?」
「でも、肝心の聖衣がどこにあるのか わからないのではな。そもそも、その二つの聖衣が この地上に存在するのかどうかも怪しいんだ。崩壊した冥界に埋もれてしまったのかもしれない」
「けどさ、二つの聖衣は『封印された』って言われてるんだろ。『失われた』とは言われずに。ってことは、聖衣そのものは壊されずに、どこかにあるってことだろ。当人たちの身体は冥界でも、聖衣は この聖域のどこかにあるんじゃないかな。僕の先生が、以前、飛んできた黄金聖衣に助けられたことが何度かあるって言ってた。聖衣には聖衣の意思があって、自分をまとう資格のある者を選ぶんだって」
「それは、俺の先生も言っていたが……」
「だろ? ってことはさ、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士は冥界で死んだにしても、聖衣だけは この聖域に飛んで戻ってきてる可能性大ってことだよ。それくらいでなきゃ、神話の時代から現代まで何千年も聖闘士の聖衣が伝わり残ってるはずがないだろ。だから、探そうよ、アンドロメダの聖衣とキグナスの聖衣」
「……」

ミラクは可愛い顔をしているのに、気が強く、とんでもない恐いもの知らずである。
探して、その聖衣に選んでもらえなかった時のことを考えていない。
出会いさえすれば、聖衣は自分を選ぶものと決めてかかっている。
果たして そう上手くいくものだろうか――と、サダルは、楽観的な未来をしか見ていないミラクの茶色の瞳の前で懸念したのだった。

先の聖戦が終わって3年。
その1年後に、ミラクとサダルは、すべての黄金聖闘士と白銀聖闘士のほとんどがいなくなった聖域にやってきた。
聖闘士になる夢を抱いて。
その時 聖域にいた聖闘士は、数人の白銀聖闘士と10人に満たない青銅聖闘士だけ。
肉親のいない二人が夢だけを持って この聖域にやってきた時には既に、アンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣は過去の伝説の中にだけ存在する聖衣のように語られていた。
その聖衣の持ち主だった者たちも。

軍兵というより工兵と言っていいような兵たちから 初めて二人の聖闘士の話を聞いた時、サダルは、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士を、キリスト教で言うところのルシファーのようだと思ったのである。
神に仕える天使たちの中で最も強く美しく、神に愛されていたというのに、神が人間を創造し育てることを始めるや、神の愛を信じることができなくなって神に反逆し、闇の世界の王となった天使長ルシファー ――暁の星。
アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士は、そのままルシファーに重なると、サダルは思った。
ルシファーとの違いは、天使ならぬ人間の身の二人の裏切者が、アテナとの戦いの中で あっさり その命を落とした(と言われている)ことだけ。
アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士が、今は、平和を脅かす脅威としてではなく、過去の伝説の登場人物として語られているということだけだった。

「でも、黄金聖闘士が全員、白銀聖闘士のほとんどが命を落とした戦いって、どんなすごい戦いだったんだろうな、ハーデスとの戦いというのは」
サダルが微妙に話の方向を変えたのは、禁忌の聖衣や聖闘士に向かっているミラクの気持ちをどこかに逸らそうと考えてのことだった。
サダルとて、聖闘士にはなりたい。
だが、聖闘士になることを願うあまり、禁忌の聖衣に手を出し、そのせいで余計な災厄に見舞われるようなことを、サダルは避けたかったのである。
サダルは、自分の力や時間は、アテナと地上の平和を守るためにこそ使いたかった。
とはいえ、まず聖衣を授かって聖闘士にならないことには、アテナの側近くに控え従うことすら許されない現実には、サダルも焦慮やジレンマを覚えないわけにはいかなかったのだが。

「そりゃあ、ものすごかったんだろ。僕たちの先生は最後までアテナと共に戦って、エリシオンまで行ったって言ってた。そこで、神々と戦ったんだって。言ってみれば ただの人間にすぎない先生たちがだぞ」
「青銅聖衣が神聖衣になったんだろ。すごいよな。俺たちはきっと かなりラッキーなんだ。そんなすごい聖闘士を師として仰げてるんだから」
『だから、焦らずに待つべき』なのか、『だから、聖闘士になれずに終わるわけにはいかない』なのか。
ミラクほどせっかちにではないが サダルも、自分が信じ進むべき方向を見失っていたのである――もとい、迷っていたのだった。

「でもさ、『アンドロメダ座の聖衣でいいから、僕にください』って言ったら、僕の先生、あの聖衣は半端な奴には扱えない聖衣だって言って、珍しく ものすごく怒ってさ」
「俺も言われた。おまえには到底 無理だって。俺の先生は、怒ってはいなかったけど、でも、にべもなかったな」
「『僕にはもう 聖闘士になれるだけの力は既に備わってるんでしょう』って言ったら、『未熟者が思いあがるな』って」
「同じく。『たとえどれほどの力が身についても、アテナが許しても、アンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣を、あの二人以外の人間が身につけるのは絶対に許さない』と、俺の先生は言っていたな」
サダルが迷っているのは、師に そこまで言われてしまったせいでもあった。
たとえ聖衣を まとうにふさわしい力が備わっても、師がそういう考えでいるのでは、いつまで経っても自分が聖闘士になることはできないではないか――。
それが、できれば杞憂であってほしいサダルの懸念だったのである。

「アテナが許しても、かぁ。先生たちは、どういうつもりで そんなこと言ったのかな」
「アンドロメダとキグナスを憎んでるようには見えなかった」
「そりゃあ、一緒にアテナ降臨のために戦った仲間だったっていうから……。その仲間がアテナに反逆し、聖域の裏切り者になったんだ。先生たちも複雑な思いがあるのかもしれない」
「そうだな……」
だから言いにくいのだ。
それでも その聖衣が欲しいのだ――とは。

「そのあたりのことを知ってそうな人っているかな。事情がわかれば、先生方を説得する方法も見付かるかもしれない」
「聖域に長くいる人といえば、白銀聖闘士の摩鈴さんやシャイナさんあたりかな。だが、どっちも聞きに行くのは恐いな……」
「恐がってて、どーすんだよ! 僕たちが聖闘士になれるかなれないかの瀬戸際なんだぞ!」
「それはわかっているが……」
それはわかっているのだが、恐いものは恐い。
それでも結局 サダルは、恐いもの知らずのミラクに押し切られ、アンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣の謎の解明のため、白銀聖闘士の許に赴くことになってしまったのだった。






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