「ったく、アテナと教皇に直談判とは、おまえ等、師である俺たちの顔を見事に潰してくれたもんだな! 最近の若い者は恐れを知らないというか、図々しいにも程があるというか――」 「す……すみませんっ!」 さすがに、自分をここまで育ててあげてくれた師に口答えすることはできなかったらしい。 ミラクが、天馬座の聖闘士の前で 身体を縮こまらせ、顔を伏せる。 彼が彼の師に それ以上の叱責を受けずに済んだのは、温厚モードの教皇が くすくす笑いながら言った、 「星矢そっくり」 という一言のせいだった。 「おまえねー」 ミラクの師としての立場をなくした星矢が、怒らせていた肩から力を抜いて、ひどく情けない顔になる。 ごほんと わざとらしい咳払いをして、星矢は即座に自らの威厳の再構築作業にとりかかったのだが、その作業は完璧に成し遂げられることはなかった。 そんな星矢の横で、今度は紫龍が、彼の弟子を厳しい面持ちで詰責する。 「サダル、おまえがついていながら――おまえまでがミラクと一緒に暴走してどうするんだ。ミラクを抑えるのがおまえの務めだと、おまえには あれほど繰り返し言っておいたのに」 しかし、紫龍のその詰責も、瞬が口にした、 「紫龍が 星矢の暴走を抑え切れたことなんかないでしょう」 の一言で効力を失った。 「瞬……!」 紫龍が気まずそうな顔をして、教皇(の片割れ)の名を呼ぶ。 瞬は、小さな声で二人の仲間に『ごめんなさい』と謝って微笑した。 サダルは、師のそんな顔を見るのは、これが初めてのことだった。 もちろん、それで サダルの中にある師への尊敬の念が薄れることはなかった。 ただ、サダルは、聖域最強と謳われている青銅聖闘士たちのやりとりに、ひどく温かい気持ちになったのである。 優しく穏やかなアンドロメダ座の聖闘士と、傲慢な目をした白鳥座の聖闘士と、生気に満ち溢れた天馬座の聖闘士と、威儀を取り繕いながら人情家の龍座の聖闘士。 それぞれに姿も性格も全く異なる四人の聖闘士の、遠慮や気兼ねのない様子、そこから感じ取れる深い信頼や思い遣りや親近の感。 率直に、羨ましいと、サダルは思った。 その四人が、おそらくは歴代の聖闘士たちの中で最も多くの熾烈な戦いを戦い、勝利し、生き延びてきた聖闘士たちなのだ。 この楽しげで穏やかな やりとりを交わせるようになるまでに、彼等がどんな苦難や悲嘆に耐えてきたのかを思うと、今 この地上と聖域にある平和の重みを ひしひしと感じ取ることができる。 サダルは、今 自分の目の前で繰り広げられている明るい光景に、喉の奥が熱くなってきた。 「先の聖戦のあと、僕たちは、黄金聖闘士たちがいなくなった聖域を立て直さなければならなくなったの。何もかも失われたところから、ほとんど無から――。もちろん、アテナがいるのだから、絶望はしてなかったよ。でも、多くの者を統べるには組織化と統率者が必要で、それは急務だった。君たちのように新しく聖域に来た者たちを統率するには、権威作りというか、そういうものが必要で――」 「権威なんて……強い聖闘士がいれば、人はついていくものなんじゃ――」 「聖闘士の世界も戦闘力がすべてじゃないんだよ。力だけでは、平和は築けないし、守れない。聖域の象徴首長としてのアテナと、そして、実際に統率する教皇が、聖域には必要だった」 「瞬が、ハーデスの件で引け目を感じていて、もう自分は聖闘士ではいられないなんて馬鹿なことを言い出したから、聖域の責任ある立場に就かせることで重責を負わせて、責任感の強い瞬を聖域に引きとめようという魂胆もあったわね」 それまで、彼女の聖闘士たちのやりとりを笑って見詰めていたアテナが、新教皇誕生に関わる逸話を披露してくれる。 「瞬は優しすぎて、すぐ人に同情してしまうところがあったから、 ほぼ正反対といっていい性格を持つ二人の人間が、教皇という一人の人間を形成していたのだ。 二重人格の噂が立つのも道理である。 「じゃあ、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士がアテナと聖域を裏切ったっていう噂は――」 「ハーデスのことや冥界での戦いのことを、僕たち、誰にも事細かに説明しなかったから……。先の聖戦は犠牲も大きかったし、僕がとんでもないドジを踏んだし――」 「ドジ?」 「ハーデスは僕の身体を使って、地上の粛清をするつもりでいたの。僕は、ハーデスの力に抗えず、ハーデスに支配されかけた――ほとんど支配されてしまった……」 「ハーデスが とんでもない面食いだったんだ」 冷徹モードの教皇が、つらそうに瞼を伏せた瞬にちらりと視線を投げ、冗談なのか真実なのかの判断の難しいことを 真顔で言う。 事実でも嘘でも、それが温厚モードの教皇を庇うための発言だということは、ミラクにもサダルにもわかった。 「結局、瞬はハーデスの支配に屈しなかったのだし、ハーデスの野望は打ち砕かれたのだから、少しずつ情報が洩れて 間違った噂が立つよりは、大々的に説明会でも開いた方がいいと、私は言ったのだけど――」 「んな面倒なことしてられるかよ。俺がいかにカッコよく冥界の奴等と戦ったのか、みんなの前で自慢しろって? 奥ゆかしい俺には 到底できねーことだぜ」 星矢の謙虚な(?)言葉に、彼の仲間たちが 実に複雑怪奇な苦笑を作る。 天馬座の聖闘士が、冥界で いったいどんな戦いを戦ったのか――それはミラクとサダルには想像もできないことだった。 「教皇には紫龍が適任だと、僕は言ったんだけどね」 「おまえらが内緒で教皇ごっこしてる方がいいんだよ。人目につかない この建物の中で こっそりいちゃついてる分には、聖域の風紀も乱れないし、一石二鳥だ」 「いちゃつく?」 不意打ちのように飛び出てきた 場にそぐわない言葉をサダルが鸚鵡返しに問うと、星矢は悪びれた様子もなく頷いた。 そのまま、お鉢を冷徹モードの教皇に回してやる。 「教皇の間の奥で、毎日 思い切り いちゃつけてるだろ。それもこれも俺たちの粋な提案のおかげだぜ」 「その点には感謝している」 冷徹モードの金髪の教皇は、白々しいほどの無表情で、天馬座の聖闘士の言葉に首肯した。 「あ……えーと、では、つまり、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士は聖域の裏切り者でも何でもなくて、教皇になるために公の場から姿を消していた――ということですか」 サダルが、“考えを整理するため”を装って、その場にいる先達たちに確認を入れたのは、聖域を統べる重責を負った人物(たち)がこの神殿の中で“いちゃついている”という話を聞かなかったことにするためだった。 その思い遣りを(?)、天馬座の聖闘士が あっさり台無しにしてくれる。 「そ。こいつらは 「星矢。また、そんな間違った噂を立てられるようなことを――」 弟子の思い遣りを台無しにされた紫龍は、彼の仲間に渋面を向けたのだが、 「事実だろ」 その渋面を向けられた当の本人は 飄然としたものだった。 瞬が、開けっ広げに過ぎる仲間に困ったように何度も瞬きをしてから、聖闘士未満の二人の少年の方に向き直る。 「君たちの若くて元気な力に期待してます。でも、黄金聖衣を授けるには、君たちは まだ少し力不足だと、星矢たちは言っているの。小宇宙も、人間的にも。もう少し、今のままで頑張ってくれるかな。君たちはまだ若いのだから、焦ることはないよ」 師たちのやりとりに どうなることかと気を揉んでいたサダルは、温厚モードの教皇の励ましに ほっと安堵して、深く頷いた。 そんなサダルに、冷徹モードの教皇が冷水を浴びせかけてくる。 「しかし、本当に『最近の若い者は』だな。キグナスの聖衣がほしいからくれなんて、俺でも言わなかったぞ。まして、瞬の聖衣がほしいなんて、図々しいにもほどがある」 氷河の嫌味は主にミラクに向けられたものだったのだが、それで表情を引きつらせることになったのはサダルの方だった。 肝心のミラクは、罪悪感の『ざ』の字も知らぬげに、嫌味を投げつけてきた金髪の教皇を睨みつけている。 我ながら損な性分だと、今更ながらにサダルは思ったのである。 「氷河、そんな意地悪 言わないであげて。サダルくんもミラクくんも、それだけ聖闘士になりたかったっていうことなんだから」 幸い、サダルのいたたまれなさは、冷徹モードの教皇をたしなめる温厚モードの教皇の一言が解消してくれた。 更には、嫌味モードの教皇を挑むように睨みつけたままのミラクが、小さな声で「ごめん」と謝ってくるに及んで、サダルは自身の心を完全に浮上させることができたのである。 サダルは――おそらくミラクも――どんなに努力しても聖闘士になることはできないのではないかという不安に囚われて、平常心を失っていただけだった。 努力が報いられる可能性があるのなら――希望があるのなら――待つことは苦ではないし、これまで以上に努力することもできる。 自分たちが本当に欲しかったものは、もしかしたら聖衣などではなく、希望だったのではないかと、サダルは今になって思ったのだった。 多分そうだった――と。 胸に希望の灯をともされた状態で、改めて その場にいる先達たちを見ると、彼等が――聖闘士未満の未熟な二人を優しく励ましてくれる温厚モードの教皇も、その瞬の隣りに立つ冷徹モードの教皇も、彼等の師である天馬座の聖闘士も龍座の聖闘士も、そして この聖域の首長であるアテナでさえ、まだ若い――ひどく若いことに気付く。 彼等は、若すぎるといっていいほどに若かった。 どれほど多く見積もっても3、4歳しか歳の違わない この人たちを、サダルは これまでずっと、敬いながら恐れていた。 強くて恐い人たちだと思っていた。 実際に彼等が強いことは感じるし、わかる。 彼等の圧倒的な小宇宙の力に触れれば、それは実際に拳を交えてみなくても わかりきったことだった。 おそらく、幾多の戦いを戦い、多くの修羅場をくぐり抜けてきた彼等は、その稀有な経験によって、小宇宙の力だけでなく人間的にも、歳不相応なものを備えているのだろう。 それほどの人間性や小宇宙が自らに備わっていないことは、サダルにも素直に認めることができた。 若すぎるほどに若くても、彼等は尊敬に値する聖闘士なのだということが。 何といっても、彼等は、聖闘士未満の未熟な子供たちに大きな希望を与えることのできる人たちだった。 「あ、それでさ、さっきも言ったけど、氷河と瞬が教皇だってことは、一応 秘密な。姿を消す必要のない二人が同時に聖域から姿を消したんだから、摩鈴さんや邪武たちは薄々 気付いているとは思うんだけど、それでも一応」 「アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士が聖域の裏切者だという噂は 放っておいてもいいんですか」 「事実はそうではないということを知っている者は多くいるし――伝説や謎の一つや二つはあった方がいいんだ、こういう場所では」 「ほも教皇のめくらましにもなるしな」 「あのー……。それで、二人は本当にそういう仲なんですか」 「ミラク……!」 自分たちは聖闘士になることはできないのではないかという不安が嘘のように消え、希望を――それも、信じられないほど大きな希望を――手に入れることができた。 ミラクの無謀で始まった この騒ぎも平和裏に収束しようとしている 今この時に、ミラクはどうして余計な一言を口にしてしまうのか。 正直、サダルは、今ばかりは全力でミラクを怒鳴りつけてやりたい衝動にかられたのである。 「あ……あの、それは……」 ミラクに真正面から真顔で尋ねられた瞬が、身の置きどころをなくしたように視線を周囲にさまよわせ、最後に真っ赤になって俯く。 サダルが懸念した通り、ミラクの不躾な一言は、冷徹モードの教皇の逆鱗に触れたようだった。 「星矢! このデリカシーのないクソガキを、二度と無駄口を叩けなくなくなるくらい、厳しく躾けろ! おまえのことだから、修行と称して、毎日 弟子と一緒に遊び呆けているんだろう! そんなことで聖闘士ひとり育てあげることができると思っているのか!」 「うへ。やぶへび」 「紫龍、貴様もな! 自分にできなかったことをできる弟子を育てあげてこそ、人は人の師たりえるんだ。その地味で気概不足のガキを、もっと毅然とした男に育てあげるのが貴様の務めだろう!」 「おい、俺にまでとばっちりを食らわせる気か」 静謐が守られるべき教皇の間に、金髪の教皇の怒声が響き、木霊する。 教皇の威厳も何もなく感情的にわめきたてている氷河を呆れた顔で見やりながら、ミラクの師が、 「教皇様がああ言ってるから、明日から覚悟しとけ」 とミラクに告げ、サダルの師が、己れの弟子に同情したように、 「この理不尽な とばっちりに耐える強さを身につけることが、おまえの当面の課題だな」 と、サダルに告げる。 自分には希望があり、弟子の苦境を理解してくれる師もいる。 そう思えばこそ、サダルは、この理不尽な とばっちりに耐える力を身につけるために邁進していく決意を為すことができたのである。 「頑張ります……!」 「僕も頑張るぞー」 「二人とも、前向きで素直でいいね」 まだ頬の上気を完全に冷ましきれていない瞬が、聖闘士未満の二人を見詰め、微笑む。 金髪の教皇の方は――彼もまだ その怒りは完全に静まってはいないようだったが――、それでも彼は温厚モードの教皇の意見に反論することはしなかった。 今 現に この世界に生きていて、しかも、若すぎるほど若いにも関わらず、既に伝説と化しているような聖闘士たち。 いつかは この人たちを超えることのできる日が来るのだろうかと考えると、その道程のあまりの はるかさに目眩いを覚えそうになる。 それでも いつか、その日は来なければならないのだと、サダルは思うことができたのである。 彼の胸の内には希望があったから。 そして、サダルは、神話とは 実は こんなふうにして人間によって創られていくものなのかもしれないと、思うともなく思ったのだった。 Fin.
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