「神様、神様! ああ、誰か、氷河を助けて!」
自分には氷河の決意を翻させることはできないと悟ったのでしょう。
だから、瞬は、いるはずのない神様に救いを求めたのでしょう。
神様なんているはずがないと、氷河は思っていました。
そんな便利なものが本当に存在するのなら――優しい瞬がこんなに苦しむのを、神様が黙って見ているはずがありませんから。

なのに、それはやってきたのです。
警備員たちが手にしているライトの光など、羽根のように軽く消し去ってしまほど強く眩しい光に包まれて。
「私を呼んだかしら」
なーんて、のんきなことを言いながら。

神様なんていう非科学的なものを信じていない警備員や氷河は、その光にびっくりしました。
神様を信じているはずの瞬も、なぜか びっくりしたようでした。
「か……神様?」
かすれた声で瞬に尋ねられた神様が、
「ええ。アテナというの。よろしくね」
緊迫感のまるでない声で答えてきます。
そうしてから、彼女は、その声を少し厳しいものに変えて、言葉を重ねました。
「言っておきますけど、私は、呼ばれたらどこにでも行くというわけじゃないのよ。あなたが自分の命より大切なものを守ろうとしているから、あなたに逃がしてもらった子供たちが あなたを救うためにここに戻ろうと言い始めたから、あなたのために鳥さえも その命をかけようとしているから、その たくさんの心に動かされて、私は特別に ここに来てあげたの。天は自ら助くる者を助く。そこのところ、誤解しないでちょうだいね」

突如 眩しい光と共に現われた女神様は、何やら言い訳めいたことを ぶつぶつ言っていましたが、瞬には神様の登場理由なんてどうでもよかったのでしょう。
瞬はすぐさま、のんびりした女神様に自分の願いを知らせました。
「はい。あの……女神様、お願いです。氷河を助けて。氷河をどこか安全なところに連れていってください……!」
瞬が助けてほしいと言ったものの上に、女神様は ちらりと視線を投げました。
そして、ほとんど迷うことなく、首を横に振りました。
「ああ、この鳥はだめよ。あなたがここにいる限り、動かないつもりだから」
「神様だったら、氷河をどこかに連れていくことくらいは――」
「神様だって、愛の力には敵わないわよ。別の願いにして」
「そんな……」

神様も決して全能というわけではないのでしょうか。
ただ一つの望みを却下されてしまった瞬は、不運にも悪魔に出会ってしまった人間のような目をして、のんきな女神様を見上げることになってしまったのです。
急に『別の願いにして』なんて言われても、瞬にはどうすればいいのかわからなかったのでしょう。

すっかり困って眉根を寄せた瞬の代わりに、
『俺を人間にしてくれ!』
と大声で叫んだのは氷河でした。
残念ながら、その女神様は鳥の神様ではなく人間の神様だったようで、氷河の必死の訴えを華麗に無視してくれましたが。
瞬の願いなら聞いてくれるのかと考えた氷河は、女神様に直接訴えるのをやめ、今度は瞬に向かって大声で言ったのです。
『瞬、俺を人間にしてくれと願え。そうすれば、俺たちは ずっと一緒にいられるようになる!』と。
けれど、残念ながら、氷河の言葉は 瞬に通じませんでした。
心は通じ合っているのに、おかしな話です。

もし氷河の言葉を理解できていたら、瞬はその願いを氷河に代わって女神様に伝えていたでしょうか。
それは誰にも――氷河にも、女神様にも、瞬自身にもわからないことです。
どちらにしても、瞬は、次の瞬間には、瞬が一生懸命考えた“別の願い”を口にしていましたから。
「じゃ……じゃあ、僕を鳥にしてください! 僕が氷河といつも一緒にいられるように!」
瞬のその願いを聞いた氷河は、とってもびっくりしました。
けれど、女神様は あまりびっくりした様子を見せませんでした。
ただ、瞬の決意が真摯なものであることを確認するように、
「それならできるけど、本当にいいの? 鳥の生活も大変よ。人間には銃で狙われるし、毎年何千キロも渡りをしなければならないし」
と念を押しただけで。

その確認行為は、けれど、瞬には不要のものだったようです。
瞬は、ほとんど夢見るような目をして、
「でも、氷河と一緒にいられる」
と、女神様に答えましたから。
女神様は、それで得心したようでした。
「そうね。それがいちばん大事なことだわね。いいわ。その願い、叶えてあげましょう。ついでに、怪我も治してあげる」

その場で、その展開に得心がいっていなかったのは、多分氷河だけでした。
いいえ、氷河は、瞬の言葉が信じられなかっただけでした。
『氷河と一緒にいられる』から鳥になりたいだなんて、あんまり嬉しすぎて、氷河には 瞬の願いが すぐには信じられなかったのです。
嬉しくて、ぽかんとしている氷河の前で、瞬の腕は白い翼に変わっていきました。
やがては、その身体も。

「しゅ……瞬、本当にいいのか」
氷河は震える声で、瞬に尋ねました。
「僕、いつも鳥になりたいって思っていたの。そうすれば氷河と一緒にいられるから」
瞬は、そんな氷河に、微笑んで答えてくれました。
心と一緒に言葉も通じる幸せ。
氷河は嬉しくて嬉しくて、飛ぼうと意識したわけではなかったのに、その身体がふわりと宙に浮かび上がってしまいました。
おそらく氷河と同じ気持ちでいた瞬の身体も、同じように ふわりと軽く宙に浮き上がります。

そうして、ふたりは並んでそこから飛び立ったのです。
銃で狙うことも忘れ、人間たちは、白い二羽の鳥が 丸い月が一つだけある空を嬉しそうに飛んでいくのを、ただただあっけにとられた顔で眺めているばかり。
互いのために命をかけられる ふたりの心からの望みを叶えてやることができて、大層 満足したのでしょう。
温かい光のかけらを その場に残して、いつのまにか女神様の姿も そこから消えてしまっていました。


瞬は、元が がりがりに痩せていましたから、かなりみすぼらしい白鳥になりました。
氷河の仲間たちは、王様はなんてみっともない鳥を連れてきたのかと大いに呆れることになったのです。
でも、氷河には、世界中の誰よりも何よりも 瞬がいちばん綺麗に見えていましたから、そんなことは無問題。
瞬を醜いなんていう奴は どんな目に合うか覚悟しておけと、氷河は言葉にこそはしませんでしたが、それは気迫で他の鳥たちにも わかったのです。

時間が経つにつれ、瞬はどんどん綺麗になっていきました。
だって、氷河がいつも側にいて、とっても優しくしてくれるんですからね。
瞬が綺麗にならないはずがありません。
瞬はまもなく、群でいちばん綺麗な白鳥になりました。
そうなると群の鳥たちは ころっと態度を変え、『さすがに王様は見る目がある』と氷河を大いに褒め称えました。
氷河に見る目があったというより、それは愛の力によるものだったのですけれど。
そして、他の鳥たちが何をどんなふうに言おうと、そんなことは氷河にも瞬にもどうでもいいことだったのですけれど。

ふたりはふたりが一緒にいられることが嬉しくてなりませんでした。
それが、ふたりのただ一つの願いでした。
その上、互いの望みが同じだったことを、心だけでなく言葉でも確かめ合うことができるようになったのです。
これ以上の幸せはありません。

幸せなふたりは、きっと今でも、仲良く並んで どこかの空を飛んでいることでしょう。
晴れた冬の日には、空を見上げてみてください。
もしかしたら、幸せそうに寄り添って青い空を飛んでいる ふたりの姿を見ることができるかもしれませんよ。






Fin.






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