あれから幾度もクリスマスの日は巡ってきた。 そのほとんどを、今日はクリスマスだと意識することなく、瞬は過ごしてきた。 クリスマスをクリスマスと意識できるようになったのは、彼が聖闘士になって日本に戻ってきてからで、そうなっても瞬の仕事は相変わらず『サンタクロースはいる』と子供たちに信じさせること。 なぜ 人は、自分自身は信じてもいないサンタクロースの存在を、自分以外の人間には信じていてほしいと思うのか。 冷静になって考えてみれば それは実に奇妙なことだと、瞬は、今になって自分の心を疑い始めたのである。 ともあれ、星の子学園の子供たちには、今年も無事にサンタクロースはいるのだと信じさせることができた。 年に一度の大事業を成し遂げて肩の荷をおろした瞬と その仲間たちが城戸邸に帰ると、エントランスホールにあったクリスマスツリーは既に片付けられてしまっていた。 「祭りというものは、どんな祭りでも、準備期間は うんざりするほど長いのに、終わりは いつもあっというまだ」 紫龍の低い呟きに、瞬は無言で頷き同意した。 おそらく、星矢と氷河も同じ気持ちだったろう。 ツリーが置かれていた場所が妙に空虚に感じられるエントランスホールを突っ切って、アテナの聖闘士たちがラウンジに入る。 そうして彼等が それぞれの定位置に腰をおろし、瞬がクリスマスという祭りの終わりに ほっと安堵の息をついた時だった。 「サンタはいる――か。あの時は、大変だったな。瞬が大泣きして」 氷河が、ふいにそんなことを言い出したのは。 “あの時”がどの時なのか、瞬にはすぐにわかったのだが、同時に瞬は 氷河のその言葉に軽い驚きを覚えたのである。 “あの時”のことを、氷河は忘れてしまった――忘れてくれているものとばかり、瞬は思っていたから。 紫龍の“あの時”の記憶がおぼろなのは、どう考えても、あの時の騒ぎが、“泣き虫で名を馳せていた子供が泣く”という、ありふれた出来事で構成されたものだったからである。 同じように、そんな ありふれた出来事は、氷河も忘れてしまったのだろうと、瞬は一人で勝手に決めつけていたのだ。 だが、星矢へのプレゼント作りに協力した――いってみれば、当事者の一人である氷河は――“あの時”のことを忘れてはいなかった――ちゃんと憶えていたらしい。 「あの時は、ほんと、おまえが雷が落ちたみたいに泣きわめくから、俺、サンタクロースどころじゃなくなってさー」 そして、氷河だけでなく、もう一人の当事者である星矢も、どうやら“あの時”のことを忘れてはいなかったらしかった。 もっとも、星矢の中では、あの時のことは 既に笑い話にできるほど昔の出来事になってしまっているようだったが。 多分、それは自然なことで、当然のことで――そして、良いことでもあるのだと、瞬は実に複雑な気持ちで思ったのである。 “あの時”のことは、笑って話せるほど昔の、懐かしい出来事になってしまったのだ――。 「僕、サンタクロースを信じていてほしかったんだ、星矢には」 「……」 瞬の苦労は報われなかったのだろう。 だから、星矢は、瞬に済まなそうな目を向けてきた――。 「俺、あのヤジロベエを持って聖域に行ったんだぜ。サンタも悪くはないけどさ、俺のためにサンタの振りしてくれる仲間がいることの方がずっと励みになるって思ってさ」 「……星矢、あれ、捨ててなかったの……?」 「捨てたりするわけないだろ。おかげで、ひどい目に合ったんだぜ。あれを摩鈴さんに見付けられちまったのが運の尽きで――。『ちょうどいいから、それを使って、力の釣り合いについて教えてやる』とか言われてさ。どうしてヤジロベエは釣り合うのか説明してみろだの、同じ力を持つ者同士が戦って勝つには、どういう力の使い方をすればいいのか理論的に説明してみろだのって言われて、ほんと 散々な目に合った。今は、星華姉さんのところに預けてあるんだ、あれ」 「そう……」 瞬の微笑に会って、星矢はますます申し訳なさそうな顔になった。 おそらく、サンタクロースを信じ続けることができなかった子供の頃の自分に、彼は 罪悪感のような思いを抱いたのだろう。 星矢は悪くないのに――と、瞬は思ったのである。 悪いのは、あの時の星矢の本当の気持ちをわかってやれないほど子供だった自分の方なのだ――と。 あの時、星矢が本当に信じたかったのは、サンタクロースの存在ではなく、姉に再会できる未来の星矢自身だった。 瞬は、そんな星矢の真実の願いに気付いてやることができずに、サンタクロースはいるのだと訴え続け、そして、星矢を困らせたのだ。 幼い瞬の努力――完全に努力する方向を間違えた徒労――とは関係なく、星矢の願いは叶った。 星矢は姉に再会した。 それはとても喜ばしいことで、瞬自身にも星矢の切願の成就は 我がことのように嬉しい出来事だった。 ただ少し――星矢の本当の願いに気付いてやることのできなかった幼い頃の自分が悲しかっただけで。 瞬の微笑が切ないものになり、そんな瞬の頬に、氷河が手の甲で触れてくる。 首をかしげた瞬の視線を捉え、氷河は その口許に微かな笑みを浮かべた。 「星矢みたいに阿呆な奴のことなど気にするな。星矢はあの時、サンタクロースはいないと思ったらしいが――俺は、逆に、あの時、サンタクロースは本当にいると確信したんだぞ」 「え……?」 思いがけない氷河の言葉に、瞬は瞳を見開いたのである。 氷河のその言葉を、瞬は最初、単なる慰めの言葉だと思った。 仲間のためのものではなく、恋人のためのものであったとしても、それは単なる慰撫の言葉にすぎないだろうと。 しかし、氷河の眼差しは至って真剣で、彼の瞳には、恋人に向ける優しさではなく、かつては幼い子供だった一人の人間の真摯がたたえられていた。 「おまえが あんなにサンタクロースはいると言っているんだから、サンタクロースがいないはずがないと思った。いるのだと信じられるようになった。いるに決まっているだろう。おまえが いると言ったんだから」 『星矢も、大好きな人に言われたんじゃないかな。サンタさんはいるんだって。だから、サンタクロースはいるんだって、星矢はずっと信じてた――』 幼い頃に自分が言った言葉――を、瞬は再び思い出したのである。 幼い子供の浅慮にすぎなかったと後悔していた言葉が、氷河の告白によって、違う意味を持つ言葉に変わっていく。 「今は? 今もそう思ってるの?」 「もちろん、サンタクロースはいる。ただ、サンタクロースは、神と同じで決まった姿を持っていないんだ。俺のサンタクロースは、おまえの優しさに姿を変えて現われることが多いな」 「氷河……」 いつのまにか氷河の眼差しは 彼の恋人を見詰める者のそれに変わっていた。 瞬も、同じものを氷河に返す。 あいにく その場には彼等の仲間たちがいたので、残念ながら、氷河と瞬は そのまま二人だけの世界に突入していくことはできなかったが。 「なんだよ! 俺がサンタはいないって悟って、泣きながらオトナになった時、おまえはのんきに瞬にイカれて浮かれてたのかよ!」 こんなところで二人だけの世界を構築されてしまってはたまらないと言わんばかりの星矢のクレームに、氷河は 少し残念そうに――否、かなり残念そうに――両の肩をすくめた。 「ずっと浮かれて信じていたわけじゃない。瞬と別れさせられた時は、この世には 神もサンタもいないと思ったし、無事に生きて再会できた時には、やはりサンタクロースはいるのだと思ったな」 夢を持っていてほしいと願って『サンタクロースはいる』と言ってくれる人がいること。 苦しい時に挫けないでほしいと願って『神はいる』と言ってくれる人がいること。 それが幸せなことなのだと――そう言ってくれる人がいることが幸せなのだと気付くために、子供は大人になるのかもしれない。 「ああ。それから、初めて瞬と寝た時にも、世界中の人間がサンタクロースになって俺の幸運を喜んでくれているような気がしたぞ。ちょうどイブだったし」 「おい、氷河」 “あの時”に当事者でなかった紫龍は、初めて知らされた“あの時”の事情を、彼なりの感懐を持って聞いてくれていたものらしい。 感動的なサンタクロースの物語が急に 俗な次元に落ちていくのに、彼は渋面を作った。 「氷河……!」 紫龍の渋面に慌てて、瞬が氷河を睨みつける。 瞬に睨まれると、氷河はすぐに わざとらしい咳払いをして、居住まいを正した。 「初めて おまえに受け入れてもらえた聖夜には、世界中の人間が俺たちを祝福してくれているサンタクロースのように思えて、心から感動した」 「言い方を変えろっていうんじゃないの!」 真っ赤になって――瞬は、仲間たちの手前、氷河を叱責しなくてはならなくなったのだが、瞬は決して本気で氷河に腹を立てているわけではなかった。 これは氷河を厳しく叱責しなければならない場面だと思うのに、『いるに決まっているだろう。おまえが いると言ったんだから』と断言してくれた人を、瞬はどうしても強く責め咎めることができなかったのである。 サンタクロースを信じるということは、『サンタクロースはいる』と言う人を信じること。 その人の愛を信じること。 その人に巡り会わせてくれた運命と神を信じること。 もしかしたら、サンタクロースの存在を、より強い情熱をもって信じていられるのは、子供より、たくさんの愛に出会い知ったあとの大人の方なのかもしれない。 だから、大人たちは、子供たちにサンタクロースの存在を信じていてほしいと望むものなのかもしれない――。 瞬は、そう思ったのである。 『もちろん、サンタクロースはいるんだよ』と子供たちに語るのは、幸福な大人になることのできた人間の 聖なる義務なのではないか――と。 「僕、来年からは、もっと自信をもって、子供たちにサンタさんはいるんだって言ってあげられそう」 「言ってやれ。サンタクロースはいるんだから」 「うん」 今なら、瞬もサンタクロースの存在を信じることができた。 髭を蓄えてはいないし、赤い服も着てはいなかったが、その青い瞳で、『おまえが いると言ったんだから、サンタクロースはいるに決まっている』と言ってくれる人が、今は瞬の側にいたから。 サンタクロースを信じていられる子供は、幸福な子供です。 そして、きっと――サンタクロースを信じていられる大人は、最も幸せな人間です。 Merry Christmas To You
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