気がつくと、俺は真っ白な世界にいた。 地面は白、吐く息も白、遠くに見える山らしきものも白。 空も、かなり灰色が勝ってはいたが、やはり白。 そして、俺の頭の中も真っ白だった。 どうして自分がここにいるのかが、そもそも俺には わからなかった。 自分の名前も、どこから来たのかも、自分が何をするためにここにいるのかも。 その割りに、俺は、『ああ、多分、俺は記憶喪失とかいう病気に罹ってしまったんだ』なんて、そんなことは考えることができた。 そう。俺が すべての記憶をこれから作っていかなければならない生まれたばかりの赤ん坊じゃないのは確かだから、俺は自分がこれまで生きてきた間の記憶を失ってしまったんだ。多分。 周りのすべてを白色と感じるわけだから、当然のことながら、俺の周囲には俺以外の人間の姿もなかった。 俺は一人きりだった。 一人きりで――俺はなぜこんなところにいるんだろう。 それがわからなくて、だが、そこで黙って待っていても飢えか寒さで死ぬだけだろうと思ったから、俺はとりあえず歩き出した。 どちらに歩き出したのかは、自分でもわからない。 灰白色の空の いったいどこに太陽があるのかを、俺は見極めることができなかったから。 つまり、空にある太陽が昇りかけているのか沈もうとしているところなのかの判断ができなかったから、俺には方角がわからなかったんだ。 多分、そこは極点に近いところで、今は極夜。 この雲の厚さでは、星が出るのを待って、方角に当たりをつけるのも無理な話。 まあ、ここが南極で、俺が南に向かって歩いているのだとしても、ここが北極で、俺が北に向かって歩いているのだとしても、ひたすらまっすぐに歩いていれば、俺は極点を通り越して、いつかはどこかに辿り着けるだろう。 そんなことを考えながら、俺は無言で歩き続けた。 不安を覚えるとか、恐慌をきたすとか、そういうことをしてもいいんじゃないかと思わないでもなかったんだが、なにしろ 記憶のない人間は失うものが何もない。 自分の命が価値あるものなのかどうかさえ、俺には わからないんだ。 そんな人間に、何を恐れ、何を不安に思えというんだ? そんなことは無理な話だ。 だから、俺は、ただ静かに歩き続けた。 そうして、1、2時間。 幸か不幸か、俺は極点に行き着く前に、人間に出会うことができた。 薄着で、一人もくもくと歩いている俺を見て、その男――おそらく、3、40代の中年の男――は、かなり驚いたらしい。 絶滅したはずのマンモスか、こんな場所にいるはずのないアフリカ象にでも出会ったように、彼は俺を見て目を剥いた。 というか、その男は ぶ厚い毛皮のオーバーコートのようなものを着ていて、目以外の身体の ほとんどすべてを外気に当たらないようにしていたから、俺は彼の目をしか確認できなかったんだ。 男が俺に何か話しかけてくる。 口が防寒具で覆われているせいか、よく聞き取れない。 耳が慣れて、言葉を明瞭に聞き取れるようになってからも、俺は しばらく その男が何を言っているのかを理解できなかった。 俺は記憶と一緒に言葉まで忘れてしまったんだろうか? そんなことを、俺は頭の中で考えた。 考えて――そして、気付いたんだ。 俺が その男の言葉を理解できないのは、頭の中でものを考える時に俺が使っているものとは違う言語を彼が使っているからだということに。 そのことに気付いた俺は、自分の頭の中の使用言語のスイッチを切り替えた。 そうしたら、断片的に、彼の話している言葉の意味が理解できるようになった。 とはいえ、理解できるようになったのは、完全にではなく、切れ切れにだったから、その男が使っている言語は、記憶を失う前の俺が常用していた言語ではなく、せいぜい“聞きかじったことがある”程度の言語だったんだろう。 それでも なんとか、俺はそのおっさんと、徐々に互いの意思の疎通ができるようになった。 そうして、俺が得ることのできた情報は。 ここはシベリアの、ほぼ東の果て。 小さな村が数十キロおきにあるような――そういう土地だということ。 着太りしまくっているおっさんは、そんなところを とんでもない薄着で、しかも たった一人で歩いているなんて狂気の沙汰だと言って、正しく狂人を見るような目を俺に向けてきた。 だが、彼は、俺が行く当てがないのだと言ったら、『ならば、俺たちのところに来い』と言ってくれた。 彼は不躾ではあるが親切な男で――俺は記憶は失っていたが、人の親切に感謝する気持ちまでは忘れていなかったから、丁重に彼に謝意を告げたさ。 そんなやりとりのあとで、その着太った おっさんが案内してくれてた“俺たちのところ”。 俺は 氷の家でも出てくるのかと思っていたんだが、彼が俺を連れていったのは、白い氷原に並んで建つ木造の2軒の小屋だった。 小屋の中に入る前に、おっさんが大声で仲間を呼んだら、2軒の小屋の中から おっさんと似たり寄ったりの格好をした男たちが6、7人 ぞろぞろと出てきた。 「こんなところで、男だけで暮らしているのか?」 と俺が聞いたら、おっさんは、 「まさか」 と言って、鷹揚に笑った。 彼等の本来の住居は、ここよりもっと内陸の村にあるらしい。 彼等はセイウチ猟のために、家族のいる家を離れ、しばらく海に近いこの場所に“出張”してきている――ということだった。 俺が何も――自分の名前も、家族のことも、住んでいた場所も――憶えていないと言ったら、小屋から出てきた他の男たちは俺に いたく同情して、猟が終わって村に帰ったら、そこからどこかにでも連絡してやると言ってくれた。 『どこにでも連絡してやる』と言われたところで、連絡先もわからない俺にはどうしようもないと俺は思ったんだが、まあ いざとなったら警察か、それに類するところに連絡を入れてもらえばいいかと、俺は考え直した。 招き入れられた小屋の中は、男しかいない家にしては意外に片付いていた。 もっとも、そこには生活に必要な最低限のものしかなかったから、散らかすものがないだけのことだったのかもしれない。 顔のほとんどを覆っていた帽子やフードの類を取った彼等の顔立ちはアジア系。 歳の頃は、20代から40代くらいまで ばらばら。 彼等は皆、風雪に耐えて生きている者の強さと、家族を守り養っている男の自信をたたえた顔の持ち主たちだった。 それに併せて、とんでもないほどの人のよさも見てとれたな。 互いに互いを信じ合っていなければ生きてはいけない場所――人を疑うようなことをしていたら生きてはいけない場所――に生きている人間というものは皆、こういう幸せそうな顔つきになるものなのかもしれない。 とにかく彼等は、人がいいのか、それが習性なのか、見知らぬ異邦人である俺に対して いたく親切だった。 “異邦人に対する隣人愛”なる宗教上の徳を実践するために、旅人や客人に親切にする風習のある地域が存在すると、俺は以前誰かに聞いたことがあったから(“誰か”というのが誰なのかを、当然 俺は憶えていないわけだが)、ここはそういうふうにするのが当たりまえのことになっている地域なのかもしれない。 仲間だけを愛し信じるのではなく、異邦人をも排斥することなく自然に受け入れ、その信頼を全人類に向ける人々。 少なくとも彼等は俺を悪党と決めつけるようなことはせず、肉の燻製やら温めたミルク――何のミルクかは知らないが――を、俺に分けてくれた。 明日からは、新鮮な生肉を食えるようになるから楽しみにしていろと言いながら。 俺は、実は かなり腹が減っていたらしい。 腹に食い物が入って生き返った気分になった俺には、いろいろと ものを考える余裕が出てきた。 と言っても、俺は、自分が何を考えればいいのかがわからなかったんだが。 何も憶えていない男が何かを考えたって、ろくなことにはならないだろうと とにかく、俺は生きている。 セイウチ猟のおっさんたちのおかげで、まだしばらく生き続けていられそうだ。 ならば、とりあえず思い煩うことは何もない。 俺はそう思ったんだ。 その時には。 |