「おまえ、なに、そんな しけたツラしてんだ? どっかの部屋の中ならともかく、あんな人目につく庭のど真ん中で堂々と瞬とラブシーンやらかしてくれやがって、おまえ、何もかもが万々歳の大団円じゃなかったのかよ?」 星矢が、ラウンジのソファに腰掛けている氷河に、彼の しけた顔の訳を尋ねることになったのは、その翌日。 早朝の軽いトレーニングを終えて、朝食をとるためにダイニングルームに向かおうとしていた時だった。 「『瞬のことは俺に任せておけ』とかなんとか、やけに自信満々で俺たちの手出しをシャットアウトしようとするから、何か妙だとは思っていたんだが、ああいうことだったんだな。なるほど、俺たちに手出しをされたくないはずだ」 戦いを恐れる仲間の救済を装って、ちゃっかり 自分の恋を実らせてしまった氷河に、紫龍は呆れ顔である。 しかし、恋が実ったばかりの男のそれにしては、確かに氷河の顔は 星矢同様、紫龍も、氷河のその様子には奇異の念を抱くことになった。 「何か別の問題が持ち上がったのか」 順風満帆に見えた氷河の恋に、早くも新たな問題が持ち上がったのか、だから、氷河は 幸せな恋人の顔をしていないのか。 そう考えた紫龍が氷河に問うと、問われた氷河は、苛立ちと歯痒さが入り混じったような顔で、新たに生じた不都合を、彼の仲間たちに知らせてきた。 「瞬が恐いと言うんだ」 「恐い? 瞬は戦いへの恐怖は克服したんじゃなかったのか」 「瞬が戦いを恐れているなんて、そんなことを信じる者は、今では この地上に一人として存在しないだろう。そうじゃなくて――瞬は、俺と寝るのが恐いと言い出したんだ……!」 「へ」 星矢が、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になったのは、瞬が恐れているものに驚いたからではなかった。 星矢が呆れ驚いたのは、どうやら氷河が、彼の恋を告白した その日のうちに、瞬をベッドに引き入れようとしたらしいこと、その非常識、あまりに性急すぎる氷河の振舞いを知ったせいだった。 兄を失ったと思い込んだ瞬が戦うことを恐いと言い出してから、聖域での戦いが終わるまでには、それなりの時間があった。 その間、辛抱強く、地道に、じわじわと――氷河は、彼が仕掛けた恋の罠に瞬を追い込んでいった。 そんな氷河を見て、星矢は、白鳥座の聖闘士は実は非常に慎重かつ堅実な男だったのだと、氷河の人物評を180度転換させかけていたのである。 その氷河の、この性急。光速拳も裸足で逃げ出す短兵急。 幸い 昨夜は瞬を取り逃がしたらしいが、星矢は氷河の非常識なまでの気の早さに 呆れないわけにはいかなかった。 しかし、氷河は、自身の行動を非常識な振舞いだとは、全く考えていないらしい。 彼は真顔で、瞬の臆病(あるいは慎重)を非難し始めた。 「いったい何が恐いというんだ? 命の危険もなければ、敵を傷付ける心配もない。俺は瞬を好きで、大切にしたいと思っている。もちろん、できる限り優しくする。となれば、それは、安全で、気持ちいいだけの行為だろう!」 「そ……そりゃまあ、そうかもしれないけど、瞬にも色々都合があるだろう。心の準備だってあるだろうし」 「俺が瞬に初めて好きだと言ったのは、瞬の糞兄貴が死んだはずの数日後だ。心の準備をする時間は十二分にあったはずだ!」 だが、それが空耳ではなかったことを瞬が知ったのは、つい昨日のことである。 氷河の言い分は、彼にだけ都合のいい勝手な思い込みにすぎないと思わないでもなかったのだが、氷河の自分勝手な思い込みを全面的に否定することは、星矢にも紫龍にもできなかった。 なにしろ彼等は、昨日、この場所から、瞬が自分から氷河に飛びつき抱きついていく様を、己が目でしっかり見届けたばかりだったのだ。 「瞬をソリ遊びにでも誘って、それは特段 恐いことではないと、瞬の耳許に囁いてやったらどうだ。おまえの得意技だろう」 「聖闘士に同じ技が二度 通じるかっ!」 紫龍の提案を、氷河が言下に切り捨てる。 氷河の怒声によって、今の今まですっかり忘れていた その設定を思い出し、紫龍は室内に空しい笑い声を響かせることになった。 「そういえば、そうだったな」 ならば、氷河は、瞬のカラダとココロの準備が整うまで、大人しく待つしかないではないか。 そんな常識的考えを氷河が受け入れるかどうかは はなはだ疑問だったが、とりあえず言うだけは言ってみようと考えた紫龍が、氷河に世間の常識というものを知らせようとした時、思い通りにならない恋で氷河を苛立たせている当の本人がラウンジに姿を現わした。 ここで『おはよう』も言わずに、 「瞬、おまえ、氷河と寝るのを恐がってるんだって?」 と訊いてしまえるところが、星矢が星矢たる ゆえんである。 「せ……星矢、急に何を……」 星矢の単刀直入にすぎる朝の挨拶に、瞬はその頬を真っ赤に染めた。 ここまで赤裸々かつ直截的に問題提起が為されてしまった今、婉曲的な言葉によって 問題解決を図ることは もはや不可能と判断した紫龍が、星矢同様 単刀直入な朝の挨拶を口にする。 「氷河は、おまえは恐がる必要はないのだと言っているぞ。おまえに できる限り優しくすることを約束するそうだ」 「あ……あの……それは……あの……」 瞬としては、まさか早朝から これほどヘビーな話題が我が身を襲うことがあるなどとは 想像してもいなかったのだろう。 星矢と紫龍の とんでもない朝の挨拶に、瞬は乙女の恥じらい全開である。 身の置きどころをなくしたような瞬のその様子は、昨日自分から氷河の首にしがみついていった人間と同じ人物のそれとは、なかなか思い難いものだった。 もっとも、星矢たちの挨拶に、瞬が今これほどたじろいでしまうのは、昨日の自分の大胆さを恥じらう気持ちが 今の瞬の中にあるからなのかもしれなかった。 なにしろ、瞬は、本来は、小心といっていいほど控えめで大人しい人間なのだから。――そういうことになっているのだから。 (一応)小心といっていいほど控えめで大人しい瞬は、その性質ゆえに、星矢と紫龍の とんでもない朝の挨拶をきっぱりと無視することができなかったらしい。 星矢と紫龍が これほど遠慮なく露骨に 自分に身の いずれにしても、仲間たちの不躾な質問をクールに聞き流すことができなかった瞬は、いかにも遠慮がちに、いかにも控えめ かつ ためらいがちな様子で、仲間たちの朝の挨拶に答えることをしてくれたのだった。 「だ……だって、僕、そんなことして 今よりもっとずっと氷河のことを好きになっちゃったら 恐いもの……。僕、初めて氷河に好きだって言ってもらった時からずっと、氷河のことを考えるだけで、心臓が破裂しそうな思いを味わっていたんだよ。昨日だって、あのあと、氷河と目が合うだけで恥ずかしくて、顔が燃えそうになって、どうしたらいいのかわからなくなって……。これ以上氷河のこと好きになったら、僕、氷河の顔を見るだけで息が止まっちゃうもの……!」 「へ……?」 「それはまた……」 瞬は冗談で のろけを言っているのか、それとも本気で本心を吐露しているのか。 9割9分9厘の確率で後者だろうと思えるから、星矢と紫龍は言うべき言葉を思いつけなかったのである。 恐怖心にも、いろいろな恐怖心があるものである。 未知の物事への恐怖心を克服し前進するのが、人が人生を生きることなのだと言っていいのかもしれない。 幸い 瞬は、戦いを恐れる気持ちの克服法をマスターしたばかり。 新たに生じた恐れの気持ちからも逃げることなく、堂々と立ち向かっていくことができるだろう。 それが いつになるのかは定かではないが、いつかは立ち向かえるようになるだろう。 そう信じることができるからこそ、星矢と紫龍は、 「まあ、それは経験を積んで慣れるしかないんじゃないか? 氷河の写真でも持ち歩いて、氷河の顔に慣れるところから始めてみたらどうかな」 「うむ。要はセブンセンシズだ。頑張ってくれ」 などという、無責任な助言を瞬に告げることができたのである。 瞬が戦いを恐れる気持ちを克服してくれたことで、仲間を失わずに済むことが確定し、星矢と紫龍の問題は解決済みなのだ。 新たに生じた問題は、問題の内容が内容なだけに、当事者同士で解決を図るのが最も適切な対応方法だろう。 星矢と紫龍は、クールにそう考え、その考えを実際の行動に移した。 つまり、当事者二人をその場に残し、彼等は 朝食をとるために尻を絡げてラウンジから退散したのである。 キグナス氷河が、瞬の恋ゆえの恐怖心を取り除き、男の本懐を遂げることができたのかどうかを知る者はいない。 Fin.
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