「この寒いのにシベリアに行くって !? 」 「もうすぐ春がくるよ」 星矢の素っ頓狂な声に、瞬は穏やかに微笑しながら、やわらかい声で答えた。 「そりゃあ、シベリアにだって、いつかは春がくるだろうけどさぁ。もうすぐ春がくるってことは、つまり、今はまだ冬だってことじゃん」 「冬の凍ってる海が見たいの。それに、オーロラやダイヤモンドダストも。そういうのって、冬じゃないと見れないでしょう。氷河が一緒に行ってくれるって」 「氷河が一緒に行ってくれるって、それは結構なことだけど、でも、この寒いのに、あの掘っ立て小屋に氷河と二人っきりでいたら危険だろ」 「アンドロメダ島も、夜には夏場でも氷点下になったよ。僕、暑いのも寒いのも平気なんだ。それに、せっかく氷河が――」 星矢が口にした『危険』は、瞬が考えている『危険』とは全く別の危険だった。 何といっても、星矢は、水瓶座の黄金聖闘士の凍気ですら無効にしてしまうほどの力を持った瞬が 地球上の自然の寒さごときで凍え死ぬことがあるなどという、ありえないことを心配するほど酔狂な男ではなかったのである。 もちろん、星矢の心配は別のところにあった。 「せっかく氷河が――って、じゃあ、この超季節外れの旅行の発起人は おまえじゃなく氷河なのかよ? 氷河、おまえは瞬に何を吹き込んだんだ!」 「吹き込んだとは何だ。人聞きの悪い」 「瞬が断れないような誘い方したんだろ」 「俺はただ、オーロラやダイヤモンドダストの季節が終わると言っただけだ。いつか瞬に見せてやれればいいと」 弁明にも何にもなっていない氷河の主張を聞いた星矢が、『やっぱり』という顔になる。 自分が瞬に悪い考えを“吹き込んだ”という自覚がないらしい氷河を、星矢は 口をへの字にして睨みつけた。 「そういうこと言われたら、瞬は、見たいって言わないわけにはいかなくなるだろ。そんなもの見たくないなんて、瞬に言えるわけないんだから」 「星矢。僕は別に氷河に無理強いされたわけじゃ……」 氷河の何気ない発言を悪事と決めつけている星矢の誤解を解こうと考えたのだろう。 瞬が、氷河と星矢の間に割って入ってくる。 が、星矢は、瞬の言葉には耳も貸さなかった。 「おまえのそんなセリフは 全然信用できねーの! おまえは、人に何かを無理強いされても、無理強いされたなんて言えない奴なんだから」 「僕、そんなことも言えないほど 気弱じゃないよ」 「気弱とは言わねーけどさ、おまえ、人の言うことに逆らって波風立てるくらいなら、言いたいことも我慢しちまうタイプだろ。あの小さな掘っ立て小屋に氷河と二人きりは、絶対危険だって」 「そんなに寒いの? でも、火を起こすことはできるんでしょ? それに、いざとなったら、僕の小宇宙で暖めれば……」 「だから、俺が言う危険ってのは、そういうことじゃなくてさ!」 「じゃあ、どういうこと?」 「……」 天馬座の聖闘士の心配の内容を 瞬に告げても無駄のような気がする。 その上、瞬は、すっかり 凍った海やらオーロラやらを見物するためにシベリアに行く気になってしまっているらしい。 仕方がないので、星矢は、危険回避のための一つの方策を、瞬に提案――むしろ、無理強い――することになったのだった。 「よし、じゃあ、こうしよう。おまえらはシベリアに行ってもいいけど、あの掘っ立て小屋には行かないこと。近くの町のホテルに、別々のシングルの部屋をとる。できれば、ホテルも違う方がいいんだけど、同じホテルでも最低、違う階にある部屋をとる」 「星矢がそうしろって言うのなら、そうするけど――」 人の言うことに逆らって波風を立てたくない瞬は、もちろん、星矢の指示にも逆らうようなことはしなかった。 とはいえ、さすがに、それを奇妙な提案だとは思ったのか、瞬は不思議そうに首をかしげることはしたのである。 「星矢は何を心配してるの。離れてたって、一緒にいたって、凍える時には凍えるよ」 「いいから、俺の言う通りにしろ!」 「……」 瞬が、瞬の常識で考えれば非常に不合理で不経済な星矢の命令に、何か言いたそうな顔になる。 が、人の言うことに逆らって波風を立てたくない瞬は、それでシベリア行きの許可をもらえるならと考えたらしく、結局は何も言わずに星矢の提案に頷いた。 瞬のそういうところが、星矢は心配でならなかったのである。 しかし、これまでの人生で培われてきた瞬のその性格を、今すぐ変えることは、瞬の仲間にも 瞬自身にも不可能なこと。 胸中の懸念をどうしても消し去ることができなかった星矢は、瞬ではなく氷河に対して、怒声で釘を刺すことになったのだった。 「氷河! よからぬ考えは起こすなよ!」 「俺はそこまで信用がないのか……」 幾分 落胆の勝った溜め息を一つ ついてから、氷河が星矢に尋ねる。 仲間への不信をあからさまにする星矢の態度に、さすがの氷河も少々めげることになったようだった。 そんな氷河を、星矢が更に苛立ったような声で再度 怒鳴りつける。 「俺が信用してないのは、おまえじゃなくて瞬の方! 瞬はおまえに無理強いされたって、おまえを傷付けたくないとか何とか言って、黙って我慢しかねない」 「俺はそんなことはしない」 「だから、それは わかってるってば!」 それは わかっているのである。 たとえ二畳一間の狭い茶室に二人きりで閉じ込められ、そこで一晩を過ごすことになっても、今の氷河が そういう行為に及ぶことはないだろう。 瞬に水を向けられでもしない限りは。 星矢が案じているのは、そういうことではなかった。 そういうことではなかったのだが、星矢は自分が本当に案じていることが何であるのかを、瞬にも氷河にも知らせることはできなかったのである。 それが星矢の敗因だった。 結局 星矢は、氷河と瞬のシベリア行きを阻止することができなかったのだから。 「僕、オーロラって一度も見たことないんだ。すごく楽しみ」 嬉しそうに頬を上気させて、氷河と共にシベリアに旅立つ瞬を、星矢は、思い切り不安の表情を貼りつけた顔で見送ることになったのである。 |