沙織には真面目に“善処”するつもりなどない。
彼女の『善処しましょう』は、極東の某島国の政治家同様、『あなたの陳情の内容は聞きました』もしくは『さしあたって、後まわし』程度の意味しかない。
氷河が一般的な日本人と異なる点は、『善処します』と言われて『それでは、よろしくお願いします』と、素直に頭を下げないところだった。

「こうなったら、沙織さんが本当に善処してくれるまで、学校をボイコットするしかないな」
「え……?」
権力者の『善処しましょう』は、『この件について、この場で話し合うのは終わりにしましょう』の意味も有している。
『善処しましょう』の一言でていよく執務室を追い出されてしまった氷河は、即座に 庶民の対抗措置の代表的な一手法を 瞬に提案してきた。
「おまえと一緒でないなら、俺には学校なんて、わざわざ出掛けて行く価値のないところだ」
「そ……それは駄目だよ!」

しかし、氷河の提案を聞いた瞬は、これまた即座に仲間の意見に反対してきたのである。
瞬は、氷河の言葉に慌てたように 大きく首を横に振った。
「そんなの駄目だよ! 氷河たちが通っているのは、普通の男子校なんでしょ。氷河たちの せっかくの学校生活を僕ひとりのために諦めるなんて、そんなの絶対 駄目!」
「何が せっかくの学校生活だ。おまえがいない学校なんて、弦が張られていない弓より無益で無意味で無価値だ」
「そんなことないよ! それはきっと とっても大事なことで、氷河は学校生活で きっと有益で有意義で貴重な何かを得ることができるんだ。氷河がそんなふうに思うのは、氷河がその何かに今はまだ出会えていないからで――」

学校生活というものに多大な価値があると思っているのか、過剰な期待を抱いているのか、あるいは、ボイコット・サボタージュという、ある意味では後ろ向きな対抗措置を希望の闘士にふさわしくないものと考えているのか。
いずれにしても、瞬は、自分のせいで仲間たちが学校生活を中断する事態を、何としても避けたいと思っているようだった。

「僕が何とかする。氷河たちは これからもちゃんと学校に行って」
胸に期するところがあるのか、きっぱりした口調で そう言って、瞬は仲間たちに笑顔を向けてきた。
自分のためには 何ごとにも消極的だが、人のため――特に仲間のためとなると、驚くほど積極的かつ強気大胆になる瞬を知っていた瞬の仲間たちは、だから、瞬の意思を尊重して、しばらく様子を見ることにしたのである。






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