家族? 兄がひとりいます。 両親はいないんです。 僕が小さい頃に亡くなって、顔もろくに憶えてません。 僕には、いつだって、兄さんひとりだけだった。 僕は不幸に慣れているって言ったでしょう? 僕は いつも、自分を不幸な人間だと思っていたんです。 信じていたって言っていいくらい。 僕がずっと自分は不幸だって思ってたのは、でも、僕を守ってれる親がいないからじゃなく、僕が いつだって兄の お荷物でしかなかったから。 僕は、いつも兄に守られていて、兄のおかげで生きてこれた……。 兄さんには感謝してます。 僕は兄さんがいるから生きていられるんだって、いつも感謝してた。 子供の頃は、そう思うのと同じだけ、いっそ死んでしまいたいって、思ってもいたんですけどね。 だって――僕が兄さんのおかげで生きていられるっていうことは、それだけ僕が兄さんの重荷になってるってことだもの。 僕は、いつだって、兄さんの足手まといだったから。 僕の兄さんは――とっても優しくて、強くて、絶対に弱音を吐かない人なんです。 僕は、それがつらかった。 強くて優しい……って、すごく深い罪だと思いません? 兄さんがすごく意地の悪い兄さんで、僕を毎日いじめてくれていたなら、僕はどんなに気楽に兄さんを愛し、頼れていただろうって、何度も考えたことがあるんです。 僕や兄さんは孤児で、同じ境遇の仲間が 僕たちには大勢いました。 あなたには信じられないかもしれないけど――僕たちは、まだ10歳にもなっていない頃、くじで引き当てた場所に ばらばらに送り込まれることになったんです。 欧州、シベリア、中国、アフリカ――もう、世界中のいろんなところに。 僕たちに拒否権はなかった。 もう問答無用です。 いえ、養子にもらわれていったんじゃなくて、人身売買というのでもなくて――でも、似たようなものかな。 あれは何て言ったらいいか……。 日本では徒弟奉公っていうんですけど、そうだ、ドイツのマイスター制度みたいなものです。 どこのマイスターに師事するのかを、子供の希望や適性を無視して、くじ引きで決めたんですよ。 その くじ引きで、このデスクィーン島を引き当てたのが僕だったんです。 そこが、送り込まれて帰ってきた者は一人もいない地獄の島だと聞いた兄さんが、僕の代わりにその島に行くって言い出して――あの時は、本当に、僕なんか死んでしまえばいいって心の底から思った。 いえ、そうじゃないんです。 兄さんを地獄の島に送る原因を作ったのが僕だからというのではなくて、『その地獄の島には僕が行く』って言えない自分が 卑怯で、醜くて、無様で、だから、さっさと僕なんか消えてしまえばいいって思った。 僕は、兄さんの重荷になりたくないって、口では言いながら、いつだって結局は兄さんの強さに甘え、自分が兄さんに守られることを当然のことのように考え、受け入れていたんです。 受け入れて――そして、兄さんは この島に送られ、僕は別の島――アンドロメダ島に送られた。 生まれて初めて兄さんと離れ離れになって、心細くてたまらなかった僕を守ってくれたのも、結局は兄さんだった。 必ず生きて再会するっていう、兄さんとの約束がなかったら、僕はアンドロメダ島に送られた その日のうちに、『ひとりは嫌だ、つらいのは嫌だ』って言って逃げ出して、どこかで 野垂れ死にしていたと思います。 兄さんとの約束があったから、僕は生き延びることができたんです。 6年、兄さんと離れ離れの時間を耐えて、僕は日本に帰国した。 兄さんも生きていてくれました。 でも、兄さんは――まるで僕のためだけに生きているようだった あの兄さんが、僕や昔の仲間たちに敵対する者として、僕たちの前に現われたんです。 この島で、兄さんがどんな経験をしたのか、僕は詳しいことは知らないんです。 兄さんは、詳しいことは僕に話してくれなかったから。 ただ、随分あとになってから――僕たちが和解してから、『デスクィーン島でも、つらいことばかりじゃなかった』って、そう言ってくれました。 多分、僕のせいで送り込まれた この島での暮らしが つらいだけのものだったなんて、兄さんは僕に言えなかったんだと思います。 僕に罪悪感を抱かせないために。 ただ、この島で出会った優しい少女のことだけは、一度だけだったけど、すごく熱っぽく話してくれたことがあって――あの時の兄さんは、初めての恋を知った純粋な少年みたいで、何ていうか……すごく可愛かった。 兄さんは、その少女のことが とても好きだったんだって、その人がいたから、兄さんは この島での つらい修行に耐えることができたんだって、僕には すぐにわかりました。 そう、兄さんとの再会の話でしたね。 でも、あの……こんな話、詰まらなくありません? あなたにとっては 見知らぬ他人の思い出話で――いえ、僕は話したいんです。 誰かに聞いてもらいたい。 こんなことを話せる人は、僕の周りにはいないので。 いえ、友人がいないというわけじゃないの。 僕には、彼等のためなら、一瞬もためらうことなく命をかけられるって確信できる仲間がいて――でも、そんなふうな友だちだからこそ話せないことってあるでしょう? 信じているからこそ、話す必要がないっていうか。 僕の仲間たちは、みんな それなりの苦労人で、だから、人の心や つらかった過去の出来事を わざわざ言葉にしなくても察してくれるんです。 ええ、大好きだし、大切だし、だから、いらぬ心配はかけたくない。 僕が、何があっても自分から死を選ぶことをしないっていうのは、彼等がいるからです。 あ……笑った。 やだ、すみません。 あなた、ずっと心配顔をしてらしたので。 すみません、僕のせいで。 僕、いつもこうなんです。 人に迷惑をかけるだけ、人に心配をかけるだけ――。 え……と、兄さんのことでしたね。 僕たちが それぞれの修行地に送られてから6年後、兄さんが敵として僕の前に現われた時、僕はとっても悲しかったけど、でも、嬉しくもあったんです。 僕が弱いせいで兄さんが死ななかったことも もちろんですけど、それ以上に――あの時、僕を見る兄さんの目は憎悪に燃えていて……あの時、兄さんは 僕たちを取り囲む世界の すべてのものを憎んでいたんだと思います。 兄さんの、その目を見て、僕は思ったんです。 きっと、これが、いつも優しかった兄さんの本音。 兄さんは、やっと僕から解放されて、自由になることができたんだって。 兄さんが僕を殺そうとした時、僕は、これでやっと僕も兄さんから解放されるんだって思った。 僕たちは、やっと互いに自由になれる。 僕たちはやっと、今度こそ本当に、幸せになれるんだって。 邪魔が入って、その時は、僕、幸せになり損ねてしまったんですけどね。 その時、僕と兄さんが幸せになるのを邪魔したのが氷河だった。 氷河は、やっぱり6年振りに再会した仲間の一人で、再会した時には、僕は氷河のこと、ちょっと恐いって思ってたかな。 口下手で口数が少ないのを、無口でクールなんだと、僕は勘違いしていたから。 今 思うと、ほんとに とんでもない勘違いだったんですけどね。 本当の氷河は、とても情にもろくて、優しくて、そして、情熱家。 見た目がとても端正で、生身の人間と思えないくらい整いすぎているせいもあったのかな。 僕が氷河をクールだなんて勘違いしちゃったのは。 ええ、そうです。 その氷河が、僕と兄さんが幸せになるのを邪魔したの。 あの時は――ほんとは、ちょっとだけ氷河を恨んだんです。 どうして、氷河は、僕を兄さんに殺させてくれなかったんだろうって。 結果的には、兄さんは 兄さんの中の憎しみを乗り超えて、また僕たちの仲間に戻ってくれたから、氷河のしたことは正しいことだったんでしょう。 僕は今でもまだ時々、あの時 僕が兄さんに殺されることができていたらって、夢想することがあるんですけどね。 でも、要するに、結末はそういうこと。 結末なのに、『振り出しに戻る』。 兄さんは、また僕の兄さんに戻って、僕もまた兄さんの お荷物に逆戻り。 そんなこと意識していない振りをしてたけど、僕はいつだって兄さんへの負い目でいっぱいだった。 兄さんに殺され損なってしまった僕は、もう永遠に幸せになれない。 そう思って、落ち込んで――。 そんな僕を幸せにしてくれたのが氷河だった。 |