さて、諸君。 我が国初の大学の最初の講義を聴講する栄誉に浴した、我が国でも選りすぐりの優秀な学生たちである諸君。 このように名誉ある場で、諸君等に お会いできて、大変光栄だ。 とはいえ、こうして、諸君等の前で、我が校最初の講義を行なう資格が私にあるのかどうか、それを考えると、私は己れの学識の低さに恥じ入るばかりなのだがね。 我が校には、私などより はるかに優れた教授たちが、欧州はもちろん、オリエントからも これから行なう私の講義が詰まらなくても、諸君等はがっかりする必要はないことを、まずお断りしておく。 なにしろ、我が国で初めてできた大学だ。 最初の講義は、我が国の歴史を語るべきであろうということに、話が決まってね。 それで、優秀な先生方を差し置いて、不肖この私がこの場に立つことになったのだ。 実を言うと、私がこの栄誉に浴することになったのは、私が人に羨まれ妬まれるほどの学識や地位を備えていないからなのではないかと思っている。 これは、自虐でもなければ謙遜でもない。 今日の私の講義内容に関わる事実だ。 この栄誉ある役目を仰せつかった時、実は 私は講義の内容をどういったものにしようかと非常に悩んだ。 常識で考えれば、我が国の歴史学の第一回目の講義なのだから、当然 我が国の建国について語るべきだろう。 しかし、今回の講義は、我が国・我が校の記念碑的イベントでもある。 それならば、講義の内容も、我が国の歴史の中で、最も我が国らしい、言ってみれば 我が国のアイデンテティを確立した歴史的事件について語るべきなのではないかと、私は考えた。 だから、私は、今日ここで、我が国が王制を廃止し、栄誉ある共和制を採用することになったきっかけの事件について語ろうと思う。 つまり、我が国の歴史の中でも、最も特異な時代、通称“くじ引き時代”終焉の時についてだ。 ところで、諸君等の中に私の著書を読んだことのある学生はどれほどいるだろうか。 読んだことのある方々には既知のことだと思うが、私の著書は、歴史書というより戯曲のようだと言われることが多い。 その意味するところが、非難なのか賞賛なのかは さておくとしてだ。 実は、私は、若い頃は、役者になりたかったのだ。 だが、ご覧の通り、私はあまり風采のよい男とは言えない。 そこで、泣く泣く俳優になることを断念し、その情熱を学問に傾けた。 そういう事情があるので、私のこの講義も、少々戯曲的、あるいは劇場的なものになるかもしれない。 そして、諸君等は、そういう講義の進行に不快を覚えることになるかもしれない。 その点については どうか ご容赦願いたいと、先に謝っておく。 私は、歴史というものは人間が作るドラマの積み重ねで、それは非常に面白いものであると考えている。 私の講義の第一の目的は、諸君等に、歴史というものに興味を持ってもらい、歴史を学ぶことによって得た知識を、諸君等の人生に役立ててもらえるようにすること。 そして、第二の目的は、我が国の歴史を知ることによって、諸君等が諸君等の母国に誇りを感じ、また愛するようになること。 その二つの目的は必ずや成し遂げられるものと、私は信じている。 何といっても、我が国の歴史は大変興味深く、またユニークなものでもあるからね。 これまで我が国には大学がなかったため、より高次の学問の習得を望む学生たちは皆、イタリアのパドヴァ大学、フランスのパリ大学、イングランドのオックスフォード大学等に留学していた。 もちろん、それらの大学は綺羅星のごとく高名な教授陣を揃えた名門大学だ。 しかし、それらの大学で我が国の歴史が語られることは ほとんどあるまい。 だが、我が校では それを学ぶことができる。 深く学ぶことができる。 その一事をとっても、我が校の創立は、我が国にとっても、諸君等にとっても、実に意義深い、まさに歴史的大事件と言えるのではないかと、私は考えている。 我が国の歴史的大事件である この講義で、我が国の歴史上最大の事件が起きた時代を語る。 今日という日は、何という感動的な日だ。 諸君等は、今まさに、我が国の歴史の生き証人となるのだ。 実に素晴らしいことだとは思わんかね……! ああ、失礼。 少々興奮しすぎたようだ。 私は、つい半月前までオックスフォードで東洋史の教鞭を取っていたのだ。 自分の生まれた国の大学で、母国の歴史の講義ができる時がくるとは、考えてもいなかったもので、つい。 私の講義は、いつも こんな調子なのだよ。 まあ、諸君等も退屈はしないだろう。 では、講義を始めることにしよう。 |