「瞬。おまえには心から感謝している。おまえはいったい何者なのかと疑っていたこともあったが、おまえの正体など、そんなことは もうどうでもいい。いつまでも私の側にいてくれ」
ラーリン侯爵が 瞬にそんなことを言ってきたのは、孤独で不幸な子供だった彼が 母親の愛を知る幸福な息子に生まれ変わって数日が経ってから。
公爵が、以前より一層氷河に似てくることに 切ない気持ちが募り、瞬が その切なさに耐えるのが苦しくなり始めていた頃だった。
今では全く氷河と同じ瞳の持ち主になってしまった公爵に、いつまでも側にいてくれと願われて、瞬は泣き出しそうになってしまったのである。
涙を耐えるために、瞬は必死に力を振り絞って、彼のために笑顔を作った。

「公爵。僕は未来から来たんだって言ったら、あなたは信じてくれる?」
「未来?」
「そう。今から250年後の未来。それで、あのね。僕の大好きな氷河は、あなたの子孫なんじゃないかと思うんだ。氷河は あなたにそっくりなの」
「おまえは何を言っているんだ」
瞬の言葉の意味が、公爵には全く理解できなかったようだった。
H.G.ウェルズが英国で『タイムマシン』を発表したのが1895年。から133年後。
時の流れを 時の法則に逆らって跳躍するイメージなど、彼は思い描くこともできなかったのだろう。

力無く笑って、瞬は言葉を変えた。
「ここは僕の世界じゃない。僕の氷河がいないから。僕は、僕の氷河のところに帰りたい。でも、どうすれば帰れるのか、その方法がわからないの……!」
耐え切れず、瞳に涙がにじむ。
瞬の涙を見て、公爵は、彼の願いを叶えることを断念したらしい。
あるいは、彼は、母の愛を手に入れ、愛の何たるかを知ったから、その愛を瞬にも分け与えることができるようになった――人を愛することができるようになったのかもしれなかった。
彼は、今では 人が人を愛することの意味を知っているのだ。
それは、大切な人の幸福を願う思いの結晶なのだということを。

「……私がおまえを見付けた あの辺りは、私の領地の中で最も春の妖精を見付けやすい場所なんだ。春先には よく農奴の恋人同士が出掛けていく。妖精のクレバスといって、昔から、妖精が現われたり消えたりする場所だと言われていた。あそこに戻れば、もしかしたら――」
「公爵! 公爵! お願い、僕を氷河のところに戻して!」
氷河の支えなしでは もはや一人で立っていることもできない。
瞬が公爵の胸にすがっていくと、彼は少し寂しそうに、
「おまえは やはり妖精だったんだな」
と、小さな声で呟いた。






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