星矢たちが待っている石切り場は、アテナ神殿を出て十二宮を通り過ぎ、聖域の入口近くにある闘技場の裏手にある。
特段 急ぐ用事でもないので、氷河と瞬は連れ立って 十二の宮をつなぐ長い石段を下り始めた。
双魚宮より上には、アテナもしくは教皇(現在は、その役職に就いている人間はいなかったが)の許しを得た者しか足を踏み入れることはできないのだが、双魚宮より下は 聖域に出入りを許された者なら どこでも自由に行き来できることになっている。

いい日和だからというのでもないだろうが、十二の宮を結ぶ石段 及び その周辺には多くの人間がいて、ある者はのんびりと、ある者は忙しげに、それぞれの仕事にいそしんでいた。
聖闘士の資格を持たない兵たち、聖闘士や他の戦闘員たちの衣食住に関わる作業を担う者たち、聖闘士である氷河たちの手を煩わせようとしている張本人の石積み人足や石張り人足たちまで。
聖域は、ある意味では、俗界から隔離された一つの小さな町、もしくは大きな合資会社のようなものだった。
老若男女1000人近い非戦闘員が、聖域の外に集落を築き、合資会社サンクチュアリに毎日出勤してくるのだ。

それらの人々が、どういうわけか今日に限って やたらと 二人連れの聖闘士に 意味ありげな視線を投げてくる。
こそこそと何かを探るような視線を向けてくる者が ほとんどだったが、中には大っぴらに氷河たちを凝視する者もいた。
逆に、見てはならぬものを見てしまったと言わんばかりに、(二人の姿をしっかり見てから)目を逸らす者もいる。
そうして彼等は、ひそひそと何やら仲間と言葉を交わし合い、あるいは笑い合い、あるいは渋面になった。
いったい この聖域に何があったのかと、氷河は胸中で首をかしげることになったのである。

瞬も、彼等の視線には気付いているらしい。
氷河が横目に窺うと、瞬はなぜか 気まずげに、だが さりげなく、その顔を伏せていた。
にもかかわらず、『彼等は なぜ自分たちに注目するのか』と問うてこないところを見ると、瞬は彼等の注視の理由を知っているのかもしれない――と、氷河は思った。
その無言と さりげなさは、瞬が彼等に注視されることに慣れてしまっているせいなのかもしれない――とも。
もしかしたら、これまでもそうだったのかもしれない。
二人の青銅聖闘士たちは これまでも いつも彼等の注目を集めていたのかもしれない。
だが、氷河が彼等の視線に気付いたのは これが初めてだった。

聖域の存在さえ知らない一般人が行き交う街中でのことであるならば、こういったことは 日本でもギリシャでも よくある光景だったし、氷河も慣れていた。
なにしろ、氷河の連れは、一見したところでは 稀に見る美少女。
瞬が衆目を集めるのは日常茶飯のこと。
いつも瞬の隣りにいる自分とて、行きずりの一般人に軽く無視されるような容貌の持ち主ではないという自負を、氷河自身、抱いてはいた。

しかし、ここは聖域である。
聖闘士の中では最も下位に位置する青銅聖闘士でさえ、合資会社サンクチュアリでは役員待遇、まして、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士はアテナ子飼いの陪臣、江戸幕府でいうなら、いつでも将軍への御目見えが叶う小大名といったところ。
聖域にいる者は、よほどの新入りでない限り、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士のことは見知っているはずで、二人は彼等に 今更 改めて観察されたり感嘆されたりするような存在ではないのだ。
つまり、彼等は、見慣れた二人の聖闘士に 今更ながらの視線を向けていることになる。
そういう事態が起こるのは、二人の聖闘士に関して 新たな情報が加わったから――という可能性が最も大きいだろう。

何か――自分の知らないところで、何かが起きている。
そう、氷河は察したのである。
そして、それは おそらく、あまり良いことでも楽しいことでもなく、だから瞬は仲間に心配をかけたくなくて沈黙を保っているのだ――と。
問題は、その“何か”に、氷河が全く心当たりがないことだった。






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