「何にしても、あの香水瓶が 地上やアテナへの宣戦布告でなくてよかった。俺たちも、もうしばらくは平和の時を楽しんでいたいからな」
「あ、うん……そうだね。戦いは――聖闘士にでも、普通の人にでも、つらくて悲しいことだよね……」
ラウンジのテーブルの上に並んでいる5本の香水瓶。
紫龍の何気ない、だが心からの呟きを聞いた瞬は、その中の1本を 切なく見詰めることになったのである。

Je Reviens ――ジュルヴィアン。『私は戻ってくる』。
私は戻ってくる。必ず君の許へ。
それは、なんと悲しく、なんと切ない“希望”だろう。
愛する人との再会を夢見て、ただその時を手に入れるためだけに、兵士たちは戦場に向かったのだ。

「この香水を恋人や奥さんに贈って、戻ってこれなかった人も大勢いるんだろうね……」
「そうだな……」
瞬の悲しみに同調してくれる紫龍と、
「んでも、おまえと氷河は いつも一緒に同じ戦場に行けるから、こんなの必要ないだろ。さよならを言う必要もないし」
瞬の悲しみを吹き飛ばそうとしてくれる星矢。
そんな仲間たちがいてくれるから、自分はこれまで聖闘士としての戦いを続けることができていたのだと、瞬は思ったのである。

地上の平和と安寧のため。
望まぬ戦いを続ける聖闘士は、戦いが そのまま生きている証だと言っていいような存在である。
それは、争い事を好まない瞬には、決して安楽な生き方ではなかった。
だが、だからこそ――自分が戦う立場にある人間であるからこそ――瞬は、大切な仲間たちに『さよなら』を言うことだけはせずに済むのだ。
仲間たちが瞬にかける言葉はいつも、『さよなら』ではなく『行くぞ』だった。
瞬が仲間たちにかける言葉もいつも、『さよなら』ではなく『行こう』だった。
不幸で幸福な その事実に、瞬は切なく微笑したのである。
人と争い 人を傷付けることが どれほど つらいことであっても、自分は戦う側の人間でいたいと、自分は仲間たちと共に戦うものでありたいと望んでいる自分自身に。

だが、同時に瞬は、自分が聖闘士ではなく氷河だけが聖闘士で、あるいは、氷河が聖闘士ではなく自分だけが聖闘士で、二人が戦いの前に『さよなら』を言わなければならない関係であったなら、自分は もっと早くに“覚悟”を決めることができていたかもしれないとも思ったのである。
『もう二度と氷河に会えないかもしれない』
そんなことになったなら、そして本当に氷河が心から それを望んでいるのなら、自分は 氷河の望みを叶えずにはいられない気持ちになってしまっていたかもしれない。
二人が『さよなら』を言わずに済む関係にあるせいで、自分は その覚悟を決めることができないまま、今日まできてしまったのだ――と。

戦いが始まる日の“夜明け”、互いに聖闘士である二人は“さよなら”を言う必要はない。
いつも共にいる二人は、“君の許に”“戻ってくる”必要もないのだ。

(ごめんね、氷河。でも、もう少しだけ待って……)
瞬の心の中の呟きは、冥府の王と火花を散らして睨み合っている氷河の耳には 聞こえていなかっただろう。
二人で過ごす“夜”の訪れがいつになるのか。
それは、今は、瞬自身にもわからないことだった。






Fin.






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