愛される理由






「どうして みんなは、あのラストを、めでたしめでたしで受け入れられるのかな……」
シェイクスピアの『 A Midsummer Night's Dream 』を本邦で『真夏の夜の夢』と訳したのは坪内逍遥らしい。
本来、『 Midsummer 』は『真夏』より『夏至』の意味で用いられることが多く、だとすれば、それは6月後半。
太陰暦では5月ということになり、『 A Midsummer Night's Dream 』を5月末に上演することは、あながち季節外れというわけでもないのかもしれない。
『真夏の夜の夢』というタイトルの方に馴染みすぎて、『夏の夜の夢』に違和感を覚える――というのでもないだろうが、瞬は、たった今 幕がおりた『夏の夜の夢』の結末に得心できずにいるようだった。

シェイクスピアの『 A Midsummer Night's Dream 』には、人間の若い男女4人が登場する。
ライサンダーとハーミアは相思相愛の恋人同士。
そのハーミアに恋するディミトリアス、ハーミアに恋するディミトリアスを 一途に恋い慕うヘレナ。
ヘレナの健気な恋心を憐れんだ妖精の王オーベロンは、魔法の薬で、ハーミアを熱愛していたディミトリアスをヘレナを恋する男に変えてしまう。
かくして、ライサンダーとハーミア、ディミトリアスとヘレナという2組のカップルが誕生し、物語は大団円を迎えることになるのだが、瞬はその結末がどうしても気に入らないらしかった。
「ディミトリアスはハーミアが好きだったんだよ。なのに、オーベロンに飲ませられた惚れ薬の力で、ヘレナを恋するようにさせられる。ハーミアを好きだったディミトリアスの心は、魔法で無理矢理 消されてしまったことになる。こんなのが、どうしてハッピーエンドっていうことになるの」
というのが、瞬の主張。

「そりゃ、不幸でみじめな奴が一人もいない終劇だからだろ」
『日本語やギリシャ語は流暢なのに、英語が不得手というのは いただけないわ』と言う沙織の指示でシェイクスピア作品を観劇する羽目に陥っただけだった星矢は、瞬の憤りに 今ひとつ同調できずにいた。
何はともあれ、アテナの聖闘士たちは、興味のない舞台を最後まで観劇するという一つの義務を果たし終えたのだ。
今は その達成感に酔い、ご褒美のケーキとお茶を素直に味わっていればいいのに――と、星矢は思っていた。

劇場に併設されているティーラウンジのテーブルは、たった今 同じ舞台を観終えた観客たちで ほぼ満席。
彼等は、今日の舞台の出来に おおむね満足しているらしく、瞬のように不機嫌な顔をしてる者は、見たところ一人もいない。
紫龍が愉快そうな顔をしていないのも、たった今 観終えた舞台の内容に不満があったからではなく、英国が誇る大劇作家が用意した大団円に憤っている瞬の態度を訝っていたからだった。

「意外だな。おまえは、あの作為的なハッピーエンドを、誰もが幸せになって よかったと考えるのだとばかり思っていた。自分の恋を叶えるため、他人を傷付けたり不幸にしたりすることはよろしくないと思うのだとばかり――。おまえがディミトリアスだったら、オーベロンの小細工があろうと なかろうと、ハーミアへの恋を諦め、身を引くだろう?」
「僕が諦めればハーミアが幸福になれるんだから、当然そうするよ。でも、それだって、僕は自分の意思で“諦めること”を選択するのであって、誰か別の特別な力を持った人に心を操られたり捻じ曲げられたりするわけじゃない。ディミトリアスとは違う。ディミトリアスは、それを望んだわけじゃないのに、無理矢理 心を変えられてしまったんだから。あんなハッピーエンド、人間の心を ないがしろにしてるみたいで、僕は嫌だ」

神を信じるか信じないか、信じるとして、どの神を信じるか。
その選択すら自分の意思で行なわれる現代人の感覚として、瞬の感じ方は 極めて妥当なものなのかもしれない。
彼自身も、アテナを信じ、アテナのもとで戦うことを自分の意思で決めた人間であった紫龍は、瞬の堅苦しいまでの生真面目に、苦笑しつつも頷くことになった。
「まあ、夏の夜の夢のオーベロンは、デウス・エクス・マキーナの典型だからな」
「なんだよ、そのマウス・デスク・マッキントッシュってのは」

多分に無理のある かなり苦しい こじつけで、星矢が紫龍に尋ねてくる。
本当はちゃんと聞き取れているはずの言葉を、どうあっても おちゃらかさずにいられないらしい星矢の性格に少々 呆れながら、紫龍は彼の質問に答えを返すことになった。
「事態が複雑に こんがらがって収拾がつかなくなったところに突然 現われて、人智を超えた力で すべてを めでたしめでたしにしてしまう全能の神のことだ。エウリピデスの『オレステス』あたりが有名だが、我等がアテナも、『タウリケのイピゲネイア』でその役を務めていたりするな。ゲーテの『ファウスト』もそうだろう。ファウストと悪魔の契約を、最後に登場した神が ちゃらにしている」

「契約をちゃら・・・かー。じゃあ、そのマッキントッシュってのは、自己破産とか相続放棄みたいなもんか」
「面白い例えだ。が、当たらずとも遠からず。そんなもんだな。人と人との間に生じた物理的心情的損得を、神がご破算にしてしまうんだ。そして、すべての登場人物に満足するものを与え、強制的に場を収めてしまう。損をする者は一人もいないから、皆が満足、大団円。めでたしめでたしというわけだ」
「で、神様に恵んでもらう大団円が、人間の力を馬鹿にしてるようで、瞬は お気に召さない――ってことか。その気持ちはわからないでもないなー」
それは、確かに、人間の意思や努力を――それだけでなく、人間の悲しみや苦しみまでをも無意味なものにしてしまう存在である。
アテナがすべてを解決してしまうなら、アテナの聖闘士たちが戦うことには何の意味もない。
そう考えて、瞬は マッキントッシュの存在を苦々しく感じているのだろうと星矢は思い、瞬に同感することになった。






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