平和の論理






地上で最も清らかな魂を持つ者。
清らかな魂というものがどんなものであるのかを正しく知る人間は、おそらく地上には ただの一人も存在しなかっただろう。
当然、地上に住む人間は、彼の魂が どれほど清らかなのか、本当に清らかなのかを知りようもなければ、確かめようもない。
だが、彼はそういうものだった。
なぜなら、天上の神々がそう・・と決めたから。
彼は、すべての神の祝福を受けて この地上に生を受け、その清らかさを すべての神が鍾愛している。
そんな彼を手に入れることは、すべての神々の好意(すなわち、力)を手に入れることと同じ。
彼を手に入れた者は、ギリシャ全土の覇者になることができる――世界を統べる者になることができる。
彼は、そういうものとされていた。

そういう人間を、神々がなぜ地上に下したのかはわからない。
どの国の王の領土でもないギリシャ最高峰オリュンポス山の頂に、ある日忽然と姿を現わした神殿。
彼がそこにいるという事実は、同日 一斉に ギリシャのすべての神殿の神官たちへの神託という形で知らされた。
その神託が下されてから一日も経たぬ間に、それはギリシャのすべての人間の知るところとなり、その胸に野心を持つ多くの人間の心を動かすことになったのである。
彼を手に入れるため、あるいは彼を敵に奪われることを恐れて、ギリシャ全土から人々が続々とオリュンポス山の麓に集まり、聖なる山は長い時を経ずして数千数万の俗人たちに取り囲まれることになった。
我こそが その力を手に入れる者と気負い 一人で駆けつけた者もいれば、仲間を語らって数人のパーティを組んでやってきた者もいる。
もちろん、機動性に優れた軍兵を持つ国々は 組織された軍隊を派遣してきた。
ギリシャの人々は誰もが、それほどに“力”を欲していたのである。






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