「もし、ずっとこのまま殿下を宮廷に迎えることができなかったら――いえ、いつか必ず私がそのように取り計らいますが、今は王子誕生で宮廷中が沸きかえっておりまして、その時機ではないのです。ですが、王妃も王子が生まれて安心したのか、随分と気持ちが和らいでいるようですので、必ず その時はまいりましょう」
ヒョウガの叔父がサン・ルーの城に報告に来るのが遅くなったのは、王子誕生で仕事が多忙だったせいもあるだろうが、シュンに王位誕生で沸き立つ宮廷の様子を知らせることに気まずさを覚えていたせいもあったかもしれない。
同じ王の子でありながら、誰にも その誕生を祝われなかったシュンに、その上 王子として認められる時が遠ざかったのだと告げることは、職務に忠実な彼にも さすがに為し難い任務だったに違いなかった。

ヒョウガとシュンの望みは、だが、シュンが王子として認められないことだったのだ。
フランス王家の世嗣の誕生を、二人は心から喜んでいた。
「シュンは永遠に宮廷には足を踏み入れない。シュンは俺とずっと一緒にいるんだ」
「急に何を言い出したんだ。そういうわけにはいかんだろう。おまえは本当に独身主義者なわけではないんだし、殿下には殿下に与えられるべき当然の権利が――」
「無論、俺は独身主義者じゃない。俺には既に愛する妻がいる」

客間の小円卓にはガレットとマカロン、昨年の葡萄で作った 特別よい出来の葡萄酒。
為し難い職務への苦痛をごまかすために、やたらとマカロンに手をのばしていたヒョウガの叔父は、衝撃の事実を知らされたはずの甥の落ち着いた声を聞いて その手を止め、甥の顔をまじまじと見詰めてきた。
その顔が、徐々に青ざめていく。
「ヒョウガ、まさか――」
「まさか?」
「いくらマザコンの女嫌いでも……おまえ、まさか、で――殿下に ふ……不敬な真似をしたのではあるまいな!」
「不敬など働くものか。俺はシュンが望むことしかしない。シュンは、ここで俺と暮らして、宮廷から忘れさられることが望みなんだそうだ。そうだな? シュン」
「ええ」

相変わらず シュンは身軽な男装のままで、到底 領主夫人にふさわしい姿をしているとは言えなかったが、シュンの表情は、夫に熱愛されている妻のそれとしては ほぼ完璧なものだった。
二人が深い愛情と信頼で結ばれていることは一目瞭然で、それは、主君と忠臣のそれにも、熱烈に恋し合う恋人同士のそれにも、琴瑟相和す夫婦のそれにも見えた。
ヒョウガの叔父は、たった今まで、ヒョウガとシュンのそれを主君と忠臣のそれだと思い込んでいたのである――そうと決めつけていた。
だが、シュンの出自を忘れて二人を見ると、彼の目には違うものが見えてくる。

「ヒョウガ……!」
シュンを責めるわけにはいかなかったのだろう。
アヴリーヌ伯爵は、険しい声で甥の名を呼んだ。
だが、ヒョウガの心は既に決まっていたのである。
叔父に何を言われようが、フランス国王にどう言って脅されようが、ヒョウガはシュンと離れるつもりはなかった。
「俺はシュンを愛しているし、シュンも俺を愛してくれているんだ。二人でいられるなら、他には何も望まない」
「おまえはそれでいいかもしれない。しかし、殿下は――」

“殿下”は、間違いなくフランス国王の血を引く、この国の王子なのである。
だが、“殿下”は とうの昔に自分の身分を捨てていた。
この国で最も高貴な身分の少年は、まるで宮廷の権力者に嘆願を述べる地方の小貴族のように、ヒョウガの叔父の前に両膝をつき、その情けにすがってきた。
「お願い、見逃してください……! ヒョウガと引き離されたら、僕は1秒たりとも生きていられません!」
「殿下……」

若い二人の望みは、どこに訴え出ることもできない罪だった。
王会も、国務会議も、高等法院も、二人の罪を裁く権利を有してはいない。
そして、教皇庁に訴え出ることは論外。
へたなことをして王妃を刺激することは得策ではなく、正妃に王太子が誕生した今、シュンの存在を公にして 王室の権威を落とすことは、フランス王室の忠臣のすべきことではなかった。
「確かに……どうしようもないな。何も、私にできることはない……」
「叔父上」

両の肩から がっくりと力を落とし、椅子の背もたれに身体をもたせかけた叔父に、ヒョウガは気まずげな視線を投げたのである。
シュンと共に生きるという決意は揺らぐものではなかったが、自分の恋が叔父を困らせるものだということは、ヒョウガとて承知していた。
困り者の甥の申し訳なさそうな顔を、アヴリーヌ伯爵が薄目で見やる。
困った甥だが、彼にとってヒョウガは可愛い甥でもあった。
そして、その甥の恋人は、誰よりも幸せになってほしいと願っていた彼の不幸な王子。
二人の幸福を妨げることは、彼には到底できることではなかったのである。

「私は、おまえを幸せにすると義姉上に約束した。これがおまえの幸せだというのなら、私はそれを守るだけだ」
「感謝します、叔父上」
「ありがとう、アヴリーヌ伯!」
自分の存在自体に疑いを持ち、すべてのことに遠慮して、運命に流されるまま決して自分から何事かをしようとはせず、自分から積極的に他人と関わり合いを持つことも、人と ただ触れ合うことさえ恐れているようだった気弱な王子が、恋人の叔父の首に嬉しそうにしがみついてくる。
この豊かな感情の発露が、恋ゆえにシュンの身についた自信と積極性だというのであれば、サン・ルーの領主夫妻は 確かに今 幸福なのだろう。
ヒョウガの叔父にできることは、熱愛する恋人が自分以外の男の抱きついている様を見て顔をしかめている甥に、挑戦的に意地の悪い笑顔を贈ってやることだけだった。


フランスは太陽王ルイのもと、その絶頂期に向かうことになる。
宮廷から離れた穏やかで平和な田園にヒョウガとシュンが築いた小さな王国を照らす太陽は、もちろん ぎらつく宮廷の太陽ではなかったが。






Fin.






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