「僕は生きているから伝えられる――」 つまり、そういうことなのだ。 瞬の その呟きを聞いて、カミュは安堵したような微笑を その目許に刻んだ。 「君は本当に聡明な人間だ。安心して、氷河を任せられる」 「カミュ……」 「あの子は我儘で、情動的で、無鉄砲で、一途で――そのくせ、ひどく寂しがりやだ。愛する者を失いすぎて、再び失うことを恐れ、臆病になっている。自分の愛が君にまで死をもたらすのではないかと、それを恐れて、君に何を言うこともできずにいる。あの子は君を愛しているんだよ」 それは、瞬には十分に――十分すぎるほどに――驚くべき情報だったのだが、そんな情報(事実?)は、カミュが“本当に伝えたいこと”ではなかったらしい。 彼は その事実を いとも気軽に さらりと言ってのけた。 「あの子を よろしく頼む。私はもう あの子に何をしてやることもできない」 「……」 「生きている時も何もしてやれなかった。死んでしまったら、生きていた時にできなかったことを悔やむことしかできない。だが、生きている者は――」 生きている者には、どんなことでもできる――できないことはない――のだ。 『死んでしまったら、どんなに強い思いも深い愛も伝えることはできない。だから、生きているうちに伝えろ』 カミュの“本当に伝えたいこと”は それだったのだ。 そして、カミュが“本当に伝えたいこと”を伝えたい相手は、氷河ではなく瞬だった。 カミュは氷河に幸せになってほしいのだ。 そのために――彼は、“氷河が愛している”瞬の許にやってきた。 初めて瞬の前に姿を現わした時、彼は瞬に何と言ったのだったか。 彼は瞬に『君は特別だ』と言った。 瞬は、あの時、『特別』の意味を『一時的に冥界の王だったこと』と解したのだが、もしかしたら、そうではなかったのかもしれない。 彼は、アンドロメダ座の聖闘士が氷河にとって特別な存在だという意味で言ったのだったかもしれない。 今になって、瞬はその可能性に思い至った。 彼は、瞬に言いたかったのだ。 『生きているうちに、君の心を氷河に伝えてくれ』と。 その願いを瞬に訴えるために、彼は恥を忍んで瞬の前に姿を現わしたのだ。 死んでしまったら、“本当に伝えたいこと”は伝えられなくなるから。 伝えられなかったことを悔いることしかできなくなるから。 愛する者を失うことを恐れて臆病になっている、愛する弟子のために。 彼は愚かな男なのかもしれない。 生きている時には愚かな男だったのかもしれない。 だが、生きていた時も、死んでしまった今も、彼が氷河に注ぐ愛の強さ深さだけは疑いようがない。 彼の心を思い、瞬の瞳には涙がにじんできてしまったのである。 彼が、今の氷河を――瞬の好きな氷河を 育てたのだ。 それが 彼でなかったら、瞬は氷河を 「カミュ! 僕、伝えます。氷河に伝える!」 カミュが生きている者に“本当に伝えたいこと”――本当に伝えたかったこと。 それが何であったのかに気付き理解したアンドロメダ座の聖闘士が、その忠告に従う意思をカミュに伝える。 すると、水瓶座の黄金聖闘士は心から嬉しそうに、そして、生きている者の命の輝きを羨むように、祝うように目を細め、微笑んだ。 その微笑が、瞬の前で、徐々に薄れ消えていく。 瞬は、だが、カミュの姿が視界から消えてしまっても、悲しいとは思わなかったのである。 “本当に伝えたいこと”を生者に言葉で伝えることはできなくても、その姿を生者に認めてもらうことはできなくても、彼の心は永遠に 彼の愛する者がいる世界に留まっているのだと 信じることができたから。 人には、生きているうちにしかできないことがある。 生きているうちにしか伝えられないこと、生きているうちに伝えなければならないことがある。 そして、命には限りがあるのだ。 瞬が氷河に『好きだ』と告げたのは、カミュが消えた翌日のこと。 おそらくはカミュが望んでいた通りに――氷河は幸福そのものの目をして、瞬を抱きしめてきた。 Fin.
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