人食いもする魔女たちの住む洞窟の近所に 好んで家を建てる人間はいない。
グライアイの魔女たちのいる洞窟の外は、大小様々の石が転がっている、正しく荒地だった。
その石の中の一つを椅子代わりにして腰をおろし、ヒョウガに椅子・・を勧めることもなく、彼女は彼女の事情をヒョウガに話し出した。
理も正義も神の意思さえ 自分の上にあると信じているように明快かつ軽快な口調で。

「あなたは、海魔ケイトスに生け贄として捧げられることになっているエティオピアの王女を救うために、メデューサの首を手に入れようとしているんでしょう?」
「一応、そうだ。他のことにも有効利用しようとは思っているが」
その はっきりした発音、意思的な唇から流れるように言葉が出てくることからして、彼女は かなり聡明な少女のようだった。
聡明だから賢明だと言いきれないことは、実に残念な事実だったが。
それにしても美少女である。
その面立ち、なめらかな肌、瞳の輝き、眩しいほどの生気。
目が醒めるような美少女というのは こういう少女のことをいうのだろう。
見るほどに 感嘆の声と溜め息を洩らしたくなり、ヒョウガは その二つを押し殺すのに かなり苦労した。

「あなたは、そうしてメデューサの首を使って救ったアンドロメダ姫の夫に迎えられ、エティオピアの王になろうとしているのだと思うけど、それは実現不可能なことです」
「なぜだ」
娘の命を救いたい一心で予言の神にすがったエティオピアの現国王ケペウスが受けた神託は、『メデューサの首を手に入れた一人の英雄が、生け贄に捧げられたアンドロメダ姫を救う』というものだったはずである。
予言の神の神託が実現しないはずがない。
となれば、美少女が実現不可能と断じているのは『アンドロメダ姫を救う英雄がヒョウガであること』ということになる。
要するに彼女は、『あなたには海魔ケイトスを倒すことはできない』と言っているのだ。

では、それを誰が成し遂げるのだと、ヒョウガは彼女に聞き返そうとしたのである。
ヒョウガが直前で そうすることを思いとどまったのは、『あなたには無理』とヒョウガに言い放った美少女が、『自分にならできる』と信じている様子が如実に見てとれたからだった。
ヒョウガは、そんな返事を聞いて、彼女の前で笑い出し、彼女の機嫌を損ねるようなことはしたくなかったのである。
そんなことをしたら、彼女は いきりたち意地になって、それこそ本当に魔女たちのいる洞窟の中に入っていきかねない。
それは やはり勿体ないことだと、ヒョウガは思った。

が、彼女が『実現不可能なこと』と断じたのは、『ヒョウガが海魔ケイトスを倒すこと』ではなかったらしい。
そうではなく――彼女は、『ケイトスを倒した者がアンドロメダ姫の夫になり、エティオピアの王位に就くこと』を実現不可能と断じたものらしかった。
つまり、予言の神の神託を実現した者に対して、一介の人間であるエティオピア王ケペウスが与えると宣言した恩賞は実現不可能なことと、彼女は考えているらしい。
彼女は けろりとした顔で、とんでもないことをヒョウガに告げてきた。
それは本当に とんでもないことだった。
彼女は、ヒョウガに、
「だって、アンドロメダ姫は女性じゃないから」
と言ってきたのだ。

「なにぃ !? 」
「というか、アンドロメダ姫は僕です」
いったい この美少女は何を言っているのか。
自分が彼女を聡明と判断したのは早計で、彼女は単なる狂人だったのかと、ヒョウガは疑うことになったのである。
アンドロメダ姫が女性でないはずがない。
そして、深窓の姫君がこんなところにいることは、更にないことのはずだった。
「おまえ、アタマの方は大丈夫か? 万一、おまえが正気だったとして、それじゃあ、おまえが男だということになってしまうんだぞ。おまえは、自分が何を言っているのか わかっているのか」
「僕、男です!」

美少女が、ヒョウガの言葉に むっとした顔になる。
ヒョウガは、かなり無理のある彼女の主張を聞いて、つい ぷっと吹き出してしまった。
アンドロメダ姫が男子である可能性は、もしかしたら万に一つくらいはあるのかもしれない。
だが、この美少女が男子である可能性は万に一つもない。
この顔 この姿が男のものだったなら、世界中の女が その存在意義を失ってしまう――。
ヒョウガは、本気で そう思った。

ヒョウガの失笑に、美少女は大いに機嫌を損ねたらしい。
彼女は 椅子代わりにして腰をおろしていた石から立ち上がり、あろうことか、
「あなたが信じないのなら、信じられるようにしてあげます」
と言いながら、身に着けていた短衣の肩の留め金を外し始めた。
つまり、彼女は、ヒョウガの目の前で――もちろん野外である――自らの着衣を取り除こうとし始めたのだ。

これには、さすがのヒョウガも慌てた。
慌てて、彼女の肩から すべり落ちようとしている白い布を掴み、元の場所に引き上げた。
「ばっ、ばか。仮にも女の子が、初めて会った男の前で何てことをするんだ!」
「僕、男です!」
ほとんど悔し泣きといったていで、美少女がヒョウガの空いている方の手を掴みあげ、その手を着衣の上から自分の胸に押しつける。
ヒョウガは動転した。
彼女の大胆な行動にも、自身の左の手の平の下にあるものの感触にも。

「あ……あー……。気の毒なくらい平らな胸だな。気を落とすんじゃないぞ。おまえはまだまだこれから成長する可能性があるんだからな」
世にも稀なる美少女が、悔し泣きの涙を瞳の中に残したまま、悪鬼のごとく両の眉を吊りあげる。
この場面で冗談を言うのは やはりまずかったかと、ヒョウガは己れの軽口を後悔した。
「冗談だ」
だが、この場面で、冗談以外の何を言うことができたというのか。
真面目に・・・・驚いてみせていたら、それはそれでの怒りを買っていただけだったに違いないというのに。

だが、それでも、信じられない――。
本当に信じられないことだったが、ヒョウガの前に立つ絶世の美少女は、紛う方なき男子だった。
そんなことがあり得るなら、この美少女 改め美少年がアンドロメダ姫であることとて、決して ありえないことではないだろう。
むしろ、大いに ありえることである。
驚天動地の事実に認識を改めさせられて――ヒョウガは、やっと、男の・・アンドロメダ姫の言うことを信じる気になったのだった。






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