「信憑性を出すためとはいえ、本物の瞬の写真を出したのは まずかったんじゃないか? あの写真、似顔絵CGより 世の男共に使われてると思うぜ」 「瞬には絶対に言うなよ。ともかく、シンデレラ姫は消えたわけだし、こうなれば騒ぎも沈静化するしかない。今の騒ぎが最後の花火、瞬も もうしばらくの辛抱だ」 「この世にいないんじゃ、フェラーリの馬鹿息子も諦めるしかないもんな」 「彼は、車道楽はしていたが、女遊びは全くしていなかったらしい。今回の失恋がきつかったらしくて、車断ちをしたそうだぞ。まあ、もともと免停寸前ではあったらしいが」 「ふーん。苦労知らずのぼんぼんには いい経験になったんじゃないか。瞬も、つきっきりで氷河に慰められて、段々落ち着いてきたみたいだし」 「瞬に許可をもらって ひどいことをするのを慰めと言っていいのなら、まあ氷河は確かに熱心に瞬を慰めていることになるな」 少々皮肉めいた紫龍の言に、星矢が苦笑する。 それから星矢は、その顔に同情の色を浮かべた。 「なんか、でも、瞬、ひどい目に合ったなー。瞬は善意で人命救助しただけなのに、その善行の報いがこれってのは、俺でも理不尽だと思うぜ」 「第三者というものは、いつもそういうものだろう。自分に直接利害が及ばない限り、人は無責任で勝手なものだ」 「俺たちの戦いもそんなもんなのかな」 「ん?」 いつのまにか、星矢の目許から笑みと呼べるものが消えてしまっている。 訝る紫龍の前で、星矢は、いかにも 詰まらなそうに首を横に振った。 「別にさ、俺たちは 人に感謝されたいとか ご褒美がほしいとかで戦ってるわけじゃないけどさ、なんつーか……空しいじゃん」 アテナの聖闘士たちは、他者の賞賛も感謝の言葉も、他者の理解すら求めたことはない――誰に対しても求めたことはない。 そして、実際に、誰かから それらのものを与えられたこともない。 アテナの聖闘士たちの存在と その行為の意義を認めてくれるのは、共に戦う仲間と、そして彼等の敵たちだけだった。 アテナの聖闘士たちは、地上の平和と そこに生きる人々の安寧を守るために 命をかけ、多くのものを犠牲にして戦っているというのに。 紫龍は、もしかしたら、今になって そんなことを考えている星矢に呆れたのかもしれなかった。 これまで そんなことを考えず、夢中で戦い続けてきたのだろう星矢を、いかにも好ましく思っている人間の目で見やる。 「それはまあ……『薔薇を差し出す手には、薔薇の香りが残る』と言ってだな。これは本来は、誰かのために何かをすれば、その人間の心が美しくなるという意味の言葉なんだろうが、つまり善行をした者の手には、人に与えた薔薇に代わる何かは与えられない――ということを言っている言葉でもある。善行の報いは善行をしたという事実だけ。その手には薔薇の香り以外 何も残らない――というわけだ。報いを求めたら、それは純粋な厚意から出たことでなくなるし――。俺たちも、平和と正義が守られたら、そのことに満足して、それ以上のことは求めるべきではないだろうな」 「求めちゃいけないのかよ」 「俺たちは戦わずにはいられないから戦っている。瞬も事故に巻き込まれた人たちを見捨てるわけにはいかなかったから、助けた。それだけのことだ。何の行動も起こしていなかったら、瞬は後悔していただろう。俺たちも同じだ。そこに、無責任な第三者の考えなど入り込む余地はない。それは俺たちの心の問題なんだ」 「そーか……そうだな……そうなのかもしれない……」 戦わずには いられないから戦う。 小難しいことを考えるのは苦手――という事情もあったが、星矢はそれで納得するしかなかった。 納得できてしまうのだから、それでいいのだろうと思う。 「薔薇を差し出す手には 薔薇の香りが残る、かあ……。俺はそれでいいけどさ、瞬は――今回の瞬はさ……」 瞬は、薔薇の香りが残るどころか、逆に ひどい目に合うばかりだったのだ。 自分のことはさておき、その件だけは、星矢には納得がいかなかった。 そんな星矢に、しかし、紫龍は軽く首を振ってみせた。 「世の中には、その香りを嗅ぎつける能力に秀でた人間がいて、氷河は特に その才能に恵まれた男なんだろう。瞬の優しい気持ちは、氷河を惹きつけるのに役立っているわけで――瞬も全く報われていないわけではないさ。理不尽な目に合っても、付ききりで慰めてくれる男がいる」 「でも、氷河がしてることって、結局、瞬の許可をもらって、瞬に もっとひどいことすることだろ? 瞬はそれでいいのかよ」 「それは、瞬ではない俺には何とも言えないが――何が嬉しい報いなのかは、人それぞれだということだろう」 「んー」 瞬ならぬ身の星矢には、瞬の気持ちはわからなかった。 だが、その気になれば 自分に“ひどいこと”をする男を異次元に飛ばすくらいのことは容易にできてしまう瞬が、氷河の胸の中で大人しくしているのだから、それが瞬の答えということなのだろう。 完全にではなかったが、8割方 納得して、星矢は その唇を引き結んだ。 「瞬の薔薇の香りの効用は、氷河をゲットしたことか。なら、俺の場合は――」 瞬の薔薇の香りの効用が氷河を得たことだというのなら、それは改めて考えるまでもないことだった。 多くの人々の賞賛や感謝の言葉はなくても、アテナの聖闘士たちには、何があっても、その死の瞬間まで信じ抜くことのできる仲間がいる。 そして、それは、彼等が彼等の戦いを厭い逃げていたなら、決して手に入らないものだったのだ。 「うん……。うん、空しくなんかないな」 薔薇の香りのする手の持ち主が、星矢の周囲には何人もいた。 その手は いつも、仲間に向かって差しのべられている。 人が生きていく場所として、これほど恵まれた環境があるだろうか。 おそらく、ない。 だから、星矢は、薔薇の香りのする場所で、とても楽しい気持ちになったのだった。 Fin.
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