Snow Letter






寒い夜には慣れているが、雪の降る夜には 滅多に出会ったことがない。
氷点下数十度にまで気温の下がるアンドロメダ島の夜に降るのは、雪ではなく星だった。
だから、東京には珍しく積もるほどの雪が降った その夜、瞬は 家人に気付かれぬように静かにこっそりと自室を抜け出したのである。
雪が自分の上にだけ降ってくるような空を見上げ、その全身で雪を受けとめ――滅多に出会うことのできない雪と戯れるために。

そんな自分を氷河が見詰めていることに気付いたのは、瞬が雪と戯れ始めてから30分ほどが経った頃だった。
時刻は午前1時過ぎ。
いったい氷河はいつからそこにいたのか。
というより、なぜ自分は氷河がそこにいることに気付かなかったのか。
氷河は気配を消していない。
そんな彼に気付かずにいたのは、どう考えても聖闘士としては立派な失態。
空の一点から降ってくるような雪たちに、自分はそれほど我を忘れ 夢中になっていたのかと、少々――否、大いに戸惑って、瞬は常夜灯の白い光の中に無言で佇んでいる氷河を見詰めることになったのである。

「氷河、いつからそこに――」
瞬はパジャマにカーディガンを羽織っただけの姿で外に出ていた。
その上、音を立てて人に気付かれたくなかったので素足にスリッパという、人に見られることを全く考慮に入れていない格好をしていた。
言ってみれば 常識を欠いた格好で 何の益にもならない遊戯に興じている仲間を、氷河はどう思いながら眺めていたのか――。
呆れかえられて当然の状況なのだが、氷河は瞬に そんな素振りは見せなかった。
代わりに、静かに雪が積もるような声音で、
「雪が好きなのか」
と、瞬に尋ねてくる。

「……東京で、こんなに さらさらの粉雪が降るのって珍しいでしょ」
「風邪をひく」
「僕が風邪? 氷河、本気でそんなこと心配してるの?」
子供のように雪に浮かれている姿を見られてしまった気まずさが、瞬の声に、素直でない嘲笑めいた響きを帯びさせる。
揶揄のつもりで そんなことを言ったのではないらしかった氷河は、瞬に問われて黙り込んでしまった。
瞬は慌てて――スリッパを履いた足で、氷河の側に駆け寄っていったのである。
そして、この戯れを氷河に見付かる前の素直な気持ちに戻って、氷河に詫びた。

「ご……ごめんなさい。普通の人みたいに心配してもらえて嬉しい。でも、多分 大丈夫だよ」
「頬が冷たい」
氷河が その右手で瞬の頬に触れ、低く短く告げてくる。
睫毛に降ってきた雪を振り払うために、瞬は二度ほど瞬きをした。
「そ……そんなはずないよ。僕、今、すごく あったかいもの――」
今、温かいのは事実だった。
雪より氷より冷たいのだろうと思っていた氷河の手が温かい。
つまり、瞬の頬の方が、氷河の手より冷たい。
それは瞬には、ひどく意外なことだったのである。
どれほど長い時間 雪の降る夜の外気の中に身を置いても、自分が氷河より冷たいものになることなどないだろうと、瞬は思っていたのだから。

広い庭のあちこちに点在している常夜灯の光が雪に反射して、そこに ぼんやりと白い世界を作っている。
雪の降る中に立つ氷河の青い瞳も、不思議に冷たく見えない。
むしろ、そこにだけ春の空のかけらがあるように、氷河の瞳は温かい青色をしていた。
無言で、氷河はただ、子供の遊戯に興じていた仲間の顔を見おろしているだけだったのだが、その沈黙にも 瞬は冷たさを感じることはなかった。

「もう、中に戻るよ。あの……星矢たちには言わないでね。僕が こんな、子供みたいに雪に浮かれて はしゃいでいたなんて、絶対に秘密」
「ああ」
「ありがとう!」
とりあえず 星矢に知られさえしなければ、この子供じみた振舞いを からかわれて困ることはないだろう。
素っ気なく短いがゆえに信頼できる氷河の返事を聞いて、瞬は安堵の胸を撫で下ろした。
そして、玄関に向かって歩き出した氷河のあとを追いかける。

「あ、でも、氷河も雪が嬉しくて、外に出てきたの?」
氷河は後ろを振り返らずに、
「まさか。俺は雪など見慣れている」
と答えてきた。
それは至極尤もな答えで――至極尤もな答えだから、瞬は息を呑んだのである。
ならば氷河は、本当に、雪に浮かれ はしゃいでいる仲間が風邪をひくことを心配して、わざわざ真冬の庭に出てきてくれたのだろうか。
もし そうなのだとしたら――それは瞬には詰まらぬ杞憂と笑い飛ばしてしまえるようなことではなかった。

「あ……ありがとう……!」
瞬が礼を言うと、氷河は一瞬 その足を止めた。
だが、すぐに瞬に背を向けたまま、再び雪の中を歩き出す。
本当に愛想がなく素っ気ない――と思うのだが、なぜかどうしても冷たく感じられない。
とても温かい気分で――瞬は、氷河のあとを追いかけた。






【next】