瞬が、イエスの神に感じた得体の知れなさと不安を、恐れるほどのものではないと思うことができるようになったのは、聖域で瞬たちを迎えてくれたアテナの明るさのせいでもあったかもしれない。
知恵と戦いの女神の知恵は、いつも明るく前向きで、人の心に希望を生むものだった。
「彼を支配していたものが 本当に神と呼ばれるものだったとしても、そうでなかったとしても、あまり気にすることはないわ」
と、アテナは あっさり言ってのけた。

「だって、人間は善悪の間で迷い続けるものだから。そんな人間たちの上に 絶対の力で君臨し続けることは、誰にもできないのよ。恐怖に負け、束の間 迷い従うことはあるかもしれないけれど、彼は恐怖で人間たちを支配し続けることはできない。彼は、人間の絶対の信仰を手に入れることはできない。たとえば 死を覚悟した人間には、恐怖なんて どんな力も持たないものでしょう? 愛する人の命を守るために 我が身に永劫の苦痛を受ける決意だって、人間にはできる。大丈夫よ。結局、人間の世界は人間のものなのだから、神に支配することなどできないの。愛以外の力では」

“神”であるアテナが、笑いながら そう言う。
彼女の笑顔と言葉のおかげで、瞬の気持ちは すっかり軽くなった。
もっとも、アナテは、彼女の聖闘士たちに希望を与えた その直後に、きっちり自重を促すための石を投じることも忘れなかったが。
「でも、すべての人間が自分以外の他者を愛する気持ちを忘れ、死と死後の世界の恐怖に負け、そんな神に従うような醜悪なものになったら、私も堪忍袋の緒が切れて、人間など滅んでも構わないと思うようになるかもしれないけど」
「そんな恐いことを言わないでください」
「あら、私は至って本気。神なんて、そんなものよ? すべての人間が納得できるような裁定なんか もとよりできないし、なのに、この世界を滅ぼすくらいの力だけは持っている傍迷惑なもの。だから、あなたたち人間も油断しないことね」

それはアテナの本心なのか、冗談なのか。
アテナの意味ありげな笑顔からは、氷河も瞬もアテナの真意は読み取れなかった。
が、おそらく それはアテナの本心であり、冗談でもあるのだろう――と、人間である二人は思ったのである。
「アテナが敵にまわっても、おまえは俺が守る」
「僕も、たとえアテナにでも氷河は殺させない」
「お互い、いつまでも仲良くしていられたらいいわね」
呑気に笑って そんなことを言ってくるアテナに、氷河と瞬は やはり笑い返すことしかできなかった。
その笑みは、少々 引きつったものになってしまっていたが。

人間の心に希望を与えてくれるアテナは、だが 完全無欠の神ではない。
全知全能の神でもない。
欠点もあれば、いたずら心も持ち合わせている、見ようによっては聖性に欠けた俗な神である。
時に優しく、時に厳しい、人間に似た心を持つ神。
だが、彼女は、少なくとも 完全無欠の神と違って、人間が愛することのできる神だった。






Fin.






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