カミュ国王が絶対零度の氷の像になって10日後。 氷河王子は覚悟を決めました。 恥知らずと ののしられようが、瞬王子に土下座をすることになろうが、瞬王子の力を借りるために どんな恥辱にも耐える覚悟を。 「どんな願いも叶えるといえば、瞬は叔父上を救ってくれるかもしれん」 「そんなことを言ったら、瞬殿は殿下の妻の座を望むでしょう。瞬殿は殿下を恋い慕っているようでしたし、おそらく火の国の者たちもそれを望んでいる。うまくすれば、氷の国を火の国の属国にできるのですから。それでもいいのですか。へたをすると、氷の国が地上から消滅することにもなりかねません」 侍従長が思案顔で氷河王子に忠告してきましたが、他に道がないことは彼もわかっていたのでしょう。 彼も、氷河王子の決意に強硬に反対することはしませんでした。 「叔父上を救うためだ。仕方がない。それで氷の国が火の国に併合されたら、氷の国は火の国の一部になるんだ。火の国の王も、自国の民に無体なことはすまい」 氷河王子が火の国に向かう船に乗り込んだのは、悲しみの瞬王子が氷の国を発ってから半月後。 氷河王子は、幸いなことに 火の国の王宮で門前払いを食わされることはありませんでしたが、氷河王子に謁見を許した火の国の国王は、出会いの瞬間から、氷河王子への敵愾心を隠そうともしませんでした。 「瞬。俺の冷酷な振舞いには腹を立てていると思う。だが、叔父を救ってほしい。叔父を救ってくれたら、おまえの言うことは何でもきく。何でも望むものをおまえにやる。氷の国の王位でも、氷の国そのものでも――」 明るく温かな空気で満ちている火の国の謁見の間。 その玉座に着いている火の国の国王と、彼の横に即席に用意されたらしい華奢な椅子に青白い頬をして座っている瞬の前で、氷河王子は そうしろと求められたわけでもないのに跪き、瞬王子に頼んだのですが、火の国の国王陛下は――瞬王子の兄君です――氷河王子の苦衷に同情した様子も見せず、不愉快そうに氷の国の王子を睨みつけるだけでした。 「なんて恥知らずで図々しい男なんだ! 瞬は、貴様の国から帰ってきてから、毎日ずっと泣き続けていた。だいいち、カミュ国王がそんなことになったのは、貴様の軽率と傲慢が掟の女神テミスを怒らせたせいだというではないか。その上、カミュ国王は、自然に存在する雪や氷のせいで凍りついたのではなく、絶対零度の凍気に侵されているとか。救おうとした瞬の方がカミュ国王の凍気に取り込まれ、命を落とすことになったらどうしてくれるんだ!」 「なに……?」 「一輝兄さん……! 兄さんが そんなひどいこと言わないで。カミュ国王様は――」 カミュ国王は、氷河王子にとっては、今となっては ただ一人の肉親。 瞬王子にも とても親切にしてくれました。 瞬王子は、氷河王子が その矜持を捨て そうだったことを知って、氷河は初めて 自分を本当に恥ずかしい男だと思ったのです。 大義名分のために自分のプライドを捨てることなんて、実は恥ずかしいことでも屈辱的なことでもないんですよ。 大義名分があれば その大義名分のためなのだと自分を説得し、人は自分のプライドを保つことができますから。 人が本当に屈辱を味わうのは、敵だと思っていた人物が自分より優しく寛大な心の持ち主だったことを知らされた時。 自分のプライドがちっぽけで詰まらないものだったことを思い知った時、人は本当に恥ずかしい思いをするのです。 今の氷河王子のように。 「瞬、おまえは弱ってるし、危険だ。本当に死んでしまう」 火の国の一輝国王は、最愛の弟をいじめられたことに腹を立て、そのためだけに氷河王子の願いを退けようとしていたのではないようでした。 彼は、よその国の国王の命を見捨てようとしているのではなく、自分の弟の命を案じていたのです。 「本当なら、10年前に消えていた命です」 弟の身を気遣う一輝国王に微笑んで、瞬王子は事もなげに言いました。 その微笑は、少し寂しそうでしたけれど。 ですが、氷河王子は、“事もなげ”に瞬王子の優しさに甘えるわけにはいかなかったのです。 プライドを捨てて 瞬王子にカミュ国王の蘇生を頼み、それが実現されたら、瞬の願いを叶える。 その際に損なわれるのは、自分のプライドだけだと思っていたのに、どうやらそうではない――ようなのですから。 「瞬に危険が及ぶのか」 「あたりまえだろう! 絶対零度にまで冷えた人間の身体を通常の体温に戻すために、どれだけの熱と命の力が必要だと思うんだ! それでなくても、瞬王子は貴様のせいで体力生命力を著しく損耗しているんだぞ!」 『そんなことにも思い至らないのか、この阿呆!』と一輝国王が氷河王子に言わなかったのは、彼が他国の王子への最低限の礼儀を心得ていたからではなかったでしょう。 人は本当の馬鹿を馬鹿と言って貶したり、本当にはげている人をハゲと言って からかったりはできないものです。 「帰る。俺は本当に恥知らずだった」 これ以上、馬鹿にも恥知らずにもなれません。 氷河は その場に立ち上がり、火の国の国王と瞬王子の前から辞去しようとしました。 そんな氷河王子を瞬王子の声が追いかけてきます。 「僕、行きます!」 瞬王子は もしかしたら、氷河王子より馬鹿だったのかもしれません。 綺麗な目をした優しい馬鹿。 「僕、行きます。僕が10年前に死なずに済んだのは、きっと今日この時のためだったんだ。氷河の大切な叔父君を救って、氷河の幸せを守るため。僕は必ず、氷河の大切な叔父君を生き返らせます……!」 「瞬……」 氷河王子の幸せのためとなったら、頑として自分の意思を通す瞬王子を知っていたので、一輝国王は それ以上 馬鹿な弟を引きとめることはしませんでした。 瞬王子の身が心配なので、自分も一緒に氷の国に行くと言っただけで。 |