氷河が生まれてきたことが、すべての始まりだった。 黒い髪と黒い瞳を持つ王が、黒い髪と黒い瞳を持つ民を治めている国に、金色の髪と青い瞳を持った子供が生まれてきたことが。 モンゴル高原の遊牧民であった建国の祖チンギス・ハーンと彼の後継者たちは、西は東ヨーロッパ、アナトリア、シリア、南はアフガニスタン、チベット、東は大陸の端、朝鮮半島、北はルーシの奥深くまで、ユーラシア大陸の大部分にまたがる歴史上最大の世界帝国を創り上げた。 いわゆるモンゴル帝国である。 帝国は、現在は、キプチャク・ハーン国、チャガタイ・ハーン国、オゴタイ・ハーン国、イル・ハーン国、そして、フビライ・ハーンの治める元等、幾つもの国に分かれ、緩やかな結びつきを維持しつつ、それぞれに内戦と外征を続けている。 各国の王たちは、その強大な武力に物言わせ、周辺国家を襲撃し、その君主と一族を虐殺して、領土を広げるということを繰り返していた。 氷河の母は、モンゴル帝国キプチャク・ハーン国軍の北方侵攻の際、ことごとく滅ぼされたルーシの公国の中の一つ、リャザン公国の公女。 金色の髪と青い瞳を持つ女性――故国を滅ぼされた時には、まだ10代の少女――だった。 家族も友人も故国もすべてを失った彼女が命を奪われずに済んだのは、それが彼女にとって幸福なことだったのか不幸なことだったのかは定かではないが、その美貌のゆえ。 彼女は、彼女からすべてを奪った男――キプチャク・ハーン国の王――の後宮に迎え入れられたのである。 キプチャク・ハーン国の後宮には、氷河の母と似た境遇の女たちが数多くいた。 というより、彼の後宮にいる女のほとんどが、彼に滅ぼされた国の生き残りだった。 氷河の母のように金髪の女もいれば、栗色の髪の女、赤毛の女もいた。 氷河の母のように青い瞳の女もいれば、緑色の瞳の女も、茶色の瞳の女もいた。 しかし、それらの女たちが産んだ王の子供が、母親と同じ色の髪や瞳を持って生まれてくることは決してなかったのだ――これまでは。 後宮で生まれる すべての子供が、キプチャク・ハーン国の王と同じ黒い髪と黒い瞳を持って生まれてきた――常に。 キプチャク・ハーン国の国王自身、その祖母は金色の髪と青い瞳を持つ異国の女だったのだが、黒い髪と黒い瞳を持って生まれてきたがゆえにモンゴルの子と認められた男の息子だったのである。 黒い色は すべての色に勝る色、すべてのものを支配する色。 そう信じられているキプチャク・ハーン国の後宮で、黒い髪と黒い瞳を持たない子供が産まれたのは、氷河が初めてだった。 当然 氷河は、すぐにはモンゴルの子として認められなかった。 紛れもなくキプチャク・ハーン国王の血を引く息子。 だが、黒い髪と黒い瞳を持たない者は、国にとっての凶兆として すぐに命を断つべきと主張する者も多かった。 にもかかわらず、氷河が命を永らえ、キプチャク・ハーン国の王子として生き続けることが許されたのは、モンゴル帝国――その中の一国であるキプチャク・ハーン国――が、多くの国を侵略することによって領土を広げてきた国だったからだった。 多くの国を滅ぼし、その領土を増やしてきたキプチャク・ハーン国は、そのために、国内に様々な人種、様々な宗教を信じる者たち、様々な言語を操る者たちを抱えていた。 もちろんモンゴル語の習得が必須条件ではあったが、生粋のモンゴル人でなくても、有能な人物はキプチャク・ハーン国の王宮でも重職に就くことができた。 そういった人々が、それぞれの宗教、それぞれの神に 黒い髪と黒い瞳を持たない王子は不吉だと主張する者、建国の祖であるチンギス・ハーンとその子孫が そして、彼等は、ある者は氷河の命を奪うべきだと言い、また ある者は 氷河を生かしておくことが国の繁栄を約束することだと言い張った。 様々な宗教を信じ、それぞれの神を戴く者たちによって百出した意見。 その中で唯一 一致していたのは、金色は太陽の色であり、あらゆる戦いにおける勝利を象徴する色だということ。 帝国の色である黒を持たない王子は国にとっての凶兆であり、ただちに殺すべきだと主張する者たちでさえ、その点に関してだけは異論を挟まなかった。 この王子がいる限り、キプチャク・ハーン国は戦いにおける敗北を知らずにいられるだろうということに関してだけは。 その時、キプチャク・ハーン国は戦の最中だった。 というより、キプチャク・ハーン国は戦をしていない時のない国だった。 そういう時代だったのである。 そして、氷河の母は王の深い寵愛を受けていた。 彼女に、 「この子の命を断つというのなら、私も死にます」 と言われ、王は、金色の髪と青い瞳を持つ王子がモンゴルの子として生きることを許したのである。 ただし、彼は 氷河の生存に条件をつけた。 黒い髪と黒い瞳を持たない王子は不吉であると主張する者たちは多く、彼等の意見を完全に無視することは、国の王である彼にもできなかったから。 国に災厄をもたらす、だが、戦いの勝利が約束された王子は、王家の転覆を企む者には利用価値のある王子ということになる。 軍の不敗が約束されても、王位が簒奪されるような事態が現出しては、王個人にとっても不都合だったのだ。 氷河の生存を認める際につけられた条件。 それは、氷河の代で金色の血を途絶えさせること――二度と、モンゴルに金色の髪と青い瞳を持つ王族を出現させないこと――だった。 当然、王位に就くことは許されない。 王子としての地位と権利は約束するが、それ以上のものは与えられない。 ただ戦いにおける勝利を守るためだけに生き続けることが、金色の髪と青い瞳を持つ王子の義務として、氷河の上に課せられたのである。 そうして、氷河は、数十人いるキプチャク・ハーン国王の子たちの中でも特別な王子として育つことになったのだった。 王子としての権利は守られ、衣食住に関しては どんな贅沢も許された。 その身分にふさわしい教育も受けられたし、遊牧の民らしく馬に乗って草原を駆ける自由も与えられた。 ただし、彼の側には いつも王子の身辺警護を兼ねた見張りの侍官が複数人つき、氷河は一人になることはもちろん、侍官抜きで人に会うことも禁じられていた。 氷河が初めて戦場に連れて行かれたのは、彼が10歳になったばかりの時。 勝利が危ぶまれていた小アルメニア王国の討伐の際だった。 まだ戦うことなどできるわけもない歳の氷河の従軍を提案したのは、氷河を国の凶兆と主張する生粋モンゴル派の重臣たちだった。 他の戦場に兵を割かれ、小軍しか送り込めない その戦いは、十中八九とまではいかないが、勝利の可能性は5割程度というのが大方の見方。 他の戦いが落ち着いたら、いずれ本格的な軍を派遣することになる、言ってみれば、敵の戦力と戦い方を探る様子見の戦いだった。 生粋モンゴル派の重臣たちは、戦いに勝てばよし、万一 戦場で氷河が命を落とすようなことがあれば、それはそれでまたよしと考え、氷河を試すために幼い彼を勝利の見込みのない戦場に送り込んだのである。 氷河はただ進軍の際に先頭に立っただけで、実戦には加わらなかったが、勝利が危ぶまれていた小アルメニア王国との戦いでキプチャク・ハーン国軍は完全な勝利を得た。 小アルメニア王国軍は戦死者だけで2000人を超えたが、キプチャク・ハーン国は戦場での病没者が1人出ただけで、負傷者は100人にも満たなかったのである。 抵抗する国には残虐だが、抵抗せず帰順した国には寛容政策を採るモンゴルのやり方を知っていた小アルメニア王国の軍兵たちは、国王や指揮官の徹底抗戦の意思に反して、最初から腰が引けていた。 対照的にキプチャク・ハーン国軍は、10歳になったばかりで戦場に駆り出された幼い王子のために奮起する兵が多かった。 小アルメニア王国討伐軍には生粋のモンゴル兵が少なく、『金色の髪の王子がいる限り、キプチャク・ハーン国の不敗は守られる』という予言を信じる者たちがほとんどだったことも、氷河には良い方に作用した。 その後、小アルメニア王国討伐戦に似たようなこと――奇跡的勝利とまでは言えないが、想定外の楽勝――が幾度か重なり、『金色の髪の王子がいる限り キプチャク・ハーン軍は不敗を守り続ける』という予言は、徐々にキプチャク・ハーン国内――特に軍部に浸透していったのである。 他の王子たちがやっと初陣に出る歳の頃には、氷河は既に戦場に慣れ、 健康で体格優れ、才能豊か。 そして、不吉な神話と勝利の神話の持ち主。 氷河は、キプチャク・ハーン国の王宮で特異な位置を占める特別な王子になっていったのである。 |