ドアの向こうで氷河が絶句したのが、星矢たちにはわかった。 そして、さもありなんと彼等は思ったのである。 氷河の驚きは至って自然、彼の感性は極めて正しく一般的である――と。 星矢と紫龍は、結局 二人の仲間が気になって、アテナ神殿の反省会場に戻ってきていた。 そして、その熱き友情に導かれるまま、盗み聞きなどという もっとも、今では二人は、熱き友情のたぎりになど屈することなく、冷静な理性の囁きに従うべきたったと、自分たちの行為を心から後悔していたが。 そうすれば、自分たちは こんな馬鹿げた会話を聞かずに済んだのだ――と。 「理想が高いってのは、世界一 馬鹿で、世界一 我儘で、世界一 手がかかる男でないと、瞬は心を動かされないってことか?」 「瞬は、『理想が高いこと』と『好みが特殊なこと』を混同しているんだろう」 「あ、やっぱり? だと思ったんだ。はははは……はあ……」 神殿の廊下に空しく響いた星矢の笑い声が、そのまま溜め息に変わる。 めでたく 真実の(?)愛と希望を手に入れたらしい氷河と瞬とは対照的に、今、星矢と紫龍の胸は虚無感でいっぱいだった。 「瞬が こんな変人だったなんて、俺は今の今まで知らなかったぜ。これは どう考えても、氷河より瞬の方が はるかに変人だよな」 「その意見には、賛同しないわけにはいかないな」 「つまり、あの二人は似合いの二人だったってことだ」 自死を望んでいるかのような 氷河の謎の命がけの無茶無謀。 アテナの聖闘士たちの信頼関係をも揺るがしかねない、氷河の自分勝手な戦い振り。 いったい氷河はどうしてしまったのか、そんな氷河の変貌に瞬はどれほど心を痛めていることかと、彼等は彼等の仲間たちを心から案じていた。 だというのに、それは結局、一組の恋人同士のベッドでの誤解が生んだ、第三者には いかなる意味も持たない空騒ぎにすぎなかったのだ。 そんなものに巻き込まれ、あまつさえ こんなところで 「俺、理想は そんなに高い方じゃないし、そもそも戦いに理想なんて抱いても無意味だってことは わかってるつもりなんだけどさ。もう少し普通の感性と常識を備えた仲間と組んで戦いたいって俺が思うのは、やっぱり分不相応な高望みなのか?」 「それは、今の俺たちには到底 手の届かない 高すぎる理想、到底叶わない 空しい夢だな」 「やっぱり?」 僅かな逡巡の時もなく返ってきた紫龍の答えに、星矢は 絶望的な気分になってしまったのである。 結局のところ、今回のことは、白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士の痴話喧嘩に、天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士が巻き込まれ、振り回されただけの空騒ぎだった。 それは、いい。 それはまだ我慢できる。 だが、もし、これが今回限りのことでなかったら。 これが、今日この日以降も 天馬座の聖闘士たちの上に繰り返し 降りかかってくる試練だったとしたら。 同性同士で聖闘士同士。しかも、双方共に かなりの変人。 そんな特異なカップルが、一般的な恋人同士レベルの平和で平穏な恋の日々を営んでいけるはずがない。 そして、彼等が引き起こす幾多のトラブルの影響を 彼等の仲間たちが免れることは困難であるに違いない。 考えれば考えるほど、星矢の胸中には暗鬱な色をした雲が重く立ちこめてくるのだった。 理想の仲間、理想の戦いというものがどんなものなのかを、星矢は知らなかった。 考えたこともなかった。 信じて貫けば、夢は必ず実現するものなのかもしれない。 信じて貫けば、人はいつかは理想に到達することができるのかもしれない。 だが、どれほど頑張っても──そもそも 信じることが不可能な夢、貫き通そうという意思を持つこと自体が無理な夢というものが、この世界には存在する。 今の星矢にとっては、『一般常識を備えた普通の仲間と 普通の戦いをしたい』というのが、それだった。 信じて貫けば、夢は必ず実現するのだろう。多分。 だが、決して叶うことがないゆえに『夢』と呼ばれる『夢』も、この世には存在する。 Fin.
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