「交替性転向反応――だったっけ? ダンゴムシが右に曲がって左に曲がって、同じ場所に戻らないって性質」
「ん? ああ、そうだ」

桜の蕾が 今にも はち切れそうに色づき膨らみ、白く小さなコデマリの花たちが降り積もった雪のように あふれ咲き乱れている春の庭。
ダンゴムシの交替性転向反応を自分の目で確かめたいという欲求を押さえきれず、地面に這いつくばるようにして、星矢が 庭の石をひっくり返しながらダンゴムシを探していた時だった。
星矢の目の前にある小山のようなコデマリの木の向こう、約8メートル先で、突然 氷河の告白劇が始まってしまったのは。
おかげで、星矢と、星矢のダンゴムシ探しに付き合わされていた紫龍は、その場に立ち上がることができなくなってしまったのである。
氷河の告白劇開始から、既に40分強。
星矢と紫龍は、それこそダンゴムシのように 白い花のついた低木の陰で、氷河の告白劇の展開と着地点を固唾を呑んで見守っていた。

この美しい春の庭のどこかで、たった今も ダンゴムシは一心不乱に その食欲を満たしているのだろうか。
幸福というものは人それぞれ虫それぞれだとは思うが、氷河は その人間性及び努力の度合いに比して、少々 報われすぎ、恵まれすぎなのではないか――というのが、星矢の正直な劇評だった。
もちろん、星矢は こうなることを望んでいたし、もし こうならなければ、星矢は(自分の勘が外れたことを)得心できずに むくれていただろうが。

「一つの目標を決めたら、それに向かってまっすぐに進むことしかできない氷河より、ダンゴムシの方が利口なのかもしれないけどさ、利口だから幸せになれるとは限らないよなー。どう考えたって、コンクリートよりは瞬の方が美味いだろうし」
「確かに。脇目も振らず まっすぐ突き進む方が 幸せになれる場合もあるようだ」
「ちょっと安心した。それって、つまり、馬鹿の一念を通せば、昆虫以下のオツムの持ち主でも幸せになるチャンスはあるってことじゃん」
氷河同様 あまり交替性転向反応の才能に恵まれていないことを自覚している星矢が、弾んだ声で(だが、氷河たちに聞こえない程度に音量を落として)紫龍に告げる。
が、紫龍は、そんな星矢に残念そうに首を横に振ってみせた。

「それは間違った認識だな」
「へ? なんで? だって、氷河は現に――」
「ダンゴムシは昆虫じゃない。甲殻類だ。つまり、エビやカニの仲間だな」
「ダ……ダンゴムシってムシじゃないのか…… !? 」
氷河の恋が ついに実った美しい春の庭。
白鳥座の聖闘士がどれほど大きな幸福の中にいるのかなどということを知りもせず、氷河の幸運と幸福を羨むこともせず、もちろん天馬座の聖闘士に昆虫と思われていたことに気を悪くすることもなく、ダンゴムシは今も ただもくもくと その食欲を満たしているのだろう。
幸福というものは、人それぞれ、虫それぞれ、甲殻類それぞれ。
幸福の大小強弱を客観的数値に置き換えることのできる計測機器はない。

美しく温かく うららかな春の庭。
その庭で、ダンゴムシが昆虫でないという貴重かつ有益な知識を得、かつ、生きとし生けるもの すべての人生を垣間見ることができたような気がした星矢は、紫龍にともダンゴムシにともなく、
「勉強になりました」
そう言って、頭を下げたのだった。






Fin.






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