一般常識を備えていない目上の人間との連日のデートは、瞬に体力、気力両面で かなりの負担を強いているようだった。
諦めの悪いことで定評のある青銅聖闘士の一人である瞬の口癖が『僕、疲れた』になり、実際、日に日に顔色が悪くなっていく。
見兼ねた氷河が、
「このままでは、いつかおまえも倒れてしまう。残りの奴等には俺が話をつけてやるから、もう こんな馬鹿げたことはやめろ」
と言い出した時、瞬は、誘拐犯の潜伏場所で保護者や警官に救い出された子供のように、ほっとした顔になった。
「やめていいの?」
「当たりまえだ」
「明日のサガとのデートも?」
「行かなくていい」
「よかった……嬉しい……」

『明日のデートに行かなくていい』と言われて、それまで張り詰めていた瞬の緊張の糸は ぷっつりと切れてしまったようだった。
安堵の表情を浮かべた瞬が、そのまま その場にあった石のベンチに座り込む。
「大丈夫か」
氷河に尋ねられると、瞬は無言で小さく頷き、氷河の手にすがるようにして、氷河をベンチを座らせた。
そして、氷河の肩に上体をもたせかけて目を閉じる。
寝入ったというより、瞬は ほとんど意識を失った状態のようだった。
好きでも何でもない相手とのデートというものは、尋常でない体力を誇る聖闘士をさえ、ここまで消耗させてしまうものらしい。
敵にも味方にも甘いことで定評のある瞬が、らしくもなく辛い点を連発していたのは、疲れと緊張が瞬を弱くしていたからだったのかもしれない――と、星矢は思ったのである。
瞬は連日 一人で 十二宮突破を強いられているのと大差ない状態にあったのかもしれない――と。

「黄金聖闘士ごときに、瞬好みのデートなどできるわけがないんだ。あんな身勝手な男共に付き合わされて、かわいそうに」
氷河が瞬の肩を抱き寄せながら、低い声で呟く。
その件に関しては責任を感じていたので、氷河に責められたわけではないのだが、星矢も少し気まずい面持ちになった。
「俺も無責任に焚き付けたのは悪かったと思ってるけど……なあ、おまえさ」

これまで訊くに訊けずいたこと。
だが、いつまでも確認せずにもいられないこと。
しかし、それも 今なら――アテナの聖闘士の中でも最高位に位置する黄金聖闘士たちでさえ瞬を満足させるデートひとつ成し遂げられないことがわかった今なら――訊くことも許されるのではないだろうか。
そう考えて、意を決し、星矢は 氷河と氷河の胸にもたれて寝入っている瞬の前に立ったのである。
「なんだ」
瞬を起こしてしまわないように、氷河が小さく低い声で尋ねてくる。
星矢も、同じように低く小さな声で 白鳥座の聖闘士に問うた。

「おまえ、瞬と付き合ってんじゃなかったのかよ? 俺、ずっと そうなんだと思ってたんだけど」
「……」
星矢が星矢らしくなく 気を遣って小声で問うたことへの氷河の答えは沈黙。
それは、瞬を起こしてしまわないように気を遣っているゆえの沈黙ではないようだった。
沈黙する氷河に、紫龍が横から、やはり小声で告げる。
「テストの採点に、やたらと おまえの対応振りを引き合いに出すから、氷河とのデートは100点満点なのかと訊いたら、瞬は、氷河とは一緒に遊びに行くことはあるが、デートをしたことはないと言っていた。――が、おまえが その靴を舐めてもいいと思っている相手は瞬なんだろう?」
「……」

氷河は、それでも 沈黙を守り続ける。
無表情で、肯定も否定もしない。
要するに、それが今の二人の現状なのだろう。
これ以上 氷河を問い詰めることは、氷河を追い詰めるだけのことなのかもしれない。
そう考えて、星矢と紫龍が 氷河の答えを諦めかけた時だった。
氷河が苦渋に満ちた呻きのような声で、
「俺は、ちょうど1年前の今頃、瞬に はっきり好きだと言ったんだ。そして、俺と付き合ってくれと頼んだ。だが――」
と、仲間の質問に答えてきたのは。
「だが?」
「ちょうど その時、瞬は 奈良の東大寺の本坊に収められたばかりの桜の襖絵を見に行きたいと思っていたところだったらしい。嬉しそうに そこに行くのに付き合ってくれと俺に言った。もちろん俺は二つ返事で瞬のお誘いに乗り――俺は その時には、俺の気持ちは瞬に通じたのだと思っていたんだ。瞬が俺の『好き』を仲間か友人の『好き』程度にしか思っていないことに気付いたのは、それから 二人きりでの外出を4、5回ほど済ませたあとで、結局 そのまま ずるずると今に至る――」
「……」

それはいったいどういう悲劇――あるいは喜劇――なのだろう。
好きだと告白し、付き合ってくれと頼み、それでも仲間でしかいられない二人というのは。
これは、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士ゆえ、一瞬のためらいもなく命を捨てることができるほど信じ合っている仲間同士ゆえの悲劇――あるいは喜劇――なのだろうか。
星矢と紫龍は、実際に痛みを感じているように苦しげな目をした氷河と、その氷河の胸に 安心しきった様子で頬と肩を預けている瞬の前で、ただただ深い溜め息を洩らすことしかできなかった。

「おまえの場合は、つまり、瞬好みの完璧なデートはできるけど、瞬にそれをデートと認めさせることができてないってことか」
「好きだと告げても仲間で友だちか。それは……なかなか難しい問題だな」
「なあ、ならさ。いっそ無理矢理押し倒しちまったらどうだ? そしたら、いくら鈍い瞬だって、おまえの『好き』の意味が嫌でもわかるようになるだろ」
「そんなことができるか! 瞬は俺を信じてくれているんだ!」
星矢の無責任な犯罪教唆に、氷河が激昂する。
それを冗談として聞き流せないところに、氷河の煮詰まり具合いが如実に現れている――と、星矢と紫龍は思った。
その冗談が現実に――本当の犯罪として実現してしまう日が いつか来るのではないかと、二人は本気で案じたのである。

「氷河……?」
『落ち着け、それは犯罪だ』と言って、氷河に犯罪教唆した当の本人である星矢が 氷河を落ち着かせようとした時、氷河の声――というより怒りの小宇宙に驚いたのだろう瞬が、その瞼を少し重たげに開けて、呟くように氷河の名を呼んだ。
途端に、氷河の怒りの小宇宙が、冬の間死んでいた土地に 暖かい色の花を生み出す春の野のごとき それに変わる。
春の雨によって 眠っていた鈍い根を目覚めさせられた春の花のように目を覚ました瞬は、氷河の胸にもたれかかったままで、まだ少し眠たそうに聞こえる声で呟いた。

「氷河……明日、一緒にどこかに遊びに行こ。デートの下手な人にばっかり付き合わされて、僕、疲れちゃった。僕、やっぱり 氷河と遊んでる方がいい」
「そうだな……。たまには海に出てみるか。ナクソス島はどうだ? この時季は遺跡の周囲が菜の花でいっぱいだそうだ。この時季しか見られないぞ。菜の花の中の古代遺跡なんて」
「綺麗だろうね」
「ああ。それにナクソス島では、今 アイスクリームのパイというのが人気なんだそうだ」
「え? それって、アイスクリームの天ぷらみたいなもの?」
「それは行ってみてからのお楽しみだな」
「わ、行く、行く! 行こう!」

4月はもっとも残酷な月――と詠ったのは、どこの詩人だったろう。
安らかに眠っていた春の花を目覚めさせてしまう月。
目覚めた春の花は、アイスクリームのパイという春の雨によって急に元気になり、無邪気に氷河の腕にしがみついてきた。

「相手が黄金聖闘士だから断るに断れず、練習台になってあげたけど、デートって、やっぱり、好きな人とするんでなきゃ意味がないし、楽しめないと思うんだ。そんなことするくらいなら、気の置けない友だちと外出してた方がずっと楽しいに決まってる。本当のデートってしたことないから、実際のところはどうなのかわからないけど、でもきっと」
「そうか……そうだな」

4月はもっとも残酷な月。
春はもっとも残酷な季節。
氷雪の聖闘士には、春の暖かさは何より残酷なものなのかもしれない。
氷河の声の苦さが、星矢と紫龍に そう思わせた。
「気の置けない友だちのために、普通の男は 完璧なデートプラン練ったりなんかしないだろ」
「瞬に全く悪気がないことが、氷河最大の不幸だな。春だというのに……」

4月はもっとも残酷な月。
春という季節は、安らかに死んでいた土から無理矢理 春の花を目覚めさせてしまうのだ。
しかし、人は、残酷な季節がいつか終わることを信じて生きていくしかないのである。
希望の闘士なら、なおさら。






Fin.



■『4月はもっとも残酷な月』 : T.S.エリオット『荒地』



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