ポーランド王の姪、トランシルヴァニア公やハンガリー宰相の従姉妹、ハンガリー副王の息子を夫に迎え、美貌でハンガリー王妃を凌駕し、ハンガリーで最も美しく高貴な女性だったエリザベート・バートリ。 別名、血の伯爵夫人。 彼女の居城だっただけあって、チェイテ城の内装は、氷河と瞬が宿泊している宿の部屋の狂乱ぶりを はるかに凌ぐものだった。 圧倒されるほどの乱脈と無秩序。 高価な調度が ゴミのように並べられている城の広間は、どこの骨董品屋に紛れ込んだのかと 瞬に錯覚を起こさせるほどだった。 その骨董品屋の中央で、巨人に睨まれながら 待つこと しばし。 こんな場所で長く暮らしていても 人は狂わずにいられるものなのかと瞬が思い始めた頃、玄関の広間から奥にのびた廊下の向こうから、中年女の居丈高な声が響いてきた。 「怪しい者を捕えたと?」 どうやら城の外で巨人と共にいた魔女が、城の女主人に ご注進に及んでくれたらしい。 女主人の声は、ひどく 刺々しく苛立っていた。 「いつも通りに、ハンガリー王の手の者なら、指の1本でも切り落として追い出し、興味本位の旅行者なら、鞭を食らわせて 少し礼儀を教えてやればいいだけのこと。なぜ わざわざ そんな詰まらぬことを私に報告してくるのだ!」 カタリン夫人は、今日は白いレースをふんだんに使った真紅のドレスを身に着けていた。 城内の内装同様、多くの宝石で指や胸元を飾り立てている。 それでなくても怒り肩の気味のある身体が、襟の強調されたドレスと 彼女に従う魔女の短躯、そして その驕慢な声のせいで、更に威圧的に見えた。 もっとも、巨人や氷河の側に近付くにつれ、彼女が意外に小柄なことがわかり、瞬は少し気が抜けてしまったのだが。 病的に白い肌。 顔の造作は、比較的 整っている。 彼女が40歳を過ぎた女性だということが、瞬には やはり信じ難かった。 確かに大きな瑪瑙の石の指輪をはめた その指その手は筋張り 細かな皺もあって、既に若さを失った女のそれだったが。 広間に入ってきたカタリン夫人は、まず氷河に目を留めて、一瞬 黙り込んだ。 次に、氷河の隣りに立つ瞬の姿を見て、大きく――異様なほど大きく――瞳を見開く。 そうしてから彼女は、舐めるような視線を瞬の上に投じてきた。 頭から爪先まで、ひと通り瞬の全身を視線で舐め終えると、今度は、髪、瞳、鼻、頬、唇、首、手指と、各部品の品定めを始める。 最後に、再度 瞬の全身を目で舐めると、彼女は 恋に落ちた蛇のような目をして、蛇の身体のように冷たい手を、瞬の頬へと のばしてきた。 「これは、確かに報告する価値のある客人だ。この娘に鞭を食らわせるなんてとんでもない。何という瞳、何という肌――美しい……美しいではないか!」 瞬は もちろん、その時にも男子の服を身に着けていた。 というより、瞬は生まれてこの方 ただの一度も女子の服など身に着けたことがなかった。 にもかかわらず、カタリン夫人は、一目で瞬を“娘”と決めつけてしまったのである。 平生の瞬なら、こういう場合、人間の目しか持っていないらしいカタリン夫人にがっかりしてしまっていたことだろう。 だが、今ばかりは――蛇の目、蛇の舌、蛇の手を持つ この貴婦人の前では――瞬も 平常心で呑気に落胆などしていることはできなかったのである。 本当に――何十何百という数の冷たい身体の蛇が 自分の身体に絡みついているような恐怖に囚われて、瞬は背筋を凍りつかせた。 |