ある一つの問題は、その真の原因を究明し、究明した原因を完全に消滅させることによってしか解決しない。 アブラムシに食われた葉を取り除くだけでは、薔薇の命は救えない。 問題の真の解決には、薔薇に危害を加えるアブラムシの駆除が 絶対に必要なのだ。 星矢たち青銅聖闘士は、まもなく その真理を思い知ることになったのである。 それから3ヶ月後、梅雨の季節に入り、再び城戸邸に帰ってきた一輝に すぐさま“結婚は人生の墓場”攻撃を再開した氷河の姿を目の当たりにすることによって。 朝の挨拶は、『おはよう』ではなく、 「結婚は人生の墓場だ。貴様、そこいらを ふらふらして、安易に女を作ったりするんじゃないぞ。ろくでもない女を掴まされたら、男子一生の不作だ」 食事の際の挨拶は、『いただきます』ではなく、 「人間は判断力の欠如によって結婚する。自分を理性ある人間と思うなら、貴様、いついかなる時も真っ当な判断力を保てよ」 一輝が 彼の留守中の様子を瞬に尋ねると、 「そう言えば、男の精神疾患患者は、婚約期間中と結婚初期に最も多く発生するんだそうだ。貴様のブラコンは それでなくても少々病的なんだ。普通の人間の2倍も3倍も気をつける必要がある」 夜は『おやすみ』の代わりに、 「ああ、そういえば、『神が同棲を発明した。悪魔は結婚を発明した』という格言もあるな」 他にも、氷河は言いたい放題だった。 「女はよくない。特に結婚などしてしまったら最悪だ。後顧に家庭なんていう憂いがあると、男は戦いに命をかけることを躊躇せずにはいられなくなるだろう。俺は、フェニックス一輝が家庭のために命を惜しむ様など見たくはないぞ」 「へたに家庭第一主義の女に捕まると、おまえは 今のように好き勝手にふらふら放浪していることもできなくなるだろう。戦いより家庭を重視することを求められ、最強の鳳凰座の聖闘士がマイホームパパに成り下がるしかなくなるんだ。女は 男のロマンも男の美学も解さない。そんなものを追求している暇があったら、燃えないゴミでも出してこいってなもんだ」 ――と、ここまでは3ヶ月前と同じだった。 しかし、今回は その先の展開が3ヶ月前とは違っていたのである。 『女を作るな』と あまりに氷河がしつこいので うんざりした一輝は、氷河に、『男なら作ってもいいのか』とは問わず、 「そんなことを貴様に指図される いわれはない! 気に入った女に会ったら、俺はすぐに その女と結婚する。貴様が何をわめこうと、誰が何と言おうと、万難を排して、俺は その女との結婚を断行するからな!」 と、大音声で言い切ってのけたのだ。 その迫力、怒りの小宇宙の凄まじさは、重罪人を前にした地獄の閻魔大王の一喝も かくやとばかりに苛烈激烈。 傍で見ているだけの星矢たちでさえ、思わず全身をすくみ上がらせたほどだった。 とはいえ、氷河が それくらいのことで恐れおののき、攻撃の手を緩めることがあるだろうとは、星矢たちは毫も思っていなかったのである。 一輝の怒声がどれほど激烈なものでも、それは所詮ただの声、ただの言葉にすぎない。 氷河は、物理的にいかなるダメージも負っていない。 そして、そんなことでダメージを受けるほど、氷河は繊細な男でも感受性に優れた男でもないのだ。 当然、氷河は新たな攻撃に出るだろう。 そう思っていたのである。第三者として その場に居合わせていた青銅聖闘士たちは。 実際に氷河は、怯え ひるんだ様子もなく、次の攻撃に転じた。 やにわに その場に両膝をつき、一輝に頭を下げ、 「頼む! 後生だから、結婚だけはしないでくれ! それだけは――それだけは、仲間の命を救うためだと思って 思いとどまってくれ……!」 と訴え――つまり、氷河は、敵に土下座をして切願するという、まさに捨て身の攻撃に出たのである。 これには、さすがの一輝も度肝を抜かれ、彼の攻撃的小宇宙は一瞬にして消滅した。 「氷河……おまえ、いったいどうしたんだ。腹でも痛むのか?」 最愛の弟にさえ、まず鼻で『ふっ』と笑ってからでないと言葉をかけることのできない一輝が、その『ふっ』も忘れて、土下座している氷河の前に片膝をつく。 氷河は、しかし、そんな一輝の瞳を見詰め、 「貴様の結婚には、俺の命と運命がかかっている。貴様は俺の生殺与奪の権を握っているんだ。頼む。後生だ。この先 どんな いい女に巡り会っても結婚だけはしないと、俺に約束してくれ……!」 ここで重ねて『そんなことを貴様に指図される いわれはない!』と怒鳴り返せるほど、一輝は冷酷非情な男ではなかった。 というより、一輝は、氷河の常軌を逸した言動の訳が全くわからず、混乱することしかできずにいたのである。 いったい どんな力が氷河を ここまで必死にさせているのか、その理由が全く わからない。察することもできない。 わからないことを約束することはできず、氷河が求めるものを与えることができないから、氷河の土下座攻撃も止むことがない。 しまいには一輝の方が、 「頼むから、もう少し 訳のわかることを言ってくれーっ!」 と泣きを入れて頭を下げる ありさま。 気楽な見物人だったはずの星矢たちも、この展開には あっけにとられること以外、何もできなかった。 まして、氷河と一輝が土下座し合うという恐ろしい場面に割り込んでいく勇気など、到底持てない。 これが、ある一つの問題を根本から解決しようとする努力を怠り、その問題が完全に解決していない事態を うやむやのまま やり過ごそうとしたことの結果だというのなら、たとえどれほど困難な障害や問題に出会ったとしても、この先一生 安易な解決に逃げるようなことだけは すまいと思う。 今になって そんなことを決意しても、すべては後の祭りというものだったが。 「でも、なんで 氷河の奴、こんなに一輝の結婚にこだわるんだよ」 「これは女嫌いが高じたとか、独身仲間確保のためとか、そういう問題ではなさそうだな。そして、氷河が結婚してほしくないのは、どうやら あくまでも一輝一人だけのようだ」 「ああ、そうみたいだなー……」 では“問題”は、なぜ氷河が一輝にだけは結婚してほしくないと願うに至ったのか――ということになる。 それが、この異常事態の根本にある謎のようだった。 だが、一輝が結婚することによって氷河がどんな損害を被るというのか。 星矢には そこのところが、やはり全く わからなかった。 「なあ、瞬、どう思う? なんで氷河は――おい、瞬。どうかしたのか?」 一輝の弟である瞬になら思い当たることはあるだろうか。 そう考えて、星矢が視線を巡らせた先。 そこには、すっかり血の気が失せてしまったような瞬の頬、蝋人形のように白く 蝋人形のように生気のない瞬の顔があった。 兄と仲間の こんな場面を見せられて、瞬が全く動じずにいられたなら、その方がおかしいといえばおかしいのだが、訳のわからない展開に驚き呆けているにしては、瞬の表情は暗すぎる。 「おい、瞬。どうしたんだよ。大丈夫か?」 星矢に肩を揺さぶられ、瞬が はっと我にかえったように その顔をあげる。 星矢の心配そうな眼差しに気付いて、無理に笑顔を返してくるところは いつもの瞬と言えたが、それでも瞬の頬は血の気を失ったままだった。 「あ……僕……うん……ううん、大丈夫だよ。僕、大丈夫……」 虚ろな目、心許ない声で そう答えてくる瞬は、少しも大丈夫そうには見えなかった。 |