「おまえ、なに考えてんだ! あんなとこで とって返すなんて、へたすりゃ死んでたぞ!」 仁王立ちの星矢に問答無用で頭から怒鳴りつけられてしまった瞬は、膝の上に置いた二つの手を拳の形に握りしめ、両の肩を丸めて身体を小さく縮こまらせた。 聖域の教皇の間。 星矢が瞬を よりにもよって今は空位の教皇の玉座に無理矢理 座らせたのは、おそらく“へたすりゃ死んでた”仲間の逃亡を、無意味に頑丈な肘掛けで阻むためだったろう。 自分に非があることは わかっていたし、瞬は 星矢の叱責から逃げるつもりはなかったのだが。 「うん……ごめんなさい。でも……」 「いい子は、『ごめんなさい』のあとに『でも』なんて言わねーの!」 子供の頃から無鉄砲な性格で 大人に叱られ慣れているせいか、星矢はこういう時の常套句をよく知っている。 星矢に厳しい注意を受けた瞬は もう一度、今度は『でも』抜きで、 「……ごめんなさい」 と、星矢に正しく謝罪し直した。 子供の頃から 理不尽な大人に反抗することを繰り返し、一度 口にした『でも』を撤回したことのない星矢が、瞬のその素直な反応に調子を狂わされたような顔になる。 「おまえ、ちょっと素直な いい子すぎだって。星の子学園のガキ共なら、こういう時は、理由も聞かずに一方的に叱りつけるなんてのはよくないとか、悪ガキだった俺には 自分のこと棚にあげて人を叱る権利はないとか 資格はないとか、あれこれ理屈をこねて、意地になって『でも』の続きを言おうとするのに」 「星矢が自分のことを棚にあげてまで、あの子たちを叱ってあげるのは、星矢が あの子たちのことを本当に心配してるからだもの。星矢があの子たちを叱るのは、権利や資格があるからじゃなく、優しいからだよ」 “いい子”の瞬は、自分が叱られているというのに、叱る者の心を 星矢は、そんな瞬を見おろして小さな溜め息をついた。 人には、叱りやすい人種と叱りにくい人種というものがある。 すなわち、叱られても自分の非を認めようとしない人種と、叱られる前に反省をしてしまう人種。 瞬は、明確に後者だった。 「で? 『でも』何なんだよ。おまえは なんで あんな危ないことしたんだ?」 星矢は 早々に瞬を叱ることを諦めた。 そして、『でも』に続けて何を言おうとしたのかを、瞬に尋ねていったのである。 事の発端は、星矢たち青銅聖闘士が、聖域の近くにある古い神殿の遺跡の周辺に奇妙な小宇宙が渦巻いていることに気付いたことだった。 誰のものとも知れない強大な小宇宙。 小宇宙の存在は感じるのに、その小宇宙を発しているものの正体がわからないという不可思議な現象。 もし幽霊に小宇宙を生むことができるなら それはこんなふうな小宇宙であるに違いないと思えるような――それは本当に奇妙な小宇宙だった。 いったい ここはギリシャのどんな神を祀った神殿だったのか――。 そんなことを考えながら、星矢たちは 半ば崩れ掛けていたその大理石の建物に足を踏み入れたのである。 神殿の中に入っても、それが誰のために建てられた神殿であるのかを物語るような物は何ひとつなかった。 神の像も、神の名が刻まれた祭壇も。 そこには、発する者の姿が見えない強大な小宇宙だけが充満していた。 「この小宇宙、どこかで――」 どこかで接したことがある。 瞬は おそらく そう言おうとしたのだろう。 同じことを、星矢も――氷河も紫龍も――感じていたから。 だが、彼等は 彼等の記憶の糸を辿って、その強大な小宇宙の主を思い出す作業に取りかかることはできなかったのである。 彼等がそうする前に、数千年以上前に建てられた遺跡にしては珍しく屋根が残っていた その神殿の柱が前触れもなく倒れ、幾本もの柱によって支えられていた屋根が彼等の上に崩れ落ちてきたせいで。 「罠かっ !? 」 言葉より先に、アテナの聖闘士たちの身体が動く。 彼等は一斉に神殿の出口に向かって駆け出した。 ごく普通に物理の法則に従って崩れ落ちてくる石の屋根と、物理の法則など無視してのける聖闘士たちの動き。 アテナの聖闘士たちは、余裕で 瓦解する神殿から脱出できたはずだった。 「あっ」 瞬が 小さな悲鳴をあげ、屋根が崩れ始めている神殿の中に逆戻りしさえしなければ。 「瞬!」 ありえない瞬の行動に驚いた瞬の仲間たちが、その名を呼び、逆噴射行動に走った瞬の姿を視線で追う。 瞬は、そこで、姿のない何者かと 揉み合うような素振りを見せ、だが、すぐに仲間たちの許に戻ってきた。 その間、僅か2秒足らず。 結局、アテナの聖闘士たちは かすり傷の一つも負うことなく 無事に神殿の外に逃げおおせることはできたのだが、その2秒足らずの間に肝を冷やすことになった星矢は、仲間の心臓にいらぬ負担をかけてくれた瞬に、その訳を問い質すことになったのだった。 「ごめんなさい。僕、多分、落とし物をしたの。それを拾いに戻った」 「落し物?」 「うん……。大切な お守りなんだ。あれがあれば、僕は死なない。あれがあるから、僕はアンドロメダ島でも死なずに済んだ――」 「お守りを、 瞬の奇妙な言い回しに、星矢は すかさず突っ込みを入れた。 瞬が自信なさそうに頷く。 「それが……僕があの神殿から逃げ出そうとした時、何か見えない力に引っ張られて――誰かが引きちぎろうとしてるみたいに、お守りを僕から奪おうとしたんだ……」 「……」 あの神殿内に何者かの小宇宙が満ちていたのは事実である。 だが、まさか その小宇宙の主が瞬からお守りを奪うために、あの場所にアテナの聖闘士たちをおびき寄せたはずがない。 謎の小宇宙の持ち主が欲していたのは、アテナの聖闘士の命のはずである。 そんな状況下での瞬の(余裕の?)振舞いに、星矢は呆れないわけにはいかなかった。 「おまえは、お守りのために死にかけたのかよ!」 「ごめんなさい……」 心から反省したように、瞬がまた素直に謝ってくる。 本当に、瞬は叱りにくい相手だった。 「まあ、イワシの頭も信心からって言うけどさ。本当に間に合わない ぎりぎりのタイミングくらい、おまえなら見極められるってことも わかってるけどさ。急に頓狂な声あげて、崩れかけてる神殿の中に逆戻りされたら、俺たちだって びっくりするだろ」 「説明してる時間がなかったから……。ごめんなさい。もう落とさないようにする」 瞬は素直に自分の非を認め、虚心に反省し、謝罪している。 そんな瞬を重ねて叱っても得るものはない。 素直な いい子を叱り慣れていない星矢は、それ以上 瞬に何を言うこともできず、 「そうしてくれると、俺たちも助かる」 と告げて、引き下がることしかできなかった。 「落とさないようにする……そういう問題か?」 紫龍が、星矢に聞こえないように素朴な疑問を呟き、 「違うような気がする」 瞬に聞こえないように、氷河が応じる。 二人は、『そういう問題ではない』ということで、意見の一致を見ていた。 が、瞬は結局無事だったのだし、それで納得してしまったらしい星矢に あえて ここで突っ込みを入れて、瞬がまた星矢に謝罪する事態を招くこともあるまいと考えて、二人は その場はそれで済ませることにしたのだった。 |