「氷河……」
優しく静かな眼差し。
人間の眼差しが たたえる優しさは、度が過ぎると、強さ、険しさになるものらしい。
優しいのに――確かに優しいのに、それは優しすぎて 峻厳といっていい色を帯びていた。
「白鳥座が鳥の形を成し、アンドロメダ座がアンドロメダ姫の形を成している時代に、俺たちは生まれたんだ。星が結びついているように、俺たちも結びついている。そんな奇跡の出会いを果たした俺たちが、離れて二度と会えないなんてことはない」

そんな夢のように甘い言葉を言うために、氷河はどれほどの苦しみと孤独に耐えたのか――。
優しすぎて険しく、冷たすぎて明るい氷河の青い瞳に見詰められ、瞬は その可能性に思い至ったのである。
もしかしたら 同じ未来の夢を氷河も見たことがあるのではないだろうか――と。
不思議な現実感があり、確信に似た予感をさえ感じさせる あの夢を、氷河は――氷河も――知っている――。
彼は、アンドロメダ座の聖闘士より早く、あの夢に出会った。
彼はアンドロメダ座の聖闘士より先に“あの世界”を――アテナの聖闘士たちの未来を知らされ、アンドロメダ座の聖闘士より長く、“あの世界”に耐えてきたのではないかと。
もし そうなのだとしたら、氷河は“あの世界”で どんな自分に出会ったのだろう。
“あの世界”のアンドロメダ座の聖闘士と同じように、彼もまた“あの世界”の無限のような孤独のつらさと寂しさを味わったのだろうか。
氷河は、だが、それでも二人は再び出会えると信じているのだ。

氷河が“あの世界”を知っていることを疑う余地はなかった。
人が これほど優しい眼差しを たたえられるようになるには、12000年分の孤独と絶望に耐え抜く必要がある。
「もし、僕たちが 離れ離れになっても、僕たちはきっとまた会える? 僕は本当に もう一度 氷河に会える?」
「あたりまえだ。俺たちは仲間だぞ。万一、あの夢のように離れ離れになっても、俺は もう一度おまえに会うための努力を続ける。そのために生き続ける。希望を捨てない。死ぬまで――死んでも、希望を捨てない。俺たちが出会うことは、誰にも妨げられない運命なんだ。俺が そう決めた」
「氷河……」
氷河は やはり最もアテナの聖闘士らしい人間だと、瞬は思ったのである。
彼はおそらく、二人が二度と会えなくても、決して希望を捨てないのだ。

決して希望を捨てない優しい人が、瞬の身体を抱きしめる。
氷河の腕と胸には、12000年分の孤独と絶望に耐えることのできた者だけが持つ優しさと厳しさがあった。
「俺が そう信じていられるのは、おまえに会ったからだぞ。おまえや星矢や紫龍、一輝――仲間に会い、命をかけた戦いを共に戦ってきたから。もし俺がアテナの聖闘士にならず、おまえたちに出会うこともなかったら、俺は希望を持つことなど知らない人間のままだった。大丈夫、俺たちは会える。何度別れても、どれほど離れても、俺たちは必ずまた出会うんだ」
氷河が言うのでなかったら――12000年分の孤独と絶望に耐えた人が言うのでなかったら――それは、ただの優しい恋人の甘い囁きでしかなかったろう。
だが、氷河は、“あの世界”を知った上で、それでも瞬に そう囁くのだ。

「僕たちは必ず また出会える。きっと会える。希望を捨てない――」
瞬に強くなれと言う氷河の胸の中で、瞬は 氷河が告げた言葉を復誦した。
「そうだね。希望は捨てない」
自身に言い聞かせるように そう言って、瞬は氷河の胸に頬を押し当てた。
必ず出会える。
だが、それでも二人が会えずにいる時間が不安で悲しいのは、自分が氷河を特別に好きで、氷河と触れ合っていられる時こそを最も幸せな時だと感じる人間だからなのだろうと思う。
仲間としての氷河になら、いくらでも、いつまででも 希望を持っていることができるのである。
そんな自分でいることを信じることができた。
だが、恋人としての氷河に対しては、不安な気持ちの方が強い。

アテナの聖闘士としてなら、一人でも立っていられる。
アンドロメダ座の聖闘士は どんな孤独の中ででも、仲間を信じて希望を抱いていることができる。
だが、一人の人間である“瞬”は――氷河を恋している“瞬”は、一人でいる自分が つらく、心細く、春の微風に吹かれただけでも崩れてしまうことができそうな気がするのだ。
氷河の支えがなければ。
自分はなぜ、いつから これほど弱い人間になったのだろうと、今は 氷河の腕と胸に支えられながら、瞬は訝ったのである。
頬に感じる氷河の鼓動に、瞬は、
『僕は、本当にもう一度 氷河と会えるの……?』
と 自らの鼓動で尋ねた。
星に問いかけるように、運命に問いかけるように。
答えはすぐに返ってきた。

『もちろんだ』
星の声でもなく、運命の声でもない、何者かの声。
それは氷河の声に酷似していた。
だが、それが氷河の声であるはずはなかった。
それは、瞬の耳に聞こえてきたものではなかったから。
「今……何か言った?」
それでも、氷河に尋ねてみる。
「いや……?」
氷河は すぐに否定して、
「ああ、おまえを好きだと言ったかな」
すぐに肯定してきた。
では、あれは やはり この氷河の声ではない。
今、ここにいる氷河の声ではない。

では、誰の?
それは考えるまでもないことだった。
“この世界”の氷河の声でないのなら、“あの世界”の氷河の声でしか あり得ない。
“あの世界”にいる氷河が――今はまだ遠いところにいる氷河が――氷河の支えなしには立っていられない弱い恋人のために贈った声。

(氷河……!)
氷河の胸の中で、“この世界”にはいない氷河を思い、瞬の瞳には涙があふれてきてしまったのである。
決して希望を捨てない、強いアンドロメダ座の聖闘士。
ともすれば崩れ倒れそうになる心弱い“瞬”。
だが、“瞬”は、氷河に支えてもらえさえすれば、いくらでも強くなれる人間だった。
そして、氷河は、どれほど離れた場所ででも“瞬”を支えてくれているのだ。
ならば、“瞬”は強くなれるだろう。
必ず強くなる。

「会える。僕たちは もう一度、きっと会える」
もし あの夢が現実のものになっても、“瞬”は信じて生き続けるしかない。
信じて、希望を捨てなければ、生きていられる。
離れた場所で、きっと“氷河”も同じ思いで生きていてくれると信じることができるから。

「氷河、大好き」
今なら涙の訳を問われても、すぐに答えることができる。
“氷河”を信じているから――“氷河”を信じていられることが嬉しく――二人が再び会えると信じられることが嬉しくて泣くのだと。
氷河は、涙の訳を問う代わりに、
「俺もだ」
という厳しく優しい囁きを、瞬に返してきた。

奇跡は起こるものではない――起こすもの。
一人では無理でも、二人なら。
そして、仲間たちと一緒なら、奇跡は必ず起こせるだろう。
「白鳥座が白鳥の形でなくなっても、アンドロメダ座がアンドロメダ姫の形でなくなっても、きっと その時にも 僕は今と変わらず氷河を好きだよ」
「何十億年も?」
「何百億年も」

人の命も星の輝きも永遠ではない。
人が生きていられるのは、今この一瞬だけ。
この素晴らしい一瞬が、いつまで続くのかは誰にもわからない。
だが、愛する人の幸福を願い祈る心だけは永遠だろう。
それは、どれほど遠くにいても、愛する人の許に飛んでいく。
そして、必ず届く。
『必ず届く』と信じている限り。

願い、祈り、信じる、その心。
その心を、人は“希望”と呼ぶ。
決して消えない希望が、今 瞬の胸にはあった。






Fin.






【menu】