瞬がまた泣き出してしまいそうだったので、アテナへの謎の答えと そこに至るまでの経過の報告は、瞬に代わって氷河がした。
氷河から小さな指輪を受け取ったアテナは、
「そう……」
と小さく短く呟いただけだった。

アテナの許から戻ってきた氷河から その話を聞いて、せっかく一度は止まった瞬の涙が、また その瞳からあふれだす。
最初の涙は、アテナの聖闘士としての務めを果たすため、愛する人の幸せのために 恋を諦めた、かつてのケフェウス座の聖闘士のための涙。
二度目の涙は、そんなケフェウス座の聖闘士の女神のために流された涙だった。
最初の涙は 氷河の胸に止めてもらったが、二度目の涙は 瞬が自分の手で拭った。

「僕より沙織さんの方が つらいよね。誰より聖闘士たちの幸せを願っているのに、アテナはアテナの聖闘士たちを戦場に駆り出さなければならないんだ……」
地上と そこに生きる人々の平和と安寧を守るために、誰もが それほどの犠牲を払い、苦しみ、悲しみ、傷付いている。
それでも実現しない、真に平和な世界。
いつかは 平和で美しい世界が実現することを信じて、瞬は現に今、自らの戦いを戦っていた。
かつて世界の平和と安寧のために戦い死んでいった聖闘士たちもまた、今の瞬たちと同じように、平和で美しい世界の実現のために戦っていたのだろう。
そして、平和で美しい世界の実現を見ることなく死んでいった。
だが、彼等は、彼等の生あるうちに理想の世界を実現できなかったのではない。
彼等は彼等の時代の世界を守り切り、その夢と理想の実現を次代の聖闘士たちに託し、次代の聖闘士たちを信じて――いつか来る“その日”を信じて――若い命を戦いの中に投じていったのだ。
愛する人と、愛する人が生きている 彼等の世界を守るために。
神話の時代から連綿と続く聖闘士たちの戦いは、そういう戦いだった。

『君を愛している。さようなら』
愛する人と、愛する人が生きている世界への愛。
その愛を守るために刻まれた、優しく悲しい決別の言葉。
彼は決して、愛する人と別れ 戦場に向かう自らを哀れんではいなかっただろうし、戦場に向かう自らのために涙を流したりもしなかっただろう。
だから自分も泣くべきではないと思うのに、瞬の涙はなかなか止まってくれなかった。
幾度 拭っても、新しい涙が生まれてくる。

「いいさ。おまえは おまえのために泣いているわけではないんだから」
そんな自分の涙を責めない人が 側にいてくれることが、瞬の心を温め 和らげてくれた。
恋に落ちた二人が共に聖闘士だったことが、自分の人生における最大の幸運、自分の人生の最大の奇跡なのかもしれないと、瞬は氷河の胸の中で思ったのである。

「このオルゴール……僕がもらってもいいのかな」
「沙織さんは何も言わなかった。指輪だけでも、沙織さんには重すぎるものだろう」
「ん……」
そうして、彼女と彼女の聖闘士たちは この世界を守り続けてきた。
そうして、これからも、彼女と彼女の聖闘士たちは この世界を守り続けていくのだ。
戦い続ける自分を悲しいとは思わない。
哀れだとも思わない。
瞬はただ切なかったのである。
胸を引き裂かれるように、ただ切なくてならなかった。
今の自分たちと同じように 自分を哀れむことなく、愛する人と愛する人が生きている世界を守るために戦い死んでいった、かつての すべての聖闘士たちの心が。


    君よ知るや南の国
    レモンの花が咲き オレンジが実る、美しく懐かしい我が故郷
    あなたと共に帰りたかったのに、それは叶わぬまま
    愛するあなたを、今 私は遠くで思い懐かしみ憧れている
    あなたと共に帰りたかった――あなたの許に帰りたかった


愛する人と 愛する人の生きている世界を守るため、命をして戦い続けた、かつての すべての聖闘士たちの思いを載せて、星のきらめきのような音が 夜の聖域に流れ溶け込んでいった。






Fin.






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