ところで、星矢は実は その時まで全く気付いていなかったのである。 氷河と瞬の仲が、あまりよろしくないことに。 氷河に『いつも通りに愛想がいい』と言われて、『愛想がいい』は明確に嘘だが、彼が『いつも通り』であることは否定できない事実に思い至り、星矢は首をかしげた。 氷河と瞬の耳目をはばかり、二人がラウンジから席を外したタイミングを見計らって――つまり、一輝の耳目ははばからずに――紫龍に尋ねる。 「あの二人、仲が悪かったんだっけ? 戦う時には異様なほど息が合ってるんで気付かなかったけど、そーいや、俺、氷河が瞬とナカヨク話してるとことか見たことないぞ」 星矢に問われた紫龍が、こちらは一輝の耳目を気にしたように、ちらりと一輝の顔を横目で見てから、縦にとも横にともなく首を振る。 「氷河と瞬は、特に仲が悪いわけでも いいわけでもないだろう。取っ組み合いの喧嘩をするわけでも、声を荒げて言い争うわけでもない。ただ、あの二人は性格も価値観も――何より 人に対する態度が真逆だからな。瞬は基本的に誰に対しても人当たりが やわらかで、氷河は誰に対しても無愛想」 「確かに派手な喧嘩するわけじゃないけど、なんか、よそよそしいっていうか、他人行儀っていうか……。あの瞬相手に そうしていられる奴って珍しいよな」 そう言ってしまってから、星矢は 幼い頃の氷河の振舞いを思い出したのである。 人当たりの やわらかい瞬相手に素っ気ない態度を貫き通せる人間は珍しい。 だが、氷河は、幼い頃からそうだったことを。 「そーいや、氷河って、ガキの頃から あんなだったよな。瞬が笑ってても、泣いてても、いつも それが気に入らなさそうにしてて――。氷河みたいな奴は、瞬みたいな いい子ちゃんタイプが好きじゃないのかもしれないけど、でも、氷河も いい加減オトナになったのに、露骨に瞬を避けてみせるのって、それこそ大人げないよな」 「そうだったか? 氷河は 瞬と争ったり、瞬をいじめたりすることはなかったように思うが――少なくとも俺は見たことがない。だが、確かに何か……どういうわけか、俺は 氷河に対して いい印象がない」 幼い頃の氷河に関する一輝の記憶は、星矢のそれとは微妙に異なっていたらしい。 氷河が瞬をいじめ嫌っていた記憶はないにもかかわらず、氷河に対して いい印象がない。 その事実に、一輝は引っかかりを覚えたようだった。 「いい印象がない? そりゃ、あれだろ。実際に いじめたりはしなくても、氷河が瞬を嫌いなことを おまえが感じ取ってたからだろ」 「いや、この印象の悪さは、何というか もっと別の――」 「もしかしたら、ガキの頃の氷河への印象とかじゃなくて、おまえ、実は殺生谷でのことを いまだに根に持ってるんじゃね? あん時、氷河は おまえに敵意 剥き出しだったし、おまえも氷河に色々やらかしちまったし」 「……」 普通の人間には言いにくいことを、ずけずけと明るく言ってしまえるのは星矢の特技である。 弟たちと敵対し合っていた時のことを持ち出されてしまった一輝は、反駁の言葉を見い出せず――あるいは 反論しにくかったのか、気まずげな顔で黙り込んでしまった。 星矢の言う通り、殺生谷で、氷河は、一輝への敵意を剥き出しにしていた。 その身を挺して兄を庇った弟にすら拳を向ける一輝への憤りを隠さずに、まるで幼い頃の一輝のように、瞬を庇って。 瞬に拳を打ち込もうとしていた その時にさえ、実は一輝が弟を愛していたのだとしたら、氷河の振舞いは一輝にとって どうしようもなく腹立たしいものだったに違いない。 ならば、氷河に対する一輝の印象が悪いのも道理だろう。 星矢はそう考え、考えたことを そのまま言葉にしたのである。 星矢のその推察が正鵠を射たものであっても、そうでなかったとしても、星矢の指摘は、一輝には実に反応しづらいものだったに違いない。 「まあ、べたべたと仲良くすることがなくても、仲間として戦うことはできるだろう。氷河と瞬も、氷河とおまえも」 場を執り成すように、紫龍が話題を氷河と瞬の件に引き戻す。 「……そうだな」 一輝が紫龍の その言葉に素直に賛同してみせたのは、その時 既に彼の中には一つの予感があったから――だったのかもしれない。 つまり、自分は、和気あいあいとナカヨク 仲間たちと戦っていられるような男ではないという予感――むしろ 確信――が。 生きている姿を見せ、弟と仲間たちに 自分の生存を知らせることで義理は果たした――というかのように、一輝が仲間たちの前から姿を消したのは、それからまもなく。 せっかく再会できた兄との、再々度の別れ。 瞬はさぞや落ち込むだろうと 星矢は案じたのだが、瞬は星矢の懸念に反して、意外なほど冷静だった。 「兄さんが生きていてくれさえすれば、僕はそれだけでいいんだ」 瞬は そう言って、仲間たちに笑顔を見せさえした。 これまでが不幸すぎた兄と弟。 一度ならず二度までも兄の死を覚悟した瞬にしてみれば、兄の逐電は嘆き悲しむほどの大事件ではなかったのかもしれない。 何はともあれ、一輝は生きていて、たとえ離れていても自分たちは仲間だと信じることができているのだ。 それ以上の幸福を望むことが、もしかしたら瞬は恐かったのかもしれない。 あるいは瞬は、それ以上を望むことを贅沢にすぎることと思っていたのかもしれなかった。 |