「余とあのような男を比べて、人間風情の方を美しいなどと――」 地上で最も清らかな魂と、冥府の王を一目で虜にした美しい肢体。 それほどの美しさを己が身に備えていながら、美を見る目がないとは、いったいどういう皮肉なのか。 不快、不機嫌、不愉快の極みで エリシオンに戻ったハーデスの目の前には、今日も金銀の神たちが控えていた。 その変わり映えのなさも、今はハーデスの不快を募らせることにしか作用しない。 「冥闘士を聖域に送り込む準備が整ったようです。パンドラがハーデス様の ご指示を待って――」 神妙な顔で報告してくる二柱の神の言葉を、ハーデスは最後まで聞く気にもならなかった。 右の手を軽く振り、金銀の神の言葉を遮る。 「よい。やはり、こたびの聖戦は取りやめる。余は眠るぞ。冥闘士たちは地上から撤退させよ」 「は……?」 金銀の神は、ハーデスの気まぐれには慣れていた。 しかし、それにしても、ほんの数刻前とは真逆の命令。 これは、朝令暮改どころか、朝令昼改暮改晩改。 命令される側の者はたまったものではない。 それでも冥府の王に逆らえないのが 金銀の神の不幸だった。 なにしろ、 「アテナとの聖戦において 余が決定的な勝利を得られずにきたのは、余の依り代の不従順のせいではなく、余の依り代の美醜を確認する際の不手際が原因だったのだ。余は、こたびのことで、それがよくわかった。次からは、依り代の美醜の確認は、風呂上がりを狙って行なうことにする。そうすれば、次の聖戦で 今度こそ、余は 地上を 余の望む死の世界にすることができるであろう」 などと 馬鹿げたことを言う冥府の王に、金銀の神は 真顔で、 「それはもちろん、その通りでしょう。いずれ地上世界は、この冥界同様、ハーデス様の支配を受けるという光栄に浴することになるでしょう」 と答えてみせなければならないのだ。 そして、永遠の命を持つ神である彼等の不幸は 未来永劫 続くのである。 彼等の唯一の救いは、彼等の絶対的支配者が 異様なまでの昼寝好きであるということだけだった。 「本当に ハーデス様の野望が叶う時はくるのだろうか」 眠りに就いたハーデスの身体を納めた神殿の扉は 再び閉じられた。 どこまでも続く花園に空しい視線を投げ、ヒュプノスは 宙に向かって独り言のように そう呟いたのである。 「期待薄だな」 タナトスが身も蓋もない答えを、彼の兄弟に返してくる。 「……」 その軽率を いさめようとして、だが、ヒュプノスは、結局そうするのをやめた。 もともとヒュプノスは、人類を根絶やしにしようとするハーデスの考えには危惧を抱いていたのだ。 冥府の王の野望が叶わないのなら、それはそれで特段の不都合もない。 しかし、それでも、ヒュプノスは、溜め息を禁じ得なかった。 面食いの上司ほど傍迷惑なものはない。 そして、永遠の命を有する神の憂いと苦悩は、永遠に終わることがないのだ。 神話の時代から 常に変わることなく 色とりどりの花が咲き乱れていた 今日も この花園では花が咲き乱れている。 この花園の花たちは、神々の命 同様、永遠にこの場で咲き続けているだろう。 面食いで気まぐれな上司を持ってしまった金銀の神の永遠の不運に同情するように。 Fin.
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