瞬王子と一輝王子の そのやりとりを、氷河王子は聞いてしまったのです。 瞬王子の姿が瞬王子の居間にもお庭にもなかったので、氷河王子は瞬王子の姿を求めて、エティオピアのお城中を探しまわっていました。 その途中で、氷河王子は心ならずも二人のやりとりを立ち聞きすることになったのでした。 ところで、その頃には 氷河王子はすっかり瞬王子に 恋する男は、たまに見当違いな誤解をするもの。 瞬王子が言った『氷河を騙したり傷付けたりするよりましです』の『氷河を』は、本当は『(氷河王子に限らず)誰かを』という意味だったのですが、氷河王子は 恋する男の希望的観測で すっかり勘違い。 自分が瞬王子に特別な好意を抱かれているのだと思い込んでしまいました。 まあ、この場合は、氷河王子が勘違いをしなくても――氷河王子が 瞬王子の発言の意図を正しく理解していても――結果は同じことだったでしょうけれどね。 氷河王子は、瞬王子の優しく清らかな心に打たれ、瞬王子に真実の愛を抱くようになったのです。 ちなみに『真実の愛』というのは、自分自身の幸福よりも相手の幸福を願う心のことですよ。 その真実の愛に突き動かされて――翌日、氷河王子は瞬王子の部屋に赴きました。 仮にも氷河王子は一国の王子でしたから、恋に我が身を捧げる決意をするには 一晩の時間が必要だったのです。 その一晩が過ぎた翌日、氷河王子が瞬王子の前に立った時、氷河王子の中には もはやどんな迷いもありませんでした。 「おまえに呪いがかけられていることは、昨日 おまえと一輝の話を立ち聞いたので知っている。おまえの呪いが解けると どういうことになるのかは知らないが、それでおまえが幸せになれるのなら、俺自身はどんな不利益を被っても構わない。俺は、おまえを苦しめている呪いを解きたい」 「氷河……き……聞いてたの……?」 「おまえの呪いを解くと、俺はカエルかロバに変身するのか? それとも死ぬことになるのか?」 「氷河、僕の呪いなんて解けなくても――」 「俺は構わんぞ。それでおまえが幸せになれるのなら」 「氷河……」 氷河王子はどうやら、瞬王子にかけられた呪いが具体的にどんなものなのかは知らないままのようでした。 ただ 瞬王子を不幸にしている呪いから瞬王子を解き放ってやりたい一心で、死をも覚悟してくれたようでした。 恋は突然、晴れた夏空に稲光が荒れ狂い始めるように やってくるもの。 氷河王子の その決意を知った時、瞬王子は氷河王子を恋するようになったのです。 女の心で? それとも男の心で? 瞬王子として? アンドロメダ姫として? その どちらなのかは瞬王子にはわかりませんでした。 もしかしたら、両方だったのかもしれません。 氷河王子を恋するようになった瞬王子の心は もちろん、何よりも――自分自身の幸福よりも――氷河王子の幸福を望んでいました。 「それで氷河が傷付いたり苦しんだりするくらいなら、僕は一生 呪われたままでいい!」 瞬王子が そう叫んだ時、瞬王子の瞳と頬は涙に濡れていました。 もちろん、その涙は、呪われた我が身を嘆く涙ではなく、氷河王子の愛が真実のものであることを信じられる喜びが生んだ、温かい幸福の涙でした。 それは、瞬王子が氷河王子に真実の愛を捧げられ、同じように、瞬王子が氷河王子に真実の愛を返した瞬間でした。 その瞬間――たちまちのうちに、瞬王子の呪いは解けてしまったのです。 自分の身体のことですので、瞬王子には すぐにそれがわかりました。 そして、瞬王子は真っ青になってしまったのです。 差別主義者の そしりを招くことを覚悟して言うなら、それは一般的には『瞬王子の恋は実らない』と宣告されたも同然のことでしたから。 恋に落ちた途端に、恋に落ちたせいで 恋を失うことになるなんて、こんな皮肉なことがあるでしょうか。 「氷河……ど……どうしよう……。僕、呪いが解けて男に戻っちゃった……」 瞬王子は、震える声で氷河王子に その事実を告げました。 大好きな人に嘘はつけませんからね。 「戻った? おまえは最初から、いつも、自分は男だと言っていたじゃないか」 頬から血の気を失い 唇を震わせている瞬王子を見て、氷河王子が怪訝そうに首をかしげます。 「それはそうだけど……氷河、信じてた?」 「……信じようと努力はしていた」 おそらく、瞬王子の前では正直な人間でありたいという思いから、氷河王子は そういう答え方をしたのでしょう。 どんなお姫様よりも美しい正真正銘のお姫様を男と信じ切ることは、神様にだって そう簡単にできることではありません。 「呪いが解けて男に戻ったというのは どういうことだ。おまえはおまえなんだし、男でも女でも、俺は一向に構わないが――いや、だが、ああ、そういえば、これまでより可愛くなったような……」 誤解を招かないよう老婆心から言及しておきますが、瞬王子がこれまでより可愛くなったのは、瞬王子の呪いが解けて男子に戻ったからではなく、恋を知ったからです。 それはともかく、瞬王子に『男に戻った』と言われても、氷河王子は全く動じていないようでした。 氷河王子は、瞬王子をアンドロメダ姫と信じて アンドロメダ姫に恋をしたのではないようでした。 しいて言うなら、氷河王子は、アンドロメダ姫でも瞬王子でもなく、エティオピアの王宮で出会った澄んで綺麗な目を持つ優しい人に恋をしただけだったのかもしれません。 氷河王子の 泰然にして自若、悠揚として平然な様を見て、瞬王子は そのことに気付きました。 自分は、恋をした途端に その恋を失うことにはならない。 瞬王子は、自分の恋が まだ失われていないどころか、幸福の可能性に満ちたものであることに気付いたのです。 「氷河は、僕に男でいてほしい? 女でいてほしい?」 瞬王子が氷河王子に そんなことを尋ねることができたのも、瞬王子が 氷河王子の恋がどんなものであるのかを知り、彼の愛を真実のものと信じることができるからだったでしょう。 なぜ そんなことを問われるのか よくわかっていないような顔になった氷河王子は、けれど、すぐに、 「おまえが幸せでいられる方」 と、きっぱり答えてくれました。 「僕は、氷河が幸せでいてくれる方の僕でいたいよ」 「俺は、おまえがおまえでいてくれるのなら、どっちでもいい。それで、もしおまえが俺を好きでいてくれるなら、それ以上の幸せはない」 「僕は氷河が大好きだよ」 「なら、俺たちはもう二人共 幸せなんじゃないか?」 氷河王子は、なんて素敵なことを、どうして こんなに簡単に言ってくれるのでしょう。 「うん……うん……そうだよね」 氷河王子の言葉が嬉しくて、瞬王子は涙ぐみ、けれど すぐに氷河王子のために笑顔を作りました。 真実の愛――どんな魔法にも呪いにも打ち克つ真実の愛。 それは すべての人間の人生における最終最強アイテムです。 それを手に入れた人は必ず幸福になれるのです。 誰が何と言おうと。 ある一人の人間が幸福なのか不幸なのかを決めるのは、いわゆる“他人”ではありません。 それを決めることができるのは、その人自身。 その人が幸福なのか不幸なのかを決められるのはその人自身だけ。 たとえ世界中の すべての人々に『あなたは不幸な王子様だ』と口を揃えて言われても、当人が幸せなら、その人は幸せなのです。 幸福や不幸というのは、そういうもの。 他人の考えや意見など、幸不幸の決定においては どんな意味もありません。 そして、瞬王子は今とても幸せでした。 瞬王子が幸せなのですから、もちろん氷河王子もとても幸せでしたよ。 そんなふうな幸福な二人の王子様を、複雑な目と顔をして、見詰めている もう一人の王子様がいました。 言わずと知れた瞬王子のお兄様、一輝王子です。 一輝王子は、瞬王子の呪いが解け 瞬王子が自由を取り戻したことは とても嬉しかったのですが、その呪いを解いたのが氷河王子だということは、素直に喜ぶことができなかったのです。 自分が幸福なのか不幸なのかを決めるのは、自分だけ。 一輝王子は その判断に大いに迷っていました。 ギリシャより ちょっと南にある豊かなエティオピアの王宮で、一輝王子は今も迷っているのかもしれません。 Fin.
|