龍峰には、彼の言葉を全面的に信じることはできなかった。
信じられるわけがない。
人の思いが、人の姿を変えるなど――それが どれほど強い思いであったとしても、そんなことがあり得るはずがないではないか。
それこそ、奇跡でも起こらない限り。
そう考えて――龍峰は思い出したのである。
この人は――伝説の聖闘士たちは――奇跡を起こし続けた者たちだったということを。

「おまえが本当に俺たちの希望なら、瞬の希望であり、俺の希望でもあるのなら、瞬の姿であれ――。そう願った俺の心が、おまえの姿の印象を変えていった。だから――そう・・なんだろうな。おまえは俺たちの希望なんだろう」
「――」
龍峰には、もはや言葉もなかった。
奇跡を起こす人、奇跡を起こせるほどの力を持った人の前で。
「わからなくていい。信じなくていい。だが、おまえは俺たちの希望だ。だから、戦え」
もちろん、わからない。
心の底から信じることもできない。
しかし、龍峰には ただ一つだけ わかったことがあった。

奇跡を起こす力。
それは卓抜した戦闘能力ではなく、強大な小宇宙の力でもなく、ただ『そうであれ』と望む強い思いなのだということが。
伝説の聖闘士たちは、誰もが その“思い”を持っていたのだ。

「あなたは瞬さんを――その……」
何と訊けばいいのかわからない。
それは、龍峰にとって、自分の出生の秘密を父母に訊くより訊きにくいことだった。
結局 龍峰は、直截的な言葉で その事実を確かめることを諦め、極めて婉曲的な言葉を用いて 白鳥座の聖闘士に尋ねることになった。
「あなたは 瞬さんに会いにいかないの」
「行ってる。毎日。人が生きていくには希望が必要で、俺の希望は瞬だから」
キグナス氷河に そう言われて、龍峰は改めて疑うことになったのである。
今 自分の目に映っている この人は実体なのか、それとも幻影なのかということを。

だが、手をのばして確かめることは 龍峰にはできなかった。
そんなことをしても無意味なような気がしたから。
今の彼を生かし、動かしているのは、彼の“思い”の強さなのだ。
今 ここにいる彼が実体であれ 幻影であれ――瞬の許を毎日訪ねている彼が実体であれ 幻影であれ――彼は いずれ、その強い思いで『そうであれ』と彼が望むことを現実のものにするだろう。
彼は、その力を持つ聖闘士なのだ。
おそらくは、瞬も、父も――。

「もう行くぞ。俺には俺だけの、誰かとの共有物でない本物の希望がある」
忘れていた自分の用事を ふいに思い出したように、キグナス氷河は その意識を龍峰の上から他の何かに――誰かに――移したようだった。
雪と氷の聖闘士が無意識のうちに周囲に漂わせていたのだろう冷涼な小宇宙に、不思議な温かさが混じり始める。
これは瞬さんの小宇宙だ――と 龍峰が思った時には既に、キグナス氷河の姿は彼の前から消えてしまっていた。
今は、そこには星があるばかり。
ひときわ鮮烈な光を放つ白鳥座のデネブ。
唐突に現われ、唐突に消えてしまったキグナス氷河。
龍峰のキツネにつままれたような気分は、きらめく星たちの世界の中で、やがて 浮かれ弾むようなそれに変わっていった。

今度 母に会ったら聞いてみようと思う。
『僕が生まれた時、僕が父さんそっくりだったって本当?』と。
おそらく母は、笑って、『そうよ』と答えるだろう。
ためらうことなく、迷うことなく。
我が子の姿を変えられてしまったことさえ、彼女には、我が子が多くの人に希望を与え、多くの人に愛されている証なのだ。

自分は紛れもなく父と母の子
だが、同時に、他の多くの人の子供でもあったのだ。
希望という名の子供。
その人たちの思いが、今の自分を作った。
それだけのことなのだ。
それだけのことが――多くの人の希望であることは、一人の未熟な聖闘士の細い肩には 重すぎるほどに重い荷だった。
だが、そのプレッシャーが、同時に龍座の聖闘士に力を与えてもくれるのだ。

キグナス氷河は『戦え』と言っていた。
それが、聖闘士が生きることなのだと。
ならば戦おうと思う。
その戦いの果てで、自分という個人が生きることの意味も見付けられるだろうと思うから。
そのためにも、とにかく目の前の戦いを戦い、そして勝利することが自分に課せられた務めなのだと、龍峰は思ったのである。


「でも……瞬さんが言ってた通り、ほんとに変な人……」
マルスの手によるパライストラ崩壊後 しばらく滞在した瞬の家で、龍峰は、父のかつての戦いや、今は伝説の聖闘士と呼ばれている5人のことを、瞬から聞いていた。
その中のキグナス氷河を語る時、瞬は いつも困ったように笑って、
『一言で言うと、我儘で甘えんぼの駄々っ子だよ』
と言っていた。
伝説の聖闘士には、およそ ふさわしくない評価。
龍峰の父やペガサス星矢、そして、実兄であるフェニックス一輝をさえ 手放しで褒めていたのに、キグナス氷河を語る時だけは、瞬自身も 伝説の聖闘士にはふさわしくない表情を浮かべていた。
手のつけられない駄々っ子を、それでも愛さずにはいられない母親のような表情。

『でも、いつも一途で、一生懸命で、情熱的で……優しいんだ、氷河は』
その通りなのだろう――その通りだった。
龍峰は、自分が 今 瞬と同じような表情を浮かべているのだろうことを自覚した。
その表情に重ねて、更に困ったように笑う。
いつかまた会えるだろう。
いつかまた自分は、伝説の聖闘士たちが彼等らしく生きる・・・場面を見ることができる。
そう龍峰は信じた。
そして、自分にとっての希望は何なのか、その希望が形を持っているとしたら それはどんな姿をしているのかと、星空を見上げながら考えたのだった。

そんな龍峰の耳に、
「龍峰! 一人になって 感傷的になりたい お年頃なのはわかるけど、みんなと一緒にいろよ!」
龍峰を呼ぶ仲間の声が届けられる。
考えて答えを出す前に、答えが飛び込んできた。
自分が――人が――生きていることが途轍もなく楽しいことであるように感じられ、龍峰の唇に自然に微笑が浮かんでくる。
「今 行くよ!」
そして、龍峰は 彼の仲間たちの許に向かって駆け出したのだった。






Fin.






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