瞬が氷の城にやってきたのは、秋の収穫の頃だった。
長く厳しい冬という季節を 公爵を知るために費やし、すべての命が復活する春は、甦ることのない命を悲しむ公爵を見詰め、共に悲しむことで過ごした。
陽光輝く短い夏には、公爵を幸福にできない自身の無力に身を焼き、決してやってこない実りの秋を夢見た。

季節は移り、瞬の心もまた その時々で違う色をたたえ 変化を続けたのに、公爵と公爵の凍れる女神、そして 二人が作る氷の城だけは何も変わらない。
凍れる女神は、公爵の聖域に静かに横たわったまま 立ち上がることはなく、公爵の感情も凍りついたまま。
そして、公爵の愛は 時の流れに打ちのめされることなく、強く激しく燃え続けている。
氷の城の中では、その時間さえ凍りついているように、瞬には感じられた。
だが、城の外では、とどまることなく着実に時が流れ、季節は移り変わっていたのである。

瞬が村を出て1年。
再び巡りきた収穫の秋。
その年、瞬の故郷の村から 領主に納める麦と毛皮を 氷の城に運んできたのは、瞬の幼馴染みの星矢だった。

「おまえ、ちっとも村に帰ってこないからさー。鉄血ばーちゃんは、おまえが氷の城でうまくやってるからだって言ってたけど、実際 会わなきゃ、ほんとのことはわかんねーだろ。もしかしたら氷の城の公爵に とって食われて、帰るに帰れないことになってるんじゃないかと思って、この役 買って出たんだ。ちゃんと生きてたんだな。上等の服着てるし、相変わらず綺麗だし、安心したぜ!」
「星矢!」
公爵に出会う前から――生まれ育った村を離れる以前から――瞬は星矢を太陽のようだと思っていた。
瞬同様 親がない不遇に腐ることなく、星矢は すべての不幸不運試練を真正面から受け止め、打ち克つ。
挫けることを知らず、諦めることを知らず、常に前に進むことだけを考える強い太陽。
氷の城の静けさと偽りの灯りに慣れていた瞬は、1年振りに出会った強い光の眩しさに、目眩いをさえ覚えたのである。

「どんな具合いだ? 城勤めは つらいことないか?」
太陽が心配顔で尋ねてくる。
瞬は、1年振りに ぎこちない笑顔を作った。
「お仕事は、こんなの仕事って言っていいのかかって思うくらい楽だよ。公爵様は静かな人で――優しい人なの。ただ……」
「ただ?」
「つらいことがあって、決して笑わないんだ……」
「笑わない? 笑わない人間なんて、この世にいるのか? そいつ、もしかして目が悪いのか? 俺なんか、おまえを見てると自然に笑えてくるけどな」
笑わない人間など この世にいない。
一瞬の逡巡もなく そう断言できる星矢が眩しく、羨ましく、そして嬉しい。
瞬は、少し拗ねた口調で 星矢に問い返す。

「それ、どういう意味」
「いや、ほら、おまえって、いつも にこにこしてるから、つられてさ」
「え……」
「冬が終わると必ずちゃんと甦って花をつける春の花みたいでさ。俺、おまえ見てると、なんか力が湧いてきて、どんなつらいことがあっても諦められないって気になってたんだ。なのに、おまえ――」
『今のおまえは、冬が終わると必ずちゃんと甦って花をつける春の花に見えない』と、星矢は言葉にはしなかった。
「おまえ、まさか、笑い方、忘れてないだろうな」
そう言う代わりに、星矢が 両手で 大きなパンを掴みあげようとしているような構えを見せる。
ここでもし『 笑い方など忘れてしまった』とでも言おうものなら、星矢は その手で 沈んだ表情をした幼馴染みの全身をくすぐりにかかるだろう。
あまりに星矢らしい、即効性確実性に満ちた人の笑わせ方。
瞬は、幼馴染みの相変わらずの明るさや前向きな態度が嬉しくて、小さく吹き出した。

「笑い方を忘れたりなんかしてないよ。ちゃんと笑える。だから、星矢、その手を下ろして。ここで大爆笑なんかしたら、騒がしいにも ほどがあるって怒られて、僕、このお城から追い出されちゃう」
「なんだよ、忘れてないのかよ。せっかく俺が親切に 笑い方を思い出させてやろうと思ったのに」
不満そうに口をとがらせる星矢が、ますます瞬の心を明るく楽しくさせる。
瞬は、声を抑えて笑うのに 一苦労した。


星矢が喜びそうな甘い お菓子とパン、老嬢のための綿と麻布、村のための幾許かの金貨。
納める年貢の確認が無事に終わり、村に帰る星矢に それらのものを渡した時、瞬の心は 随分と軽くなっていた。
いつか公爵の心も 同じように明るいものになる時がくる。
そう信じて 希望を失わずに勤めようと、城の門前まで出て、村に帰る星矢を見送りながら、瞬は思っていた。






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