10年は昔の携帯電話の大きさと厚みをもった人間測定器。 問題の測定器が持つ3つの液晶画面が示すものは それぞれ、身体の各部位の能力のヒストグラム、脳の各部位における各種脳内物質の分泌量を示すヒストグラム、そして、その両者を総合した心身両面の総合値のグラフと最終判定数値。 アテナの聖闘士たちは、誰の場合も、身体能力のグラフはあらゆる能力で最高値、グラフは全面が真っ赤に染まったが、脳内物質の量を示すグラフには 青や緑の様々な長さを持つ幾本ものバーが表示されることになった。 そして、その総合評価値は、星矢が74、紫龍が68、氷河が82。 幸いなことに――あるいは当然のことだが――危険値100を超えている者はいなかった。 「意外と普通の数値なのね。あなた方は身体能力値だけで100――いいえ、200は超えていると考えていいから、それを精神と心が抑え込んで この数値になっているということでしょうね。身体能力が同レベルと仮定すると、あなた方の中では、紫龍が最も理性が勝っている――ということになるわ。氷河は、感情の起伏が激しいから……氷河、もしかして、今 怒ってる?」 「冷静でも上機嫌でもありませんよ」 言葉通りに不機嫌そうに、氷河が沙織に答える。 測定器が示した数値が不本意だったからではなく――彼は、測定器を見詰める瞬の不安そうな目のせいで不機嫌になっているようだった。 そんな氷河とは対照的に、自身の犯罪係数に興味はあっても重要視はしていない星矢は 気楽そのものである。 「おもしれー。怒ると上がるのかー」 そう言うなり、星矢は、ソファの自分の隣りに座っていた瞬の肩に腕をまわし、その身体を自分の方に引き寄せた。 途端に、氷河の数が118に跳ね上がる。 それを見て、星矢は声をあげて笑った。 紫龍も、今更ながらに、この測定器の敏感さ正確さに感嘆したらしく、低い呻き声を洩らす。 「簡単に危険基準値を超えてきたな。氷河、おまえには犯罪者の素質が十二分にあるようだぞ」 「悪に強きは善にも強しって言うじゃん。正義の味方なんて、みんな こんなもんなんじゃね? 善良一筋の人間は、善良な一般市民やって、正義味方に守られてんのが役目」 だから どんな値が出ても恐れることはないのだと 言外に言って、星矢が瞬の肩にまわしていた手を外す。 氷河の犯罪係数は94に下がった。 「おまえが気持ちの優しい奴だってことは誰もが認める事実なんだし、清らかさに関しては神のお墨付きもある。おまえの数値が50を超えてたって、誰も その認識を変えることはしねーさ」 「おまえの仲間たちが軒並み標準値超えしているんだし、氷河に至っては、星矢の戯れ事で簡単に危険値突破。神をも倒してきた俺たちの値が善良な市民レベルだったなら、俺たちに倒された神々の立つ瀬がないというものだ」 星矢と紫龍が瞬を慰撫する言葉を口にしたのは、実際に自分の値を測る前から一貫して 瞬が問題の測定器を否定していたせいもあったが、瞬が最も その数値を深刻に受けとめ――それこそ、標準値の50を1超えただけでも尋常でない衝撃を受けるのではないかという懸念のせいでもあった。 そして、瞬の持つ数値が、最も読めないせいでもあった。 瞬が 巷の善良な一般市民より優しく清らかで大人しく控えめな人間であることは紛う方なき事実だったが、本気になった時の瞬の強さ激しさは アテナの聖闘士の中でも群を抜いている。 その上、ハーデスのこともある。 星矢たちには、瞬の犯罪係数がどれほどのものになるのか見当もつかなかったのだ。 「やだな。僕、そんなに恐がってるように見える? 僕は、自分を善良な人間だとは思ってないし、心も身体も強い人間でありたいと思ってるよ」 仲間たちの気遣いに、瞬は申し訳なさそうな表情で微笑を返すことになった。 そして、沙織に、ためらわずに測定してくれと、目で告げる。 沙織の手にある測定器は、他の三人の時同様、身体能力を示すグラフのバーがすべて縦軸の最高値を超えて真紅に染まった。 各脳内物質の分泌量を示すグラフも、かなり高い数値を示すもの、逆に全く分泌されていないものの別はあったが、それなりの変化を見せる。 一見したところ、その様は瞬の仲間たちの場合と大差ないように見えた。 身体能力はどこをとっても最高水準、各脳内物質の分泌は部位と種類によってそれぞれ。 だが、最終的に表示された総合評価値が、瞬のそれは仲間たちのそれとは大きく異なっていた。 瞬の犯罪係数は、なんと『9』と表示されたのだ。 「ひ……ひとけた !? 」 瞬に測定器を向けていた沙織が、彼女にしては実に珍しいことだったが、その声をどもらせる。 沙織の手の上にある測定器を覗き込んだ星矢は、これは いつもの彼らしく大きく素頓狂な声をあげた。 「赤んぼ以下かよ!」 瞬の犯罪係数が標準値50を超えていても、危険値100を超えていても驚かない自信はあったが、これは あまりにも想定外の数値である。 瞬の仲間たちは 揃って一瞬ぽかんとした。 「あ……これって、あれじゃないか。目盛りを振り切った――ってやつ。アンティークな体重計で、目盛りが100までしかないのがあるじゃん。100キロの体重計で9キロが表示されてるのが、実は109キロだったってパターン」 「そんなアナログな例えはやめてちょうだい。この測定器は、各値を300まで測れるようになっているわ。内部の計算エリアは、整数部分、小数部分共、50桁とってある。銀河系の幅をミリメートル単位で測ることだってできる仕様よ。万一 限界をオーバーしたら、測定不可能のアラームが表示されるし――星矢、私を測ってみて」 そう言って、沙織が測定器を星矢に手渡す。 グラード財団総帥にして女神アテナである城戸沙織の犯罪係数は151。 その数値が正確なものであるのかどうか、はたして機械が神の持つ力を測定し切れるものなのかどうかという問題はさておくとして、普通の人間と変わらない肉体を有する一人の少女の値として、それは十分に異様な値であり、そのことからして、問題の測定器が沙織の尋常でない力を感知できているのは確かなことのようだった。 つまり、測定器が故障しているのではない。 「さすがは女神。通常モードで超凶悪犯罪者か」 試しに星矢たちが小宇宙を燃やすと、彼等の数値は50ほど上昇した。 小宇宙の燃焼に いかなる脳内物質が作用しているのかは定かではないが、その測定器は小宇宙の大小強弱も感知できているのだ――その値が正確かどうかは ともかくとして。 しかし、瞬だけは――瞬は小宇宙を燃やしても測定器の値に変動は見られなかった。 騒がしくグラフの様相が変動しても、測定値は最終的に『9』という値を変えないのだ。 「人間の犯罪係数は、気持ちのいい風に当たるだけで 3くらい下がるの。複数の事例で、それは検証済み。この測定器は、マイナス要因も細大漏らさず測定できるのよ。つまり、この測定器は、プラス要素とマイナス要素を総計して、犯罪係数を算出しているの。瞬は、プラス要素も相当あるはずだけど、それ以上にマイナス要素が多いのだと思うわ。プラス要素が100あっても、それ以上にマイナス要素の方が格段に大きく強い。一般人でも、腕力が100あっても、蚤の心臓の持ち主なら、犯罪係数が標準値以下ということは大いにありえるわけで――そういうことなのでしょうね。瞬は自己抑制力が尋常ではないのよ」 そう考えれば、瞬の犯罪係数『9』という値は妥当な値と言えた。 むしろ、その測定値に対するアテナの聖闘士たちの信頼性は増したのである。 たとえ そうする力を有していたとしても、瞬は決して凶悪な犯罪を犯したり、暴力行為に走ったりすることはない。 測定器が弾き出した数値は、人間であるアテナの聖闘士たちの判断と完全に合致するものだったのだ。 測定器の信頼性を認めるに至った星矢は、俄然 その使用に意欲を抱くことになったらしい。 彼は瞳を 「おもしれー。沙織さん、これ、動物も測れるのか」 「まともな値は出ないわ。あくまで、人間の身体が持つ値を基準値に設定してあるから」 「そりゃ、残念。こいつ、しばらく貸しといてくれよ。壊さないから。俺たちみたいな特殊なのより、そこいらへんを歩いてる普通の人の係数を測ってみたいんだ。いろいろ勉強になりそうじゃん」 すっかり その気になっている星矢の無邪気な様子に、瞬は眉を曇らせてしまったのである。 信頼できるからこそ 使ってはならない道具というものが、この世にはあるのだ。 「星矢。だから、そういうことは人権の侵害に――」 「おまえは そう言うけどさ。このケータイもどきと、俺たちが 人相悪い親父を見て 勝手に『こいつ、ワルそー』って思うのとで、何がどう違うんだよ。人間が主観で勝手に決めつけるより、客観的なデータに基づいてる分、このケータイもどきの方が ずっと公明正大じゃん」 「え……」 星矢に『人は勝手に人権侵害を行なっているのだ』と言われ、瞬が反駁の言葉を失う。 瞬自身、見知らぬ人の外見だけを見て、『優しそうな人』『恐そうな人』程度のことを自然に考えたことは、これまで幾度もあったのだ。 言葉に詰まり 瞼を伏せてしまった瞬と 好奇心でいっぱいの星矢に、沙織が妥協案を提示してくる。 「いいわ。これは しばらく星矢に貸しておいてあげましょう。ただし、測定した結果は、たとえ手書きのメモ程度であっても記録に残さないこと。それから、測定時には必ず瞬が立ち会うことが条件よ」 「瞬がついてきてくれんのか? そりゃ助かるぜ。一人で人様の数値 測って、一人で にやにやしてたら、俺、完璧に変質者だもんな」 「沙織さん!」 沙織の決定に、瞬が異議を唱える。 しかし、沙織は、苦笑で瞬の異議を受け流した。 「それは、妥当な数値しか弾き出さないから、星矢はすぐに飽きるわよ。瞬、それまで星矢の おもりをしていてちょうだい。せっかく開発した技術ですもの。あなた方が新たな活用方法でも見付けてくれたら、私としては御の字。できれば、世のため人のためになるような活用方法がいいわね」 「……」 もしかしたら沙織の狙いは最初から そこにあったのではないかと、今になって瞬は思い至ったのである。 この危険な道具をグラード財団の関連企業や団体に籍を置く者が 外部で使用することには問題がある。 だが、成人していない“子供”が遊び半分で使用して、その信頼性を確認する分には 問題は生じない。 その上、研究者開発者とは異なる視点から新しい活用方法が発見されたなら万々歳。 『アテナの聖闘士たちをモルモットに』という言葉は、そういう意味で発せられたものだったのではないか。 アテナの聖闘士のように特殊すぎる人間の犯罪係数など測っても、それは儲け話にはつながらないのだ。 「わかりました……」 計算高いのか無責任なのか、おおらかなのか抜け目がないのか。 沙織の掴みどころのなさに嘆息しながら、瞬は沙織に頷いた。 試用を繰り返すことによって不備不具合が見付かれば、この危険な道具を公にせずに済むかもしれない――。 瞬は、むしろ そちらのパターンの方を期待していた。 |