俺の目論みは当たった。 毎日 瞬のお供をしてくる氷河は、俺の薔薇色の人生の大いなる障壁だったが、それも想定の内。 図書館に通い、毎日 瞬と会っているうちに、俺は瞬の“顔見知り”と言っていい程度のものになることができたんだ。 瞬は、その造形が見事なことは言うに及ばないが、総じて大人しく礼儀正しく控えめで、言葉使いも丁寧、この年頃の女の子が備えている騒がしさや図々しさ、軽薄さとは無縁な子だった。 普通、瞬の年頃の女の子が これだけ綺麗な造作を持っていたら、周囲の人間に ちやほやされて、嫌でも思い上がり 我儘な人間になると思うんだが、瞬には そういう要素が皆無。 まあ、氷河みたいに綺麗な男が いつも側にいたら 自分の美貌に思い上がることは困難なのかもしれないが、男の美貌と女の子の美貌っていうのは種類が違っていて、それらは比較すること自体に意味のないものだろう。 氷河は確かに男としては理想的な、誰もが羨むような造作の持ち主だが、瞬は氷河とは全く違う美貌の持ち主で、それは女の子として理想的――いや、人間として理想的――いや、理想以上だった。 氷河のように派手ではないし、目立つわけでもないんだが、内面から にじんでくる不思議な何か―― 一種独特な不思議な力のようなものが 瞬にはあった。 俺的表現をするなら、非の打ちどころのない形に 素晴らしい魂が備わっていて、形をより美しくみせている――んだ。 しかし、瞬は、自分がどれほどの価値を持つ人間なのかということに気付いてもいないようで、少々 自己卑下のきらいすら見受けられた。 だからといって、瞬が とっつきにくい人間かというと、決して そんなことはなく、常に にこにこしているせいもあって、むしろ親しみやすい印象が強い。 親しみやすいどころか! 瞬は 途轍もなく強い磁力――むしろ引力と言うべきか――を持っていた。 その優しく穏やかな風情にもかかわらず、暴力的といっていいほど圧倒的な力で、瞬は 瞬に対峙する者の心を瞬自身に惹きつける――んだ。 俺は、瞬がこの世界の支配者になればいいのではないか――なんて、馬鹿なことまで考えた。 そうなれば、瞬の穏やかさ優しさに惑わされて、誰も 自分が瞬に支配されていることに気付かないだろう。 気付かないまま、誰もが瞬に従ってしまう。 支配者にとっても被支配者にとっても、これほど幸福な独裁はあるまい。 そして、俺は、そんな瞬の第一の廷臣だった。 いや、二番目の、か。 その傲慢な態度とは裏腹に、氷河が瞬に心酔し ひれ伏しているのは火を見るより明らか。 氷河というライバルがいるから、俺は なりふりを構っていられなかったんだ。 俺は、昔の日本の家具や装飾品に興味があるのだという触れ込みで、毎日の図書館通いを不自然なことと思われぬよう装っていた。 それは 瞬に尋ねられた時に咄嗟に思いついた言い訳だったんだが、瞬にそう言った手前もあって、俺はその手の資料を読み漁ることになり、思いがけない収穫を得た――いい勉強になった。 つまり、俺の毎日の図書館通いは、俺の仕事の益にもなったんだ。 もっとも、毎日の図書館通いで俺が得た最大の“益”は、“勉強”のあとに、図書館のティーラウンジで瞬と一緒にお茶を飲めるようになったことだったが。 「ところで君たちは――氷河は君の何」 他のどんなことより、俺はそれが気になった。 揃って奇跡のように美しい二人。 だが、二人の印象は あまりに異なっていて、到底 家族や血縁には見えなかったから。 「友人で、家族みたいなものです」 瞬の隣りの席で、瞬のその答えを聞いた氷河が、露骨に不機嫌な顔になる。 彼が瞬に 違う答えを期待していたのは明白だった。 「家族みたいなもの? じゃあ、瞬の家にホームステイに来ている留学生か何かか」 そう問い返してから、そうではないだろうと、俺は自分の中で自分の疑念への答えを出していた。 氷河の日本語はネイティブなもので、ある程度の年齢になってから学んで覚えたものとは思えなかった。 案の定、瞬から、 「氷河は僕の幼馴染みでもあるの」 という答えが返ってくる。 つまり氷河は、小さな頃から日本で暮らしていた――子供の頃からずっと瞬の側にいた――ということか。 いったいどんな事情で そんなことになったのか、俺は続けて瞬に尋ねようとしたんだが、瞬は 自分(たち)のことを あまり人に話したくないらしく、逆に俺に問うてきた。 「ナカムラさんは、昔の日本の家具や装飾品に ご興味がおありだそうですけど、そういう研究をしてらっしゃるんですか?」 瞬のことを知りたいという気持ちは強かったが、俺の中には、それと同じくらい 瞬に俺のことを知ってもらいたいという気持ちもあったから、俺は話を逸らされたことを不快とは思わなかった。 そう思うには あまりにも――瞬の声の響きは優しく自然だったから。 「俺はデザインの仕事をしているんだ。電化製品や家具や各種イベントのポスターやシンボルマーク。何でもござれの、まさしく何でも屋だ」 「創造的なお仕事をなさってるんですね」 「そんな大したものでもないんだが」 「まったくだ」 「氷河!」 脇から、氷河が憎まれ口をきいてくる。 氷河の失礼を咎める時だけ、いつもは穏やかで優しい瞬の語調は少し厳しいものになった。 そして、瞬に責められると、瞬の第一の廷臣は大抵 すぐに大人しくなる。 「いや、だが、大したものでないのは事実だ。つい最近も、某カフェチェーン用に 座り心地はいいが長居はしたくないような椅子とテーブルのデザインを頼まれたんだが、結局思いつけなくて諦めたばかりだ」 「瞬が目の前を通ったら、すぐ立ち上がるぞ、俺は」 瞬の廷臣同士、氷河の思考、行動様式は、俺のそれに似通っているらしい。 俺とまったく同じことを考えた氷河に、俺は内心で苦笑した。 そう。俺は結局、座り心地はいいが長居はしたくないような椅子とテーブルのデザインを諦めたんだ。 親父の友人には、その旨 通告済み。 代替案として、俺は、店内に瞬(の代わり)を置くことを提案した。 瞬をイメージしてデザインしたティーカップやティーポット、テーブルアレンジ用の花器やオーナメント。 それらを、椅子から立たなければ確かめられない微妙な位置に置いて、展示販売する案。 よくある手だが、そういうのは大抵は、レジの横に申し訳程度に並んでいるか、逆に、お茶より食器等の展示販売がメインに思える店の作りになっていることが多い。 椅子から立たなければ確かめられない微妙な位置――というのが俺の提案で、つまり俺は椅子とテーブルのデザインの代わりに、店の内装デザインをクライアントに提案したんだ。 飲食のために店内に入った客を買い物客にするためのデザインを。 社長は その案を一考の価値ありと認めたらしく、俺が用意した資料を受け取り、真面目な顔をして社に帰っていった。 もし内装のデザインが没になっても、食器類のデザインは他に漏らさずにいてくれと言い残して。 瞬の姿と引力の謎を考えながらデザインした数種類の食器類。 俺は、それらのデザインを、たった1日で、火が入った火力発電所みたいな勢いで書きあげた。 瞬は、想像力と創造力の源だった。 温かく優しく、決して派手ではないんだが、人の心を惹きつけてやまない人。 奥も底も見えないから、いくらでもイメージが湧いてくる。 デザインは俺の天職だと思っている俺には、そういう意味でも、離したくない魅力の持ち主だった。 瞬の引力――その力に惹かれて、俺は、(言葉は悪いが)俺は瞬につきまとい続けた。 綺麗で可愛い女の子に若い男が近付いていったら、普通の女の子は警戒心を抱くことになると思うんだが、瞬はそういうことがなかった。 氷河という強面のボディガードが 常についているせいなのかもしれないが、瞬は他人への警戒心というものを全く持ち合わせていない。 あらゆる人間の心を惹きつけながら、触れなば落ちん風情をたたえていながら、誰も自分に触れることはできないのだと、瞬は信じているようだった。 親しみやすいのに、謎めいて神秘的。 そういうところも、瞬には底のない無限の力が備わっていると感じさせる要因なのかもしれなかった。 「君を見ていると、次から次にイメージが湧いてくる。夕べも、ランプシェイドのデザインが出てきたと思う側から、新しい書体のデザインを思いついて――」 「僕が ナカムラさんのお仕事のお役に立てているのなら嬉しいですけど」 「永遠に君を俺の側に置いておきたいくらいだ。そうすれば俺は 永遠にスランプ知らずのデザイナーになれるだろう」 「それは……」 「なぜ瞬が 貴様のために、貴様の側に 俺は使う言葉を間違えたらしい。 氷河が 俺はすぐに『側に置きたい』を『側にいてほしい』に言い換えたんだが、氷河の機嫌は それで ますます悪化したようだった。 だが、『側に置きたい』と『側にいてほしい』のどちらにしても、それは俺の本音で、俺の切実な願いで、俺は真面目に瞬にプロポーズしたいとまで思い詰めるようになっていた。 いくら何でも瞬は若すぎて、その件に関しては さすがの俺も自制心を働かせることができたが――そうするしかなかったが。 俺は、他人に対して これほど強く『近付きたい』という思いを抱いたのは、瞬が初めてだった。 他人のお茶のテーブルに割り込んでいくなんてことも――とにかく、他人に対して、こんなに積極的に図々しく振舞うのも これが初めて。 そんなふうに振舞える自分に、俺自身が いちばん驚いていた。 これまで 俺にとって人間というものは――特に他人というものは――“深入りして面倒なことになるのは御免被りたいもの”だったんだ。 友だちがいないわけじゃないが、彼等とは 実際に会うよりはオンラインでのやりとりの方が多い。 高校時代の級友たちとは卒業後の進路が違ってしまったせいで会う機会はなくなっていたし、就活に忙しい大学の級友たちとは 生活スタイルが違っていて共通の話題もない。 “親しい他人”なんて いなくても困らない。 友人なんてものはいなくても――たとえば何かの障害に躓くようなことがあっても、有益で適切な助言をしてくれる親切な他人は ネット上にいくらでもいる。 誰かに触れるほど近付きたいなんて思い、そんな強い欲求を他人に感じるなんてことは、俺は 本当に瞬が初めてだった。 そして、俺は、初めてのことに臆するタイプの人間ではなく、初めてだから恐れや遠慮を知らずに突き進むことができるタイプの人間だったらしい。 自分でも意外――本当に意外なことだった。 この俺が、一見 近付き難いカップルの間に図々しく割り込んでいって、 「瞬は、どういうタイプが好きなんだ? 物ではなく人間の話だが」 なんて訊けるなんて。 瞬に出会う前の俺なら、それは到底考えられないことだった。 氷河の渋面は、俺の質問の内容が気に入らなかったというより、瞬に そんな質問をする俺の意図に気付いているせいで作られたものだったろう。 氷河が瞬に特別な好意を抱いているのは明白。 だが、瞬が氷河を『友人で、家族のようなもの』と言い、それを氷河が否定しないところを見ると、氷河はまだ その好意を瞬に伝えていない――と察せられた。 これほどの美形で、その造形に相応に傲慢で自信家でもあるらしい氷河が、なぜ瞬への告白をためらっているのかは知らないが、それは俺には幸運なことだった。 どんなに俺の図々しさが気に障っても、瞬の恋人ではない氷河には せいぜい渋面を作る程度のことしかできないんだから。 「どんな試練や障害に出会っても、希望を捨てず、諦めない人――かな」 どんなタイプが好きなのかという俺の問いかけへの瞬の答えは、一風 変わっていた。 「どんな試練や障害に出会っても、希望を捨てず、諦めない人? 普通は、優しい人とか明るい人とか言うものなんじゃないのか」 たとえ本心では、『背の高いイケメンの金持ちがいい』と思っていても。 まあ、瞬が そんな世俗的な好みの持ち主とは思えないが。 それなら、ほぼ理想通りの男が いつも瞬の側にいるわけだしな。 もっとも、俺は、氷河が金を持っているのかどうかなんてことは知りようもなかったが。 が、金に困っているわけではないだろう。 これだけの容姿を持っていたら、今の日本では、よほどの馬鹿でない限り、何をしてでも金を手に入れることができる。 この男の美貌の利用方法なら、俺にも いくらでも思いついた。 「もちろん優しい人は好きですけど、人は みんな優しいから」 「瞬になら、誰もが優しくしてやりたくなるだろう」 「貴様のように下心を抱いてな」 「氷河!」 瞬の語調が また少し きつくなる。 きつくなっても、その優しい響きに変わりはないんだが――瞬が 僅かでも人に厳しく当たれるのは、そんなことができるくらい瞬が氷河に親しみを覚えているからで――それがわかるから、俺には氷河という存在が煙たく鬱陶しかった。 恋人としての立場を求めるわけでもなく、家族でもなく、だが常に べったりと瞬に貼りついている男なんて、邪魔な障害物以外の何物でもない。 にもかかわらず、瞬は、氷河が自分の側にいることを ごく自然なことと思っているようで――氷河が瞬の側にいなかったら どんなにいいだろうと、俺は幾度も思った。 自分を不細工で貧相な男だと思ったことはなかったが、氷河と並んでいたら、どうしたって俺の方が見劣りするからな。 たまには氷河抜きで瞬に会いたいと、俺は毎日願っていた。 |