ホワイトアスパラガス譚歌






事の起こりは、ホワイトアスパラガスだった。
ホワイトアスパラガス――被子植物単子葉植物に属する多年生草本植物であるところのアスパラガスの茎を土寄せして軟白栽培したもの。
グリーンアスパラガスより栄養価は低いが、グリーンアスパラガスより やわらかく甘く、値段も高価な あの食材。

そのホワイトアスパラガスには、実は“やわらかく甘く高価”という事柄の他に もう一つ、特筆に値する特質があった。
すなわち。
食べ物なら何でも――ピーマンでも ニンジンでも シイタケでも レバーでも ゴーヤでも 納豆でも 缶詰の水っぽいグリンピースでも 酢豚の中のパイナップルでさえも美味しく食べることのできる星矢の唯一の苦手食材――という稀少を極めた特質が。
ホワイトアスパラガスは、つまり、星矢の天敵だったのである。

その夜のオードブルは、“フランス産フォワグラとホワイトアスパラガスのポワレ・トリュフソース ベルーガキャビア添え”。
これがオードブルならメインの肉料理はどれほどのものが出てくるのかと問いたくなるような、世界三大珍味を惜しみなく多用した贅沢な一品だった。
が。
最高級のフレンチと言われても、食べられないものは食べられない。
その夜、目の前に置かれた“フランス産フォワグラとホワイトアスパラガスのポワレ・トリュフソース ベルーガキャビア添え”を見た途端、星矢は、料理人に対する思い遣りのかけらもなく冷酷に、給仕に言い放ったのである。
「あ、わりい。俺、今夜は和食の気分なんだ。飯と納豆 持ってきてくれないか」
と。

「好き嫌いせずに食べなさい。レストランで食べたら、一皿七、八千円はするものなのよ」
星矢のホワイトアスパラガス嫌いを知っている沙織が、美味しそうに星矢の天敵を賞味しながら、星矢以上に冷酷に星矢に命じる。
星矢は もちろん、アテナの命令に逆らった。
「七、八千円が十万円でも食えねーもんは食えねーんだよ。こんな不気味なもの 無理に食って、俺が病気にでもなったら、地上の平和は誰が守るんだ」
「それは当然、あなたの お仲間があなたの分も頑張ることになるでしょうね」
「仲間たちが命がけの戦いをしてる時に、なまっちろいアスパラガスのせいで俺だけ寝込んでるなんてカッコ悪すぎるだろ」
「あら。あなたの戦い方が恰好よかったことなんて、これまで ただの一度もなかったじゃないの」
「……」

それは紛う方なき事実だったが、その事実をアテナが得意げに口にしていいものだろうか。
完璧なマナーで華麗にオードブルを食している沙織を見やり、星矢は口をとがらせた。
氷河と紫龍は、二人のやりとりに口を挟むのは愚か者の仕業と言わんばかりに、素知らぬ顔で自らの食事を進めている。
星矢一人だけがオードブルを食べずにいると、給仕がスープを運ぶタイミングに迷うことになるだろうと考えて、瞬は、先行組三人と星矢の時間調整をすべく、わざとゆっくりと前菜を食していた。
とはいえ、その瞬にも、言い争う沙織と星矢の間に割って入っていく勇気は持ち得ないものだったが。
沙織が、星矢以外のオードブルを片付けた者たちにスープを運んでくるよう、給仕に目で合図を送る。

「贅沢を言うものじゃないわ。世界の飢餓地域では、あなたがホワイトアスパラガスを食べ渋っている今この瞬間にも、多くの子供たちが飢えに苦しんでいるのよ」
「それとこれとは話が別だろ。アテナ、横暴! 沙織さんだって、ホヤが食えないじゃないか」
「あれは人類の食べ物ではないわ」
「ホワイトアスパラだって、人類の食うもんじゃないぜ」
「では、命をかけた戦いを共に戦ってきた あなたの仲間たちは、人類ではないことになるわね。つべこべ言わずに食べなさい。アテナの命令が聞けないの」
「誰にだって苦手はあるんだ。今時は、学校給食だって、嫌いなものは食べなくてもいいことになってるって聞くぜ。沙織さんも、もう少し寛大になれよ」
今夜のスープは、“海老芋のスープ トリュフ添え”。
パンは、バターの利いたバゲットが三種類。

「私が寛大ではないというの。人類がどれほど欲にまみれても、汚れを増していっても、決して見捨てることなく、すべての人間に惜しみない愛を注いでいる、この私が!」
「沙織さんってさ、人類には優しくても、聖闘士には優しくないんだよ。俺がエリシオンでタナトスと戦った時なんてさ、力を尽くして戦って倒れて、もう俺には何の力も残ってないって嘆いてた俺に、沙織さん、何て言ったか憶えてるか? 俺、死んでも忘れねーぜ。『あなたには まだ命が残っているではありませんか』って言ったんだ。まだ死んでねーんだから戦えって。鬼の言い草だろ、それって」
「でも、実際、あなたは それで立ち上がって、戦ったじゃないの。あなたはあの時 怠けていただけだったのよ」
「怠けたくもなるぜ。沙織さんは人使いが荒すぎるんだよ。瞬とまではいわないけど、もう少し優しくできねーのか。そんなんじゃ、聖闘士たちも兵たちも、そのうち沙織さんを見限ることになるぞ」
本日の魚料理は、“真鯛と天然ホタテのポワレ レモンバターソース”。

「笑止! あなたは、地上世界を守る女神の苦労と苦悩が まるでわかっていないわね。私が瞬みたいな甘ちゃんだったら、地上は これまでに10回くらいは滅びているわよ。あなたの明日の朝食を賭けてもいいわ」
「なんで、俺の飯を賭けるんだよ。賭けるなら沙織さんの飯であるべきだろ。瞬、おまえも何とか言ってやれよ」
「えっ」
星矢の前に置かれたオードブルの皿を気にしながら、ポワレに添えられていた野菜を食していた瞬が、星矢のご指名を受けて むせそうになる。

「な……なんで、僕 !? 」
「なんでも そんでもあるかよ。おまえ、俺の仲間だろ。昨日の夕食のイクラの醤油漬け、食ってやったじゃないか!」
「代わりにホワイトアスパラガスが出た時には、僕が食べてあげてたじゃない。今日だって、こっそり お皿を僕のと変えればよかったのに、あんなに あからさまに納豆ご飯なんて言うから」
「あら、瞬。あなた、イクラが駄目なの? アンドロメダ島での主食はシーフードなのだとばかり思っていたのに。それとも、やっぱり噂通りにアンドロメダ島では爬虫類がメインのゲテモノ食いをしていたのかしら?」
「どこから出てきた噂なんですか、それ。ゲテモノ食いなんてしませんよ。アンドロメダ島近海にサケはいないんです。そうじゃなくて――ほら、イクラって、今ひとつ自然なシーフードじゃないでしょう。いかにも加工品っていう感じがして……」

本日の肉料理は“仏産鴨のフォアグラソテー シャンピニヨンソース 里芋のガレット添え”。
星矢を覗くアテナの聖闘士とアテナは メインディッシュに取りかかっているというのに、星矢の前にはまだ“フランス産フォワグラとホワイトアスパラガスのポワレ・トリュフソース ベルーガキャビア添え”が置かれており、その皿の上ではホワイトアスパラガスが心許なげな様子で佇んでいた。
しかし、そのホワイトアスパラガスの健気な姿も、星矢の心を動かすことはできない。
星矢は あくまでもホワイトアスパラガスを拒み続ける。
この場合、問題なのは、健気なホワイトアスパラガスの姿が星矢の心を動かすことができないように、頑としてホワイトアスパラガスを拒む星矢の姿もまた、沙織の心を動かすことはできない――という事実だった。

「どうしてこう、誰も彼も我儘なの。わかりました」
何がわかったのかとアテナに問う勇気は、瞬には持ち得ないものだった。
そして、何がわかったのかとアテナに問う愚を犯す氷河と紫龍ではない。
そんなことは百も承知のアテナは、彼女の聖闘士たちの合いの手など求めず、さっさと話を進めていく。
そして、沙織が話を進めた先は とんでもない場所だった。
彼女はナイフとフォークを一度 皿に置くと、厳しく にこやかに、
「瞬、あなた、アテナになりなさい」
と、(なぜか)瞬に命じたのである。






【next】