アテナイ軍の降伏勧告への返答期限は5日後。
カリステー王国の王宮とティラシア王国の王宮は、船を出せば半日かからない距離にありました。ですから、カリステー王国の一輝国王がティラシア王国の氷河国王に救援を求めた翌日にはもう、ティラシア王国からの返答の使者がカリステー王国の王宮にやってきました。
ティラシア王国から王の名代としてやってきたのは、氷河国王の元学友、今はその右腕として辣腕を振るっている紫龍という名の長髪の青年でした。

ちなみに、ティラシア王国の氷河国王は あまり政治向きのことには意欲的でなく、国の行く末を左右するような重大な事柄の決定も 複数の有能な家臣団に任せているというのは、一輝国王が氷河国王を毛嫌いしているという話と同じくらい有名な話。
そのやり方は アテナイの寡頭的民主制に似た政治形態で、決して氷河国王が怠惰だということではなかったのですが、すべてを自分の責任において行なう専制君主制を貫いている一輝国王には、氷河国王のやり方が一種の責任放棄に感じられたのでしょう。
一輝国王が氷河国王を嫌っている理由は そのあたりにあるのだろうというのが、両国の国民の大方の見方でした。

それは さておき。
一輝国王の要請に対する ティラシア王国の返答は、
「アテナイ軍を撃退することは、カリステー王国のみならず、我が国ティラシアを守ることでもあるので、我が国は もちろん貴国の要請に応えます」
というものでした。
しかも、貸したものをきっちり返してくれるのなら、貸与には いかなる見返りも求めないという、極めて寛大な返事だったのです。
「一刻を争うことですから、我が国では既に国王が陣頭に立ち、その準備に入っています。我が国は貴国に50艘の船と1000人の漕ぎ手をお貸しいたします」
「怠け者の あの馬鹿が陣頭指揮? あ、いや、畏れ多くも国王自らが?」
氷河国王の珍しい精勤の話を聞いて、一輝国王は少なからず驚くことになりました。
その際 ちょっと本音が出てしまいましたけれど、幸い、紫龍はそれについては聞こえない振りをしてくれました。
そして彼は、『そんな失言は無問題。ここからが本題』とばかりに厳しい顔になったのです。

「利子利息の類は不要。我が国は、船と人員の貸与に関して土地の割譲なども求めません。貸したものを返してもらえればいい。ただし、返還を保証するものを――要するに、担保抵当の提供を要求させていただく」
「抵当?」
「返還の保証もなく貸すわけにはいきません。それでは、国に税を納めている国民の理解を得られない。返還の保証を求めるのは当然のことだと思いますが」
その要求が不当なものであるとは、一輝国王も考えませんでした。
50艘もの船と1000人もの漕ぎ手を他国に無償で貸して、あげく踏み倒されるようなことになったら、それは国の財産を どぶに捨てるようなもの。
そんなことになったら、ティラシア国王も自国の民に顔向けができないでしょうから。
けれど、抵当を求められても、一輝国王には 自分がティラシア王国に何を差し出せばいいのかが わからなかったのです。

カリステー王国がティラシア王国に貸してほしいものは船と人。
船と人は、小さな島国であるティラシア王国においても カリステー王国においても、国の最も重要な財産にして宝でした。
それは 金銀宝石より価値のあるもの。
両国において、船と同等の価値があるものは食糧くらい、人と同等の価値があるものは人だけでした。
けれど、だからといって、まさか食糧を抵当として差し出すわけにはいきません。
たとえアテナイ軍を撃退できても、国の民が飢え死にするようなことになったら本末転倒。
国が立ち行かなくなってしまいます。
人が足りなくて人を借りるのに、まさか人を抵当として差し出すわけにもいきません。
一輝国王は、ティラシア王国がカリステー王国に何を求めているのか、皆目見当がつきませんでした。

「抵当として、何を差し出せというのだ。金銀財宝の類でいいのなら、城の蔵にあるものをすべて差し出すが」
そんなものが 人と船の貸借契約の抵当になり得るのだろうかと訝りながら、一輝国王は氷河国王の名代に尋ねたのです。
案の定、紫龍は一輝国王の言葉に左右に首を振ってみせました。
「我が国が欲しているのは、貸したものが必ず返却されるという保証であって物品ではありません。もちろん、土地でもない」
紫龍の謎かけのような言い方に、一輝国王は少々 苛立ちを覚えることになりました。
つい、その声が荒いものになってしまいます。

「歯に物がはさまったような言い方はやめろ。はっきり言え! あの馬鹿は俺に何を差し出せと言っているんだ!」
あの馬鹿・・・・は、カリステー国王の いちばん大事なものを預かってこいと、俺に命じやがり・・・まして」
臨機応変というべきか、順応性に富みすぎというべきか。
一輝国王の口調に合わせて(?)、紫龍の言葉使いが少々――もとい、非常に ぞんざいなものに変わります。
もちろん、それは、『たとえ どんな馬鹿でも王は王なのだから、王に対する礼節は わきまえるように』と一輝国王を たしなめるための当てこすりだったでしょう。
紫龍の口調は、すぐに慇懃なものに戻りました。

「カリステー国王は、オレンジの花のように可憐で清楚な弟君を深く愛し慈しんでいると聞き及んでおります。その弟君の――」
「瞬を人質に差し出せというのかっ !? 」
紫龍の言葉を一輝国王が遮ったのは、ティラシア国王が使者に託した要求を最後まで聞きたくなかったからだったでしょう。
その要求は呑めないとわかっていたからだったかもしれません。
同時にまた、ティラシア国王の要求を、オレンジの花のように可憐で清楚な弟君に聞かせたくなかったからでもあったでしょう。
一輝国王の弟君の瞬王子は、自分の命で人が救えるのなら 一瞬のためらいも見せずに その命を差し出すような――言ってみれば、大変 自己犠牲の精神が強い王子様。
『その命を差し出せば、カリステー国王は必要なものを手に入れ、カリステー王国と その民の命が救われることになるだろう』なんて話を聞いたら、いっそ喜んで 我と我が身を“あの馬鹿”の前に投げ出してしまいかねないような王子様でしたから。

そんなことにならないように―― 一輝国王は、ティラシア国王の使者の口上を、どうあっても最後まで言わせるわけにはいかなかったのです。
ティラシア国王の馬鹿の程度はさておいて、使者までが馬鹿でないのなら、そのあたりを察して、それ以上 口をきくなと、一輝国王は鋭い眼光で、使者の務めを果たそうとする紫龍を制しました。
ところが 紫龍は、一輝国王の睥睨が恐くなかったのか、平気で彼の口上を述べ続けたのです。
その内容は、けれど、一輝国王の予想に反して『瞬王子を人質に差し出せ』というものではありませんでした。
もっとも、一輝国王の最悪の予想と違っていたからといって、ティラシア国王の要求が“最悪”よりよいものだったわけではありませんでしたけれど。






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