Love Report






「1週間振りね。その後、何か変わったことはあって? 不都合や不足、不満があるようなら、何でも言ってちょうだい。可能な限り対処するわ」
俺に そう言ったのは、世界に冠たるグラード財団の若き総帥、城戸沙織。
『若い』という形容詞が洒落にならないくらい、彼女は若い――本当に若い。
なにしろ、彼女はまだミドルティーンの少女だ。
当然、俺より若い。
にもかかわらず、彼女が有している“グラード財団総帥”の肩書は、決して形式的な役職名ではないんだから驚きだ。

「総帥と言ったって、私は財団傘下の各企業の業務に精通しているわけではないわ。私の仕事は、財団の運営方針の決定と、財団傘下の各企業のトップ人事に、たまに口を挟むくらい。他に大したことはしていないのよ」
――とは 彼女の弁だが、この若さで それらの仕事をこなし、しかも判断を誤ったことがないというのなら、彼女は十分 財団総帥の職務を遂行していることになるだろう。
実際、同じ家に住んでいるっていうのに、俺は週に1度しか彼女に会えない。
それくらい、彼女は多忙なんだ。

そもそも、十代半ばの少女に巨大組織を牛耳られているにもかかわらず、その配下の者たちが誰も造反を企てないという現状が、彼女の有能とカリスマ性を物語っている。
造反どころか、グラード財団傘下の企業に籍を置く者たちは、そのほとんどが、この小さな少女に心酔しているらしい。
素直で善良な人間とは 到底言い難い この俺でさえ、出会って僅か2ヶ月かそこいらの この少女には一目置いているくらいなんだから、人に仕えて自分の人生を生きることを当然のことと思っているような善男善女には、彼女は神のような存在なのに違いない。
その神が、並々ならぬ美少女で、人心掌握、人材登用、企業経営の才に長け、威厳と恩情を不自然にではなく併せ持っているんだから、平凡で善良なプロレタリアは 彼女に心服し 恭順の意を示すことしかできない――というわけだ。

ほんの2ヶ月前まではシベリアの片田舎の町の、それこそ平凡なプロレタリアだった俺が、極東の島国にやってきたのは、彼女の養父(実際には、祖父と言っていい歳の老人だったらしいが)の遺言のせいだ。
その真偽は定かではないが、半年前に亡くなった その爺さんは、俺を自分の息子だと信じていたらしく、認知することはできないが、その個人資産の一部を俺に贈与するという遺言を残したらしい。
その額、約5億。
平均的日本人の生涯賃金の2倍強。
爺さんの財産の総額からすると、5億というのは、その1パーセントにも満たない額だそうだが、平凡で正直なプロレタリアには一生かかっても手に入れることのできない、夢のような金額だ。

俺が その城戸光政とかいう爺さんの息子であるはずはないと、俺は一応、日本から沙織さんの代理人としてシベリアにやってきた弁護士に言ったんだ。
俺の父親は早くに亡くなったが(俺は父の顔も知らない)、金髪碧眼で典型的コーカソイドの この俺が、髪も瞳も黒色の日本人の血を受け継いでいるはずはないと。
あんたはメンデルの法則を知らないのかと。
そうしたら、その弁護士は、『メンデルの法則は、欠陥だらけ例外だらけの法則ですよ』と、しれっとした顔で言いやがった。

実子かどうかは問題ではない。
城戸翁の遺言が実行されることが、何より大事。
俺を日本に連れ帰れば、弁護士先生は、その労働成果に対する報酬を受け取ることができ、可愛い愛娘に いいピアノ教師をつけることができるようになるとか何とか。
城戸翁の遺産の大半は、爺さんの後継者である養女にいくことになっていて、彼女も この件は了承済みだから、俺が城戸翁の実子でも実子でなくても無問題、DNA検査なんてものも必要ない。
城戸翁は、相続税対策も兼ねて 既に100億近い金をユニセフに寄付済みで、俺に残した金は はした金にすぎないから、遠慮せずに受け取れ。その方が賢明。

そんなことを くどくど言われて、俺は少々悩み、そして最終的に、俺に遺された遺産を受け取るために日本に渡る決心をした。
99.99パーセント、俺は その爺さんとは赤の他人だが、俺の父親だと主張する(主張していた)爺さんと、その後継者である養女というのに、興味を覚えたから。
ロシアの田舎は退屈で、そのまま そこで暮らしていたら俺の将来の姿も大体わかりきっていたし、万が一ということもあると思ったから。
俺は、幼い頃に死に別れたマーマから日本語を教わっていたんだ。
縁もゆかりもないはずの国の言葉を。


そうしてやってきた、極東の島国 日本。
そこは、ロシアの田舎よりは確かに刺激的な場所だった。
とりあえずの住まいとして 広すぎるほど広い城戸邸に数部屋を与えられ、当然 生活費は俺の資産から出す必要はない。
一生 遊んで暮らしていけるほどの金はあったし、最初に会った時、沙織さんは、
「何でも好きなことをしていていいのよ。毎日 遊んでいても、私は一向に構わないわ」
と言ってくれた。
ただ、犯罪者になられるのだけは困るので、当分の間、週に1度、俺が何をしていたのかの報告を義務づけると。
相手は 圧倒的なカリスマ性を備えた美少女で、目の保養にもなるし、俺は彼女の要求を素直に受け入れた。

で、今日が、9回目の面談日というわけだ。
俺は、日本に来てからずっと、本当に遊んで暮らしていたから、俺が報告することなんて、彼女には時間を割いて聞くだけの価値のない詰まらない話ばかりだったろう。
いっそ、『もっと意義ある興味深い話はできないの !? 』と怒鳴りつけてくれた方が、俺も気が楽になるんだが、彼女はいつも冷静で、俺のくだらない話に気を悪くした様子もなく、『不満や不足があるなら言って』と落ち着いた声で告げてくる。
俺は当然、こんなことで彼女の貴重な時間を奪うことを申し訳ないと思うわけで――まあ、彼女が彼女の部下たちに慕われる訳はわかるな。
彼女は、どんな詰まらない人間も 心というものを持っていることを知っているんだ。
ちなみに、目下 俺が抱えている最大の不満は、2ヶ月前の俺には 到底考えられなかったようなこと。
つまり、日本の女は誰も彼も金のことしか考えていないのか――ということだった。

城戸翁の死後、ゴシップ週刊誌や経済誌、テレビのワイドショー等のメディアが、その遺産の分配について こぞって取り上げたとかで、城戸の爺さんがロシアから息子を引き取ってきたという話は かなり巷間に流布したらしい。
俺が日本に来て知り合った女たちは、最初のうちは普通に楽しくやっていても、俺が城戸の息子(とされている男)だと知ると、誰もが突然 目の色を変えるんだ。
それでなくても億万長者、現グラード財団総帥の身に万一のことがあれば、(嘘か真かは知らないが)城戸家の財産はすべて俺のものになることになっているらしい(そういう報道をしたメディアがあったそうだ)。
そして、どういう理屈で そうなるのかはわからないが、俺が何者なのかを知った途端、彼女たちにとって俺との付き合いは、なぜか突然“結婚を前提とした お付き合い”になってしまう。

例外はなかった。
沙織さんのお供で出掛けていったパーティで出会った どこぞの大企業のCEOの令嬢も、街で知り合った平凡な庶民の娘も、皆 同じ。
露骨に態度を変えるわけじゃないが、微妙な媚びを見せ始めたり、変に気取り出したり、遊び慣れている蓮っ葉ふうだった子が 急に堅苦しくなったり、お高くなったり。
何というか、俺は気軽にホームパーティやピクニックの場にいる乗りだったのに、俺が城戸の相続人の一人だと知れると、そこが突然 見合いの場に一転するという感じだ。
そして、そうなると、俺は途端に居心地が悪くなる。
そういう事態を、俺は何十回となく経験した。
日本には 金持ちと結婚したい女しかいないのかと錯覚してしまいそうなほど、例外はなかった。

「俺は、ロシアでも、それなりに女にはもてていたんだ。金なんかなかったし、人格者でも、特別な才能があるわけでもなかったが、健康で頑健な身体を持っていたし、顔の造作も悪くはなかったからな。だから、俺は それなりに いい男なんだろうと うぬぼれていることもできた。ところが、日本に来たらどうだ。俺は、城戸の名と城戸の金のおまけだ。付属品だ。女共は俺の顔すら見ていない。俺が持っている金を見ている。俺は日本にきてから、すっかり自信喪失に陥ってしまったぞ。自分が何のために生きて存在しているのかさえ、わからなくなってしまった。この事態を どうしてくれるんだ!」

沙織さんにそんなことを言っても、どうにもならないことはわかっていたんだが、俺は週に1度、彼女に何事かを報告しなければならないからな。
事実を それなりに脚色して、メリハリを利かせ、声には抑揚をつけて――少しは彼女を楽しませてやりたいじゃないか。
事実を淡々と一本調子で報告していたら、俺だって眠くなる。
怒声でできた俺の愚痴を聞いて、彼女は楽しそうに笑ってくれた。
うん。俺も道化た甲斐があるというものだ。

「俺の美貌は、俺のマーマから受け継いだものだ。女たちが 俺を いい男と認めることは、マーマを美しいと認めること。だから、俺は、俺の顔にうっとりする女たちを 正直で可愛いと思うこともできていたんだ。ところが、日本の女共は皆、顔より金ときたもんだ。あんな女共を、ただの一人でも喜ばせてやる気にはならない。俺は、一生結婚なんかしないぞ。俺と結婚したいんじゃなく、俺の持っている金と結婚したい女なんて、こっちから願い下げだ!」

自信家で短絡的、自分の自尊心の保全が最優先事項の男。
その自覚はあるが、人間というものは、そういう姿勢でいるのが いちばん生きやすいようにできている。
もっとも、一人の人間が そういうスタンスを徹頭徹尾 貫くには、『失うものが何もない』という条件と『誰の力も借りずに、一人で生きていけるだけの力を持っている』という条件――ある意味 矛盾した二つの条件が満たされていなければならないがな。
今の俺は、その条件が二つながら満たされているという稀有な立場にある人間。
だから、俺は言いたい放題ができているんだ。
沙織さんが、そんな俺を不可思議な色をたたえた瞳で見詰めてくる。
彼女は、そして、いつもと変わらない落ち着いた口調で 俺に言った。

「あなたの憤りは わからないでもないわ。現代の日本では、経済力のない男性の未婚率が高いのは厳然たる事実。結婚は恋の延長ではなく、生活。日本の女性は、現実的で堅実なのよ。破滅や冒険を好まない。社会の混乱を招かないために――それは決して悪いことではないわ」
「悪いことじゃない !? 」
「もちろん、あなたが、そういうことが嫌いで、だから結婚しないと決意しても、それも決して悪いことではないわ。人の望む人生は、人それぞれ。何を幸福と思うのかも、人それぞれよ」
その意見には、俺も同意する。
幸福というものは、人によって違うものだ。
だから、俺は、俺が幸福だと思う事柄を基準値として、他人の幸福を測り、判断する。そうすることしかできない。
そして、俺の基準で測れば、彼女等は幸福ではない。
幸福というのは、金を持っていることじゃない。
マーマがいるということだ。
大切な人が、生きて 自分の側にいてくれること。
俺にとっては、そうだ。

「幸福の第一要因は、自分の欲しいものが何なのかを知っているということなのよ。自分の欲しいものが何なのかを知っている人は幸福になれる。それを手に入れるために努力すればいいだけだから。それが愛情でも、お金でも、美しい恋人でも。ただね、この世界には――特に現代の日本では、自分が本当に欲しいものが何なのかが わかっていない人が多いのよ。そして、そういう人間の大部分は、自分の境遇が 今より悪くならなければ それでいいと考える。経済力は、“今より悪くならない”ことを保障する一つの力なの。でも、それは“欲しいもの”ではない。だから、現代の日本では、幸福になれる人、幸福を実感できている人が少ないの。そこが、現代日本の病んでいるところね。確か、日本人の幸福度は、サティスファクション・ウィズ・ライフ・インデックスの調査で、178ヶ国中 90位、フレンズ・オブ・ジ・アースの調査で、143ヶ国中 75位じゃなかったかしら。GDPが世界第3位の豊かな国の国民がよ」

彼女が、言葉には出さずに、『あなたの欲しいものは何』と尋ねてくる。
『あなたの欲しいものを見付けなさい』と。
これが、俺より年下の少女か。
まったく、溜め息しか出てこないな。
「日本に来て得た いちばんの収穫は、あなたに会えたことだな。不満は多いし、腹立たしいことも多いが、俺は日本に来たことを後悔はしていない」
「それはよかったわ」
沙織さんが、言葉の上でだけではなく、心からそう思っていることがわかる声と眼差しで そう言い、安堵したように頷く。

俺もよかったと思う
俺が もう少し愚かな男だったなら、俺は間違いなく、この稀有な少女に恋をしていただろう。
余計な分別が備わっているせいで、俺は、彼女に冷静で賢明な友人でいてほしいと願うんだ。
つまり、多くの人間の幸福と社会の秩序の保全と発展のために、彼女は特定の男の恋人や妻になるべきではないという判断が働く。
それが彼女にとって幸福なことなのか不幸なことなのかは、俺には察しようもなかったが。






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