氷河が生きていたこと、氷河がアテナの聖闘士として聖域に受け入れられたことを喜んで、以前の元気を取り戻したかのように見えていた瞬。
氷河が聖域で暮らすようになって数日もすると、しかし、瞬は 取り戻したはずの元気を、再び徐々に失い始めたのである――星矢には そう見えた。
氷河が実際に人の血を吸う場面を見たわけではなかったので、自分は吸血鬼だと言う氷河の主張を、星矢は本気で信じていたわけではなかった。
が、絶対に そうではないとも言い切れない。
そして、吸血鬼の側にいる人間が 生気と元気を失っていく理由は、ただ一つしか考えられない。
瞬の頬は、日に日に青ざめていく。
星矢は、氷河を問い質さないわけにはいかなかった。

「おい、氷河。おまえ、まさか、瞬の血を吸ってるんじゃないだろうな?」
氷河は ひたすら我が道を行くタイプの極めて傲岸な人間ではあるが、決して卑劣な男でも 邪まな男でもない。
瞬に付き合って氷河に接しているうちに そう思うようになっていただけに、彼に そう尋ねなければならないことは、星矢には少々不本意だったのだが。
「その必要はない」
星矢に問われたことを、氷河は言下に否定してきた。

「だが、瞬の血を吸って、瞬を吸血鬼にしてしまえば、おまえは瞬を自分の言いなりの奴隷にできるんだろう?」
氷河は決して悪い男ではない――少なくとも 悪いだけの男ではない。
それは紫龍もわかっていた。
にもかかわらず、星矢同様 紫龍までが氷河に そう問わざるを得なかったのは、吸血鬼の その特性のせいだった。
そして、氷河が 瞬を自分のものにしておくためになら どんなことでも しかねない男だということがわかっていたから。
そんなふうに 疑り深い瞬の友人たちに、氷河は、実に堂々と自らの潔白を主張してきた。

「そんなことはしない。瞬は瞬の意思と心を持っているから美しいんだ。血など吸わなくても、瞬は、涙も唾液も精液も美味い」
「へ?」
「なに?」
「氷河っ!」
自身の潔白を主張する氷河を、瞬が慌てて制止する。
だが、既に発せられた声と言葉は なかったことにはできなかった。

「おい、瞬、おまえ、まさか……。おまえら、まさか――」
続く言葉が出てこない。
絶句した星矢に まじまじと見詰められた瞬が、二人の仲間の前で 真っ赤になって目を伏せる。
そうしてから瞬は、蚊が鳴くように小さな声で、自分の元気が失われている事情を告白してきた。
「氷河、眠る必要がないの。いくら僕が聖闘士でも、体力には限界が……」
「おまえは氷河に、文字通り、すべてを吸い取られているわけか」
感心している場合ではないが、他にできることもない。
紫龍の呟きを、だが、氷河はすぐに否定してきた。
「血は吸っていない」
真顔で訂正を入れてくる男を、いっそ殴ってやろうかと、星矢は思ったのである。
氷河が、罪悪感を全く覚えていない顔を、瞬の仲間たちに向けてくる。

「俺は、瞬がいる限り 生きていられる。そして、瞬が死んだら、俺も死ぬしかないだろう。だから俺は、瞬と瞬が生きている世界を守るために 命をかけて戦う」
「その前に、瞬が過労で死んだら どーすんだよ!」
それは、至極尤もな指摘だったろう。
氷河は しばし何事かを考え込む素振りを見せ、一度 深く頷いてから、彼が考えた改善案を 瞬の仲間たちに提示してきた。
「瞬を死なせるわけにはいかないから、加減をするようにしよう」
その改善案を 氷河が実行に移すことができるとは思えなかった星矢が、即座に 氷河の提案を切って捨てる。

「おまえに加減なんてできるのかよ! つーか、瞬! おまえも、そんな律儀に こんな馬鹿の相手してないで、はっきり拒めよ!」
「そ……そんなことできないよ……!」
「なんでだよ!」
「だって、氷河に、その……そういうことされるの、すごく気持ちいいんだもの」
「す……すごく気持ちいいって、気持ちよくて死んでたら、話になんねーだろ! 精気を全部 吸い取られて、ミイラになって死んだりしたらどうすんだよ。こいつ、口では殊勝なこと言ってるけど、どうせ加減なんかできないに決まってるんだから!」
星矢の決めつけは、氷河には聞き捨てならないものだったらしい。
彼は、実に微妙な方向から自分を弁護してきた。
「俺は、瞬から吸い取るばかりでなく、ちゃんと俺のものを瞬に与えてやってもいるぞ」
と。

「氷河……!」
これ以上 赤くなるのは無理のように見えていた瞬の頬が、全身の血が頬に集まってきたように、更に赤味を増す。
瞬が氷河に血を吸われていないというのは 事実なのだろう。
瞬の身体に、血は余っているようだった。

「仮にもアテナの聖闘士として聖衣を授かった男が、助平のヘンタイで、その上 恥知らずかよ。最悪だな」
「星矢……そんなふうに言わないでよ……」
「うー……」
助平でヘンタイで恥知らずの最低男でも、瞬が彼を好きだというのなら、第三者にはどうすることもできない。
その最悪な男が、この世で最も強く価値ある愛の力を得て、へたをすると この世で最も強大な小宇宙を その身に備えてしまったのだ。
その現実の前で、星矢は、全身の血を奪われてしまったように、どっと疲れてしまったのである。


愛は、もちろん 何よりも価値のあるものである。
それは、人を生かす最大の力。人を幸福にする最高の力。
だが、それが他の何よりも傍迷惑で、常識を備えた人間を疲れさせる力であることもまた、疑念を挟む余地のない事実だった。






Fin.






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