一度は瞬を見るのをやめていた公爵が、その冗談を再開したのは その日からだった。 ただし、瞬に気付かれることがないように。 彼は、瞬に気付かれぬように――おそらくは、その視線に込められたものが瞬の負担になることがないように――瞬を見詰めることを始めたのだ。 公爵の その変化によって、瞬の仲間たちは、彼の冗談が冗談ではなくなった事実を知ることになったのである。 公爵の変化は、星矢と紫龍の不安を増すことになった。 もう、これは冗談でも悪ふざけでもない。 彼は本気で瞬に恋をしていて、いずれ二人が別れなければならないことがわかっているから、瞬に気付かれぬように 瞬を見詰め続けているのだ。 瞬に思いを伝えることは許されない。 公爵は、それはわかっているようだった――その程度の判断力は残っているようだった。 公爵の そういう良識と賢明な判断を、星矢と紫龍は大いに評価した。 瞬当人には告白できない思いを、瞬の代わりに瞬の仲間たちに吐露してくる公爵には、少々 複雑な心境にさせられることになったが。 「会ったばかりの 縁もゆかりもない私のために涙を流してくれたんだ。瞬は姿だけでなく、心も美しい」 「まあ……誰が決めたのかは知らねーけど、瞬は 地上で最も清らかな魂の持ち主ってことになってるからな……」 「ああ、そんなふうだ。許されるものなら、私の手で摘んでしまいたい。本当に、許されるものなら……」 「おい、だから、瞬は男だって言ったろ!」 なぜ その決定的な事実が、好意が恋になることの障害になり得ないのか。 星矢は、それが心底 合点がいかなかったのである。 いくら可愛くても、瞬は歴とした男子なのだ。 しかし、公爵には そんな些末なことにこだわる星矢の頑迷の方が奇異に思えるらしく、彼は その点に関しては一向に 持ち前の良識を発動させてくれなかった。 「瞬は強い。強くて優しい。その上、綺麗で清らかで――私がここにいることではなく、瞬の存在こそが奇跡なのだと、私は思う。私は、瞬に出会うために この世界にやって来たのだ。私が瞬に出会ったことは、偶然ではなく運命だ」 「んなこと、勝手に決めんな! あんたは逃げてんの。自分や母親の死を考えるのが恐くて、逃げてるだけなんだ。瞬を、あんたの不安解消のダシになんか されてたまるか。それに、瞬には氷河がいる!」 「氷河……彼は瞬の恋人なのか」 公爵が食いついてきたのは、彼の恋は逃避のための方便にすぎないという侮辱めいた決めつけではなく、『瞬には氷河がいる』という発言の方だった。 逃避のための冗談だった戯れの恋が、今では違うものになってしまったことを、彼は正しく認識しているのだろう。 星矢の挑発には乗らず、彼は、氷河の名にこそ反応してきた。 瞬に向けられている氷河の眼差し、同胞に対する氷河の冷淡な態度の訳――に、公爵は気付いていたものらしい。 「そういうわけじゃないけど、そうなる予定なんだよ……!」 「予定?」 ある局面では、『瞬は男だから、恋情など抱くな』と言い、別の局面では『いずれ瞬は、氷河の(同性の)恋人になる予定なのだ』と言い張る。 それが甚だしい矛盾であり、『氷河なら、それが許される』というアンフェアな理屈であることは、星矢とてわかっていた。 だが、実際に そう思えてしまう――自然に そう思えてしまうのだから、それは致し方のないことである。 星矢が矛盾を承知で 公爵に そんなことを言ったのは、『瞬には 半公認の相手がいるのだから、部外者は 余計な手出しをするな』と、公爵に釘を刺すためだった。 公爵の良識と賢明な判断力は信頼に足るものだと、考えようによっては 彼を信頼しているからこそ、星矢はあえて彼の恋敵の存在を公爵に知らせてやったのである。 公爵は、いずれ 彼の時代、彼の世界に帰っていき、二度と瞬に会うことはない。 当然、公爵の恋は実りようがない。 その点を自覚し、自制し、自重できているから、彼は、瞬に気取られぬように瞬を見詰めて続けているのだと思うから。 恋敵の存在が、恋をしている人間の心に どう作用するのか。 少し考えれば容易に察せられることを、星矢はわかっていなかった。 |