「聖闘士になるために送られた修行地で、僕が学んだことは――僕が僕の先生に教えてもらったことは、聖闘士の強さ、小宇宙の強さっていうのは、結局、自分が守りたいと思うものを どれだけ愛しているかで決まる――ということだった。仲間を、多くの人の命を、平和を、正義を、世界を、どれだけ愛しているか、どれだけ優しくできるか。それが すべての力の源だということ」
「どれだけ愛しているか?」
「うん。僕だけじゃない、すべての聖闘士の小宇宙が、結局はそこに行き着くんだって、僕の先生は言った。もし そうでない聖闘士がいたとしたら、その聖闘士の強さは中途半端なもので、彼は 本当は もっと強くなれるのに、自分で自分の成長を止めている愚かな聖闘士なんだって。僕がアンドロメダ島を出る時、僕の先生は、『おまえは そんな中途半端な聖闘士で終わることはないだろう。だから、自信をもって戦え』と そう言って、僕の前途を祝してくれたよ」

「うん……まあ、そうなんだろーな。現に、おまえ、死ぬほど つえーし」
星矢が、わかったような わからないような、曰く言い難い表情で頷く。
意識せずに、“中途半端でない聖闘士”として戦っている星矢らしい反応だと、瞬は思ったのである。
到底 敵うはずのない強大な敵に挑み 奇跡を起こす時、星矢は意識せずに 命というものを全身全霊で愛しているのだ。

「先生の言ったことを、僕は 理解しているつもりだった。でも、僕は、先生の言葉の意味を理屈の上ででしか わかっていなかったんだ。現実には、冷酷でも強い人はいたから。自分以外には誰も愛していないような人でも、強い人、強い敵は大勢いたから。愛が力の源だって言われても、僕は心から そうだと信じてはいなかったんだ。でも、氷河を見ていたら、先生の言葉が本当の意味でわかった――実感できた。何て言うか……愛が与えてくれるものは、人が人を愛する気持ちが生むものは、強くなる可能性、その可能性を無限にする力で、今 どれだけ強いかじゃない。そのことが、氷河を見ていて わかったの。僕は氷河を守るためになら、いくらでも強くなれる。星矢を守るために、紫龍を守るために、アテナを守るために、すべての人を守るために――」

「その理屈でいくと、氷河を守るために戦って、あっさり 敵に勝ってしまう おまえは、相当 氷河を愛していることになるぞ」
紫龍が脇から口を挟んでくる。
半ば からかうような口調の紫龍に、瞬は 微笑を返した。
「氷河を見ていて、もしかしたら僕の兄さんもそうだったのかなあって思ったんだ。とても愛していて――守りたい者がいて、だから兄さんは 子供の頃から強かったのかな……って。氷河は、そのことを僕に気付かせてくれた」
だから僕は氷河が好きなのだと――好きになったのだと、言葉にはせず 瞬が言う。
「そりゃ、結構なことだけどさあ……」
星矢とて、瞬が言う言外の言が聞こえていなかったわけではない。
だが――。

「でも、これじゃあ、氷河がピエロじゃん。自分より強い奴を必死になって守ってさ。今現在の力量は、俺の見たとこでは、氷河より おまえの方が上だぞ。それも かなり」
「それは、だって……仕方がないよ。僕は氷河が大好きなんだもの。氷河のためになら、僕は いくらでも強くなれる。でも、その可能性は、僕だけじゃなく、氷河も同じように持ってるんだし、氷河がピエロなんてことは――」
「可能性ってことなら、確かに、おまえも氷河もフィフティフィフティで、対等なのかもしれねーけど、今現在はそうじゃないだろ。もし氷河が、おまえが実は自分より強いことを知ったら、奴の立場がないじゃねーか」
「そんなこと、教えなきゃいい」
「へっ」

あっさり そう答えてくる瞬に、星矢は自分の耳を疑ってしまったのである。
そして、星矢は 本気で呆けた。
『教えなきゃいい』と、瞬は いったいどういうつもりで言っているのか。
瞬は、これからも本当のことを氷河に知らせない――嘘をつき通すつもりでいるというのか。
仮にも正義を守るアテナの聖闘士が――それも、優しさや誠実で売っているアンドロメダ座の聖闘士が――仲間に嘘をつき――真実を知らせず、か弱い お姫様を装って仲間を道化にし続けると?
それが、正義正道に もとることではないと、瞬は真面目に考えているのだろうか。
「教えなきゃいいって、んじゃ、おまえ、これからも弱っちい振りして、氷河に守られるお姫様でいるつもりなのかよ?」
「氷河がそれを望むなら。それに僕は――」
「ソレニボクハ、何だよ」

星矢は、瞬のために、呆れた顔以外の顔を作れなかったのである。
星矢の価値観では、それは あり得ないことだった。
聖闘士の世界は、ある意味では、強い者が偉い世界、強い者が尊敬される世界である。
そんな世界で“弱い”と思われることに得はない。
それは せいぜい、瞬を庇い守る 格好いい王子様でいたい氷河を喜ばせることができるくらいの益(?)しかないことなのだ。
実力以上に強いと思われたいわけではないが、実力より はるかに弱い聖闘士と見くびられることは、星矢はご免被りたかった。
しかし、瞬には瞬の都合、やむを得ない事情というものがあったらしい。

「氷河が僕を守ろうと思ってくれる気持ち以上に 僕の方が氷河を好きだから、僕は氷河より強いなんて、そんなこと 恥ずかしくて氷河に言えないよ、僕、まだ」
「恥ずかしくて言えない? 別に言ったっていいじゃん。おまえに んなこと言ってもらえたら、氷河の奴、滅茶苦茶 喜ぶぞ、きっと」
あまり深く考えず、ほとんど反射的に そう応じてしまってから、星矢は ある意義深い事実に思い至ったのである。
すなわち。
瞬が か弱い お姫様を装い、氷河を強く恰好のいい王子様にしておくことで益を得るのは 氷河だけではないということに。
自分では強く颯爽とした王子様でいるつもりの氷河が 実は道化王子にすぎないという事実を知っていることで、真実を知る者たちは その胸中でこっそり留飲を下げることができるという事実に。
氷河の王子様ごっこの最も不愉快な点は、星矢には、瞬ではなく氷河の態度の方だったのだ。

「……そうだな。わざわざ 氷河を喜ばせてやることもねーか。あいつ、おまえのことは 向きになって庇いたがるくせに、俺や紫龍がピンチに陥った時は いつも、自分でどーにかしろって態度でいるんだよな。友だち甲斐がないっていうか、仲間意識が希薄っていうか、氷河の奴、俺たちのこと 何だと思ってんだか」
「それは――きっと 星矢たちは自力で どうにかできるって、氷河は星矢たちを信頼しているんだよ」
「信頼? 物は言いようだな。氷河なら手もなく 言いくるめられて、おまえの言うこと信じちまいそうだ」
「言いくるめるだなんて……。言いくるめる必要なんかないよ。僕と氷河の どちらが強いかなんて、そんなことはどうでもいいことなんだから。人は 愛している方が強い。ただ それだけなんだ」

だから自分は強いのだと、瞬は言っている。
自分の強さは、氷河ゆえのものだと。
それは やはり氷河に知らせていいことではないと、星矢は思ったのである。
事実を氷河に知らせれば、友だち甲斐のない氷河を喜ばせるだけ。
それは非常に癪なことだった。
氷河は道化王子でいてくれた方が面白いし、王子様ごっこを続けて戦っていれば、その戦いの経験は 氷河を より強くしてくれるに違いないのだ。

「わかった。じゃ、俺たちも ほんとのことは氷河に言わないでいてやる。おまえもそれでいいだろ、紫龍」
「俺に不満のあろうはずがない」
決して氷河に庇い守られたいわけではないが――むしろ、それは積極的に避けたいことだったが――仲間を仲間と思わぬ氷河の態度を快く思っていなかったのは、紫龍も星矢と同じだったらしい。
信義の人(であるはずの)紫龍が、至極あっさり 氷河の道化王子継続計画に協力する意思を示してくる。
氷河が意識を取り戻したのは、そんなふうに、氷河を除いたアテナの聖闘士たちの間で これからの対氷河対応方針が ほぼ決まった時だった。

「瞬っ、無事かっ」
意識を取り戻すなり、すぐに撥ね起きて、氷河が瞬の側に駆け寄ってくる。
氷河が瞬の瞳を覗き込めるところまで来た時には既に、瞬は 嘘をつく方法など知らぬ 清純で か弱い お姫様への変身を完了していた。
「うん。咄嗟に氷河が僕を庇ってくれたから。星矢と紫龍も来てくれて、あの二人はどこかに行ってしまったの。あ、そこに倒れてる人たちは、星矢と紫龍が倒してくれたんだよ」
「そ……そうか……」
自分が独力で瞬を守り切れなかったことは痛恨の極みだが、瞬が無事でいるのなら、それが何より大事なこと。
氷河は安堵の息を洩らし、瞬はすかさず(?)強く頼もしい王子様を頼りきっている お姫様の目で、白鳥座の聖闘士の顔を見上げ、見詰めた。

「ごめんね、氷河。僕のために」
「おまえが無事なら、それが何より大事なことだ」
「僕は無事だよ。これまでそうだったように、これからも氷河が守ってくれるから」
「無論だ」
「うん。ありがとう、氷河!」
瞬が嬉しそうに礼を言うと、氷河は その瞬の倍も嬉しそうな顔になった。
その様子は、長い『待て』のあとで ついに飼い主に『よし』を言ってもらうことのできた仔犬、あるいは、『お散歩に行こうか』と飼い主に声をかけられた屋内飼いの犬のそれ。
氷河が 見えない尻尾を千切れんばかりに振っている様が、星矢の目には確かに見えていた。

そんな氷河の様子を呆れたように眺め、星矢が紫龍にだけ聞こえるほどの小声で ぼやく。
「氷河の奴、瞬の目と意識が自分に向いてれば、何でもいいんじゃないのか。氷河より瞬の方が強いのも、氷河の愛とやらが、自分さえよければ他はどうでもいい 超利己的な恋ってやつだからでさ」
「それは 大いにあり得ることだが、まあ、可能性ということで考えるなら、氷河にも無限の可能性があるわけだからな」
「それは ただの理屈、机上の空論にすぎないだろ。現に、瞬の方が 氷河より相当強いんだし」
「二人に不満がないなら、それでいいじゃないか」
「氷河と瞬に不満がなくても、俺が不満だらけだぜ」
「ははは」
目の前で ぶんぶん振られている氷河の尻尾が、星矢は目障りで仕方がないのだろう。
それでも、氷河に 真実を知らせて、目障りな氷河の尻尾を大人しくさせようとはしない星矢の友情(?)に、紫龍は虚ろな笑いを返すことになったのだった。


愛している方が強い――人を愛せる者こそが強い。
愛する人がいてくれるから、人間は強くなることができる。
それは真実なのだろう。
もっとも、愛し合う二人は、愛する人の瞳が自分の姿を映していることのみに気を取られ、喜び、自分たちの どちらが より強いのかなどということは、今は考えてもいないようだったが。






Fin.






【menu】